二次元少女に愛されて

第1話 二次元の少女達

 二次元……それは、「モテない男」にとって最後の砦である。

 

 二次元の女性には、どうやっても触れられない。だからこそ、そこには「無限」の癒やしが待っている。たとえ現実では「異常」と言われる女の子でも、そこでは「美少女」の一言で済まされてしまうのだ。その魔力は、本当に計り知れない。二次元にハマった事で、「人生を狂わされた」、「財産を失った」と言うひとは、その年齢を問わず決して少なくない筈だ。


 僕もまた(僕の場合はまだ、そこまで言っていないけれど)、その予備軍に片足を突っ込んでいる一人だった。中学校がっこうから帰ったら、まずパソコン。パソコン画面には、大好きな女性キャラ(「幕内理穂子」と言う中学生だ)が表示されている。


 幕内理穂子は、本当に素敵な女の子だ。真っ黒な髪がキラキラと輝いて。見る者の心を決して放さない。僕は、その黒髪が好きだった。黒髪の下にある瞳も。そして、瞳の下にある唇も。僕は、彼女のすべてが好きだった。

 

 液晶画面の彼女を見つめると、胸の奥が熱くなる。まるで「何かの病気」にでも罹ったように、頭の中が無茶苦茶に掻き乱されてしまうのだ。僕の意思とは関係なく、その心を締めつけるように。


 僕は、その感覚に酔い痴れた。学校の中でどんなに嫌な事があっても。その瞬間だけは……彼女の笑顔を思い出す時間だけは、あらゆる苦しみを忘れる事ができたから。僕は現実の世界を忘れて、その感覚に酔い痴れつづけた。クラスの男子達ともだちと話す時はもちろん、周りの女子から笑われた時も。

 

 僕は決して、その笑顔を忘れなかった。忘れてしまったら、今の生活がもっと嫌になる。今の生活は、文字通りの地獄だった。クラスの友達とは仲は良いけれど(それだって、僕の勘違いかも知れないが)、女子達とはあまり良くない。正確に言えば、「最悪」だった。

 

 彼女達は表面上、それも「ほんの気まぐれを起こした時」にだけ、同級生の僕に「片瀬君」と話しかけてくる。まるで僕の人格を見下すかのように。彼女達は、僕が「うっ」と驚いたり、「あ、え?」と脅えたりする様を楽しんでいた。

 

 僕は、その態度が嫌で、嫌で仕方なかった。本当なら、「自分がやられて一番嫌な事」の筈なのに。彼女達は悦んで、僕の事を見下しつづけた。僕は、三次元の女が嫌いになった。僕の事を見下すアイツらを。そして、自分の醜さに気づいていないアイツら自身を。

 

 僕はクラスの女子に話しかけられても……流石に「おはよう」くらいは応えるが、それ以外の会話をまったく交わさなくなった。「アンタ、マジで暗すぎでしょ(笑)」と言われても、まるで無視。

 

 僕は三次元の女を諦めて、最愛の二次元ひとに会う事だけを考えた。画面の彼女を見つめる。僕は、画面の彼女に微笑んだ。彼女は今日も、僕の想いに応えてくれる。両目の瞳を潤ませて、その口許に薄らと笑みを浮かべながら。

 

 僕は、画面の彼女から視線を逸らした。彼女を好きな気持ちは、変わらない。でも、「それ」とは別として「可愛いな」、「素敵だな」と言う女性キャラもいる。僕は愛用のオーディオプレーヤーを持つと、机の外付けスピーカーに「それ」を差し込んで、いつも聴いている「キュラクターソング」を流しはじめた。

 

 ポップなイントロから始まるキャラクターソング。その歌詞を歌うのは、「富田こころ」と言う女性キャラだった。金色の髪を靡かせて、聴く者すべてに「元気」を与える女の子。富田こころは、幕内理穂子よりも年下の女の子だった。年齢としは、花もときめく11歳。ネットで偶然見つけた投稿サイトには、「真っ赤なランドセル」を背負う彼女のイラストがアップされていた。

 

 僕は机の椅子に座って、その曲を聴きはじめた。彼女の曲は、最高だった。曲の内容はもちろん、その歌詞もすっかり覚えていたが、やはり良い音楽と言うのは、何度聴いても素晴らしかった。そこら辺のアイドル擬きや、アマチュア歌手とはまるで違う。彼女の曲には、文字通りの魂が宿っていた。僕が想わず、うっとりしてしまう程の。

 

 僕は、その感覚に心を震わせた。


「今日も、神曲をありがとう」


 僕は「ニコッ」と笑って、自分のスマホに手を伸ばした。僕のスマホは、机の上に置かれている。僕はスマホの画面を点けると、画面のロックを外して、いつものフォトギャラリーを開いた。フォトギャラリーの中には、「天道寺秋音てんどうじあきね」の画像が大量に入っている。フォルダの中をすべて埋めるように、その中味をすっかり侵していた。

