第7話 バドミントンと私
そもそもバドミントンを始めたのは、
就職した電気メーカーにバドミントン部があったから。
当時は、羽根つきだと思っていたし、マイナー競技だし、
関心はなかった。
熱心に誘ってくれるおじさんがいて、
「まあ、見においで。」
と何度も言ってくれる。
同期のYちゃんと体育館に見に行った。
会社が体育館を持っていたので、従業員は無料で使用出来る。
バドミントンコートが3面張れる。
男子女子合わせて、20人くらいいただろうか。
女子は、羽根つきレベルだった。
男子には、経験者やテニスとの掛け持ちの人などもいたが、
後で考えると、そんなに上手い人はいなかった。
「やってみない?」
ラケットを渡された。
体育館に貸し出し用のシューズがあるので、それを借りて、
男子2人相手にやってみた。
元々ソフトボール部だったこともあって、
むきになってシャトルを追う。
気付けば、転んででもシャトルを拾っていた。
履いていたパンツの膝が焼け切れていた。
「素質あるよ。入部しない?」
「考えさせてもらいます。」
それでもすぐには、決心しなかった。
男子は、実業団登録していたので、県の大会がある。
それを観に行くことになった。
うちのメンバーは鳴かず飛ばずだが、
そこで、きらめく人を見つけた。
女子のダブルス。
私も左利きだが、その人は左利きで、
ジャンピングスマッシュを華麗に決める。
色白で綺麗な人。
「かっこいい!」
バドミントンって、こんなにかっこいいのかと思った。
ペアを組んでいる人は、ミス広島だという。
美人ペアだ。
あんなにはなれなくても、いつか対戦出来たら、と思ってしまった。
入部。
ただ、女子は試合に出るような人もいないので、
私たちの同期は、男子に混ざって練習。
入部して数か月後に、Mちゃんと出た試合で優勝。
もちろん、初心者ランクでだが、出る試合出る試合、優勝した。
広島市の4部で優勝して、これは本物だなんて思っていた。
1か月後、年度が変わったので、3部に昇格して初の試合。
「あれ?」
ゴールデンペアと言われていた私たち。
1ゲームが、わずか5分で終わる。
何にも出来ない。点も取れない。
「なぜ?」
あっという間のストレート負け。
ペアを組んで初めての惨敗。
相手は、30代くらいの主婦ペアだったが、
「若いんだから、頑張ってね。」
と励まされた。
呆然とした。
考えてみると、指導者のいない部で、基礎打ちの仕方も知らない。
フットワークやフォーメーションも知らない。
運動神経の良さ(自分で言う)だけで、ここまできた。
「カット&クリアやろう。」
とか言っているのを、何のことか分からずにいた。
ただの初心者だったのだ。
転勤で奈良県に移った時、
2人の幼児がいた私は、専業主婦になった。
すぐそばに会社のスポーツセンターがあって、そこでバドミントン教室をやっているから、来ないかと、同じ社宅の人が誘ってくれた。
皆、子連れだから、誰かが見てくれるというので、行くことにした。
私のプレーを見て
「すごい!早い!」
と絶賛された。
それほどでもないのだが、初心者ばかりの教室では断トツだったのだ。
しばらくして、まあまあ上手い人が数人入ってきて、
初心者向けの教室ではなくなってきた。
トレーナーのSさんが、
「僕じゃ、もう教えられないから、インストラクター呼ぶよ。」
と言って下さって、
ゴーセンからインストラクターが来るようになった。
その人が、左利きだった。
基本から叩き直してもらった。
その結果なのか、大和郡山市代表にまでなった。
陣内貴美子さんや日本代表選手と一緒に練習させてもらうこともあった。
月曜日の休館日以外は、ずっと、バドミントンをしていた。
子供たちも体育館に行くのが大好きだった。
仕事に復帰してからも週3回は練習をかかさなかった。
娘は、幼稚園の同級生のお母さんから
「あの左利きのバドミントン上手い人がお母さん?」
て言われたと喜んでいた。
市内では、敵なしだったかも。
再び、広島に戻った。
会社のバドミントン部に復帰。
噂はすぐに広まって、
「うちのクラブに来て下さい。」
とオファー殺到。
全日本レディース連盟に登録しているクラブから是非と言われ、
入部。
それから、年に30試合くらい出ることになったので、
正社員では難しく、パートの仕事ばかりしていた。
全日本レディースの試合は、平日なのだ。
3度の食事よりバドミントンが好きと言っても過言ではない。
まだ、オリンピック種目でもなかったが、
徐々に愛好者は増えていた。
この市には、バドミントン協会がなかったので、
現理事長と一緒にバドミントン協会を立ち上げた。
行政への働きかけは、理事長が、
私は、各クラブに参加を呼び掛けたり、
県の理事との連絡などを行った。
立ち上げ記念行事として、
陣内貴美子さんを迎えて、講習会を開催した。
多くの愛好者が集まって、オリンピック選手とプレー出来る喜びに溢れていた。
その後10年間、事務局として事務処理全般、プログラム作成まで担当した。
底辺を広げることに自分なりに尽力した。
一生、バドミントンを続けるだろうと思っていたし、
孫と出来るまでやろうと思っていた。
なのに…
アキレス腱を断裂して、復帰までに時間がかかった仲間を何人も見てきたし、
両足断裂してもまだ続けているのが信じられないとも思っていた。
3年前に一旦、バドミントンを止めた時、
もう復帰はしないだろうと思っていた。
やってみると、勝手に身体が動いてしまう。
衰えていることを忘れて
あ~
また、ため息。
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