すきなひと

 バイトをしたいと先生に言ったら、「いいところを紹介してやる」とドヤ顔で言われた。初めてのバイトで不安もあるから先生の知り合いだと少し安心かもしれない。

 先生に連れられて来たのは細い路地の奥にあるお洒落なカフェだった。憧れていたお洒落なカフェでのバイト。ワクワクするけれど、無愛想な私に接客業が務まるのだろうか。


「おーっす」


 私の不安をよそに、先生はドアを開けて入って行く。やっぱり知り合いのお店らしい。店長さん怖い人だったらどうしよう。ていうか先生、私を放置しないでよ!目の前で閉まってしまったドアにあたふたしていたら。


「あれ、お客さん?」

「……!」


 後ろから声を掛けられて、振り向く。そこに立っていたのはこの世のものとは思えないほど美しい男の人だった。


「……!」


 絶句して固まる私を、彼は不思議そうに見つめてくる。光り輝くプラチナブロンドの前髪の奥に見える色素の薄い瞳は優しく穏やかで、でもどこか不安定で妖しい色気を帯びている。スラリと伸びた手足。彼が一歩距離を詰めた。


「あ、もしかして。悠介の彼女?」


 コクコクと壊れたおもちゃみたいに機械的に頷くしかできない。ふっくらとした唇の間から白い歯が見える。あ、笑った……


「オイお前何して……あ」


 ドアが開いて、先生が顔を覗かせる。そして私の目の前に立つ彼に気付いて指差した。


「これ、ここの経営者。翔、これ彩香な」

「ふーん、そう。よろしくね彩香ちゃん」


 私は彼の色気にやられてしまって、しばらく動けなかったのだった。


「先生、あの人妖怪か何か?」

「はぁ?」


 お店に入って、翔さんがキッチンに入ってしまったので先生に小声で聞いてみた。先生は怪訝そうに眉をひそめて「人間に決まってんだろ」と言った。そりゃそうだよね。うん、分かるんだけど。あんな綺麗な人間いるんだ……。


「これ書け。契約書」

「え、面接とかないの?」

「翔ー」


 戸惑っていると、キッチンから翔さんが出て来た。この人の美しさに慣れる日は来るのだろうか。先生のカッコよさにも未だに目がついていかないのに。


「面接」

「うーん、彩香ちゃんだよね。四月から大学生?悠介と同じ大学か、頭いいんだね」

「えっ、いや、そんなことは……」


うっ、笑顔が眩しい……!


「悠介の彼女ならいい子だろうしいいよ。よろしくね」

「えっ、あ、よろしくお願いします!」


 呆気に取られていると、翔さんはニコッと笑ってキッチンに戻っていった。


「ほれ、契約書」

「こんなに簡単でいいの?」

「アイツいつもあんなんだ。昔からな」

「え、昔からの知り合い?」


 そういえば、先生は翔さんとどんな関係なのだろう。カフェを経営してるって、もっとおじさんなのかと思っていたらあんなに若いし。多分先生と同い年ぐらい……


「高校からの腐れ縁だ」

「えっ、あの写真に写ってた?」

「ああ。金髪もう一人いただろ」

「あっ、牧瀬さん?」

「そう。牧瀬翔」


 そうなんだ。何だか羨ましいな。大人になってからも付き合える友達に先生は高校で出会えたんだなって。


「彩香ちゃん、君には接客をやってもらうからね」


 先生は家でしなければならない仕事があるとかで一旦帰った。今日はのんびりカウンターに座ってどんな感じか見ててと言われてカウンターに座っていたのだけれど。翔さんの言葉に即答できなかった。私はなるべく人と関わりたくない。でも、私を紹介してくれた先生の顔に泥を塗るようなこともしたくない。