 

 僕は、その光景に生唾を呑んだ。画面の彼女に興奮するように。画像の一つに触れる時も(恥ずかしいが)、指先がプルプルと震えてしまった。

 

 僕は、天道寺秋音の画像を見つめた。天道寺秋音の画像は……言葉にするのは「あれ」だけど、正直に言ってかなりエロい。それこそ、思春期の男子に直接攻撃を加えるような。彼女の画像には、「それ」を起こさせる何が潜んでいた。見掛けの方は、どう見ても「普通のおねえさん」なのに。ネットの人達は、彼女のような人を「姉系ビッチ」と呼んでいた。

 

 僕は、彼女の姿にうっとりした。


「綺麗だな」


 僕は家に父さんが帰ってくるまで、その画像をずっと眺めつづけた。

 

 父さんは、今夜の夕食を喜んだ。息子の僕がそうであるように、父さんもまた家のハンバーグが好きだった。


 父さんは嬉しそうな顔で、今夜のハンバーグを食べはじめた。

 

 僕も、自分のハンバーグを食べはじめた。


「う、ううん。美味しい」


 母さんは、その声に目を細めた。

「ねぇ、すすむ


「なに?」


「今日もまた、あの曲を聴いていたの? アニメのキャラが歌っている」


「そうだけど? それがなに?」


 母さんの表情が曇った。


「他人の趣味をとやかく言うつもりは、ないけど。ただ」


「ただ?」


「偶には……その、ねぇ? 他の曲も聴いた方が良いんじゃない? 普通のJ-POPとか」


「アニソンも『普通の曲』だよ?」


 また、母さんの表情が曇った。


「う、うん。確かにそうかも知れないけど。世間では」


 僕は、母さんの言葉に溜め息をついた。またこの話が始まった、と。僕は憂鬱な顔で、母さんの顔を見返した。


「世間なんてどうでも良いじゃない? 大事なのは」


「も、もちろん! 『進の気持ち』だって言うのは、分かっているわ。でも……」


 声が一旦、途切れる。


「周りは、『そう』は思わない。私はね」


「僕の苦しむ姿を見たくない?」


「そう」


 また、母さんの言葉に溜め息をついた。


「母さん」


「な、なに?」


「母さんにとって、『普通』ってなに?」


 母さんは、僕の質問に答えられなかった。 僕が椅子の上から立ち上がった時も。そして、「ごちそうさま」と言った時も。母さんは暗い顔で、テーブルの上に目を落としつづけた。

 

 僕は、自分の食器を持った。キッチンの流し台まで「それ」を持って行くために(皿の上にはまだハンバーグが残っていたが、今の気持ちでは「それ」を食べる気にはなれなかった)。僕は、流し台の中に食器を置いた。

 

 母さんは、僕の背中に呟いた。


「世間の理想に従う人よ」


 僕は、母さんの顔に目をやった。


「世間の理想に従う人?」


「そう、周りから『格好いい』、『可愛い』と思われるような。世間が『素晴らしい』と思ってくれるような人。私も」


「その理想に従っていたんでしょう?」


「う、うん。そうするのが正しかったから。周りの人達も、私の事を受け入れてくれたし」


「母さん……」


「進」


 母さんの目が潤んだ。


「あなたのペースで良い。あなたのペースで良いから。どうか、普通の人に戻って」


 僕は、母さんの意見に反論しようとした。でも、「進」

 父さんが「それ」を許さなかった。

 

 父さんは鋭い目で、僕の事を睨みつけた。


「部屋に戻りなさい。当分、部屋で音楽を聴くのは禁止だ」


「なっ! くっ! でも!」


「反論は、許さない。部屋に今すぐ戻るんだ」


 僕は、父さんの目を睨みかえした。


「父さんも同じなんだね? 母さんと」


 母さんは、僕の声を無視した。


「部屋に戻りなさい」


 僕は、父さんの声に俯いた。


「分かった」


 僕は暗い顔で、自分の部屋に戻った。部屋の中は、明るかった。僕の心とは対照に、机のパソコンはもちろん、本棚の本も鮮明に見えている。ベッドの上に置いてあるライトノベルも。

 

 僕は、ベッドの上に寝そべった。父さんの言葉があまりに悔しくて。僕は(気分を紛らわすために)、富田こころの曲を思い返した。

 

 父さんには、分からないのだ。

 富田こころの曲が、こんなにも心を打つ事を。

 

 母さんには、分からないのだ。

 天道寺秋音の色気が、多くの男達ひとたちを救っている事を。

 

 現実は、誰に対しても平等ではない。現実に負ける人もいる。今の僕がそうであるように、その青春に絶望している人もいるのだ。「自分はなんて、惨めなんだ」と。父さん達には、「一生掛かっても分かりっこない」

 

 僕は憂鬱な顔で、部屋の天井を見上げつづけた。


 


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