違う顔

 あの噂は先生が言っていた通り瞬く間に広がっていった。退学になったのは違う学年の女の子で知らない人だったけれど。先生のほうは優しくてとても人気があったのに今は悪いことばかり言われていて。私と先生の間には何もないけれど、私のせいで先生がこんな風に言われるのは絶対に嫌だと思った。


「はーいここ間違えたから山下のおごりー」

「ごっつぁんでーす」

「クソがー!つーか生徒にたかる教師なんて聞いたことねーよ」

「これ契約だから。教師とか生徒とか関係ねーから。わかったらとっとと買ってこい負け犬」

「……!チッ」


 悔しそうにダンダンと足を踏み鳴らして部屋を出て行く山下を先生と私は笑いながら見ていた。始業式が終わって一ヶ月が経つけれど、私と先生の変な噂は流れていなかった。仲いいね?と聞かれることがたまにあったけれど、最近は二人ではなく山下もいるから。そのおかげで変な噂になっていないのだと思う。


「あーもう10月かー。焦るなー」


 進路が決まった者もチラチラと出てくる頃。センター試験まであと3ヶ月。寝る時間を削って勉強してはいるけれど、どれだけ勉強しても足りないような気がして確実にプレッシャーとストレスだけが増えていく。


「ねぇ先生。受かったら一回でいいからデートして」

「おーいいぞ」

「え?」

「あ?」

「いいの?!」

「おう、ご褒美」

「っ!が、頑張る!私頑張る!」

「おー頑張れ」


 ほら、先生との約束でプレッシャーやストレスより頑張ろうという気持ちが上回る。やっぱり先生の力は偉大だ。

 次の日。私は放課後に山下と二人で街を歩いていた。なぜこの男と二人なのか甚だ疑問ではあるが、学園祭の準備中に足りないものがあるから買い出しに行ってきてと頼まれたのだから仕方ない。山下は器用で何でもできるタイプかと思いきや、金槌で指を打つわペンキを何故か飛び散らすわ散々だった。不器用二人は買い出しお願い(邪魔だから)と言われ、二人で街へ来る羽目になった。


「あ、ソフトクリーム食べようぜ」

「はあ?ダメに決まってんじゃん!早く戻らないと!」

「えー!真面目だなお前」


 ……始めの山下のイメージと180°変わった気がする。人気者で明るくて何でもできる、そう思っていた。確かに人気者だし腹が立つほどに明るいけれど、中身はただの馬鹿だ。


「ふふっ」

「えっ、なに」


 突然笑い出した私を驚きながらも嬉しそうに山下が見てくる。私は山下を見て言った。


「私、完全無欠な人気者のあんたより馬鹿でガキなあんたのほうが好きだよ」


 胡散臭い山下より、今のほうがずっと人間らしい。人間は苦手だけれど、山下は苦手じゃないかもしれない。


「大橋、俺……っ」

「……あ」


 ……でもやっぱり、人間は苦手。だって結局、私に見せる顔と好きな人に見せる顔、全然違う。

 突然立ち止まった私に気付いた山下が私の顔を覗き込んだ後視線の先を追って。そして言葉を呑む気配がした。

 ああ、彼女なんだろうなってすぐにわかった。街の中で一箇所だけ切り取られたように見える景色。先生の車の助手席に当然のように乗った女の人を、先生は切なげに見つめていた。そして自分も運転席に乗って車は行ってしまう。

 切ないとか、悲しいとか、ショックとか。隣にいる山下に同じような気持ちを味わわせているのだと気付いて。私は泣きながら笑った。


「……今きっと、同じこと考えてるね」

「……うん」

「……想ったって叶わないのに、どうして諦められないんだろうね」


 山下が私を抱き寄せる。先生の煙草臭い服とは違い、清潔な柔軟剤の香りがして。山下のシャツが濡れていくのを申し訳ないと思う暇もないくらい、私はひたすら泣いた。

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