 翔さんの目は穏やかなのに何を考えているか全く読めない。先生もポーカーフェイスだと思っていたけれど、この人は比じゃない。緊張して萎縮してしまいそうになった時。


「おはようございます」


 ドアが開いて、女の人の高い声が聞こえてきた。翔さんの視線がそっちに向く。安堵して、強張った体の力が抜ける。


「すずちゃん、おはよう」


 あれ、翔さんの雰囲気が変わった……?張り詰めていた緊張感みたいなものが一気になくなって、翔さんの綺麗な顔がふにゃりと緩んだ。

 翔さんの手が伸びる。そして彼女の頬に触れた。ああ、そういうことか。


「……あ!」


 彼女がようやく私に気付いた。そしてりんごのように頬を染める。小さくてすごく可愛らしい人だ。


「すずちゃん、この子新しいバイトの彩香ちゃん。彩香ちゃん、仕事は基本的にすずちゃんが教えてくれるから」

「えっ、あ、よろしくお願いします」

「こ、こちらこそよろしくお願いします!」


 着替えてきますね、と言ってすずさんは更衣室に入っていった。二人が恋人同士であることは、翔さんの雰囲気ですぐに分かった。

 私は翔さんに言われた通りカウンターでずっと見ていたのだけれど、二人はさっき一瞬見せた甘い雰囲気など微塵も見せずにテキパキと働いていた。特に紅茶の淹れ方については翔さんはとても厳しいらしく、すずさんに厳しく注意するところも見た。仕事中とは言え、恋人にあんな風に叱られてショックじゃないのかなぁ。私は先生に注意されたらすごく落ち込むと思う。

 夜、ようやく先生が迎えに来てくれた。その頃にはお客さんもほとんどいなくなっていて、先生は私の隣に座った。お店はこんなに見つかりにくいところにあるのにすごく忙しそうで、とても大変そうだった。


「私できるかな……」

「慣れたら大丈夫だろ。おー、すずちゃんお疲れ」

「あ、悠介さんこんばんは」


 すずさんが隣に座る。翔さんは今キッチンにいて、私は気になっていたことを聞いてみた。


「あの……、翔さんに注意されてショックじゃないんですか?」


 彼女は目を瞬かせた後、ニッコリ笑った。


「うん、大丈夫。仕事に厳しいのは前から知ってたから」

「でも……」

「落ち込むこともあるけどね、その分頑張ろうって思うだけ」


 強い人なのだなぁ、と思った。私は弱いから、少し眩しい。こんなにコンプレックスの塊みたいな人間に、本当に務まるのだろうか。


「確かにアイツのギャップはすげぇよな。あ、来た」

「すずちゃんお疲れ。彩香ちゃんもずっと座ってばかりで疲れたでしょ。はい、アップルティー」

「あ、ありがとうございます。いい香り……」

「ご飯食べていくでしょ?すずちゃんにも賄い作るから待ってて」


 翔さんは、カウンター越しにすずさんの頬を撫でて額にキスをした。


「か、翔さん!人前ではやめてください……!」


 真っ赤になったすずさんが抗議するも、翔さんはどこ吹く風。


「だってすずちゃんが可愛いから」


 なんて微笑みながら言っている。確かにすごいギャップだ。すずさんは恥ずかしそうだけれどとても幸せそうで。先生もあんな風にしてくれないかな……なんて思って先生の横顔をこっそり見ていると。先生が不意に私を見た。


「何だよ」

「べっつにー」

「変な奴」


 先生がするわけないか。私は少しむくれながら翔さんがくれたアップルティーを口に含んだのだった。

 しばらくして、もう夜も遅いから先生が送ってくれることになった。先生は、歩く時も手を繋いでくれない。まぁ、誰かに見られたらまだマズいかもしれないから仕方ないんだけど。でも翔さんなら歩く時もすずさんと手を繋ぐんだろうなぁ。


「あそこでバイトしたら先生にもいっぱい会える?」

「まぁ、他でバイトするより会えんじゃねーの」

「私翔さんのこと好きになっちゃうかもよ?」

「……お前さぁ」


 あ、怒らせたかな。冗談だし、本心じゃないのに。また生意気なことばかり言ってしまう自分に後悔がこみあげる。誰もいない細い路地。先生が振り返った。

 次の瞬間、腕を引かれ腰を抱かれる。そして、唇が優しく重なった。


「……っ、」

「……彩香が可愛かったからキスした」

「っ、え……」

「俺はずっと、お前にキスしたいと思ってるよ」

「せ、」

「……翔みたいに甘やかしてほしいんだろ?」


 ば、バレてたんだ……。何度も顔中に口付けてくる先生に、心臓がバクバクと痛いくらいに跳ねる。


「っ、せ、せんせ……」


 深く侵入してくる舌に、翻弄される。息が上がって苦しい。唇を離すと、先生は甘い瞳で私を見つめた。


「まぁ、二人の時くらい甘やかしてやってもいい」

「……!」

「アイツみたいに人前では絶対やんねーぞ」

「う、うん!」

「お前が翔を好きになったら困るからな」


 至近距離で甘く微笑まれて。翔さんは綺麗で色っぽいけれど、こんなに私をドキドキさせるのはやっぱり先生だけだと思った。

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