第19話:一美の高校受験と太郎の大学受験

 そして1994年が終わり、1995年を迎えた。1995年2月26日が

、県立浦和高校の受験日で、3月6日が合格発表の日だった。両親が、受験日

についていこうかと聞くと、どっちでもよいと言うので、ついて行った。

 一美は、強気なタイプで、今回の受験も、まだ人生の入り口よと、強がって

いた。その日は、ちょっとイライラしてるようで、泰平が、落ち着けと行ったが

、聞いてる風ではなかった。すると、志保さんが、いつもの優しい顔から、

怖い顔になって、あんた、まだ人生の入り口を言って癖に、怖いのというと

、いら立って、そんなことないと言うので、いや、怖いのよ、ほんとは

怖いのよと言い、高校受験くらいで、ビビッてるんじゃ、たいしたこと

ないわねと、きっぱりと言った。


 すると、一美が、志保さんに、どうしたらよいのと、懇願するように聞くと

、自身があるなら、ビビらなで、他の連中は、みんな、タコだと思いな、

私は、絶対勝てると3回言って、他の連中より早く問題を解いて、見直せば

完璧に受かるって、と言い、一美の肩をたたいて、試験会場に送り出した。

 すると、落ち着いたいつもの一美にもどって、行ってきますと言って、

試験会場に飛び込んでいった。控室で待っていると、終了の合図が鳴って、

一美が、いつものように、自信に満ちた顔で、戻ってきて、ベストは尽くした

と言い、晴々とした顔をした。


 やがて、合格発表に日、両親もついていき、掲示板を見ると、一美の受験番号

46番があったのを自分で見つけると、あったと言い、大きなため息をついたかと

思うと、大粒の涙を流して、母、志保さんに抱きついてきた。すると志保さんが

、小さい子供に言う様な語り口で、よくやったわね、すごい、本当にすごいと

言うと、肩を震わせて泣いた。泰平には、そこら辺の感情の動きが、よくわから

なかったが、とにかく合格おめでとうと言った。そうして、合格祝いにないが良い

と言うと、大学に入ってからの留学費用をお願いねと言い、その時まで待ってる

と言い、待っている4年間の利子は高いわよと笑った。


 1995年10月5日、徳川泰平は、長男の太郎に、大学は、どこを

受けるのかと聞くと、東京工業大学情報理工学部、早稲田大学・情報

通信学科といった。合格の可能性は現時点で70%だと言った。その後、

また、予備校に入って、模擬試験を受けたいと言い、入学を許可した。

 そして1996年を2月に、両校受験して、東京工業大に落ちて、

早稲田大学・機械工学科に合格した。


 1995年3月ソニ-株1900円で5千株を950万円で買い、残金が

850万円となった。1997年11月4日、注目していた日本初の

インターネット関連株のヤフー株上場し、徳川泰平の両親にも勧めると

、夫婦で2株を400万円で購入し、泰平と志保さんも同じく2株を

400万円で購入し残金が500万円となった。


1997年11月7日、長女の和美さんに、どこに入りたいと聞くと、

ずばり、上智大学英文科と言い、できたら、最終的に、アメリカの大学に

編入したいと驚くような事を言った。1998年、東京都立大学・英文科

と上智大学・英文科を受験したいと言ったので、泰平が了解した。受験

申し込みをして、受験日を迎え、最初に、東京都立大学英文科に合格して

、続いて、上智大学英文科に合格すると、上智大学に行きたいと言い、

入学手続きをとって、上智大学英文科に入学して、1998年4月から、

電車で30分で通学していった。

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