第31話クリスマスの予定

下に着る衣類が少しずつ増えていく。

今年ももう終わりというにはまだ早く、その前に若者には重要なイベントが待っている。

やってくるのだ。


―――クリスマスが。



「の前にテストでしょうが」

「おほっ」

彼の心の中を読んだのは誰でもない、葵だ。

放課後、教室に残ってテスト勉強を行っている一同。


はっきり言って与太郎の成績は悪い、今回のテストで赤点を取れば進級に響いてしまう。

それを耳にした美佐と葵は遊びに行くのを我慢して彼に勉強を教えることにした。


それはいい。

美佐は学年でトップクラスで葵も上位に入っている、それは許せる。


だが―――。


「あ、太郎そこ違うぞ」

「お前が成績いいなんて認めないっ」

いつもバカしている雄也は何気に頭がいい。


「加嶋君、前回の点はいくつだったの?」

机を四つ重ね、彼の前に座っていた美佐が質問する。


「60点かな」

「悪くないじゃない、全教科合わせていくつだったの?」

「60点かな」

「…」

返す言葉が見つからない美佐だった。


「与太郎はやればできる子なんだから頑張りなよ」

「オカンかお前は」

葵の言うとおり、彼はやればできる少年なのだが努力ややる気がいつも違う方向にいってしまう。


「そんなんじゃまたリサにバカにされちゃうよ」

「…うぐ」

一番突かれたくないところを攻撃してくる美佐。

修学旅行あたりから二人はリサと仲がよくなっていた。

休日もたまに会ったりしているらしい。


「くそ…あの女、昨日も家で…」

「…家?」

「おほっ」

彼女達にはリサが彼の家を行き来していることを内緒にしているのだった。


「家、って何かな加嶋君」

「山、ミーが怖いです」

「俺に振るな、恐怖で腰を抜かしそうだ」

美佐の笑顔から発せられる何か黒いもの。


「昨日もイエーイ、って叫んでたんだよ」

「…」

最近与太郎は美佐に対して恐怖を感じるときがある。

それは大抵リサの話や雄也と女子のことで盛り上がっている時だ。


「そういや太郎、前に言ってた二組のあの子のスリーサイズゲットしたぞ」

「おっと親友よ、今のタイミングでそれ言っちゃう?」

間違いなくわざとである。


「加嶋君」

「…はい」

「勉強に集中して」

「…はい」

彼女の異常な嫉妬、だがそれを理解していないのは与太郎だけだった。




去年のクリスマスはこのメンバーで過ごした。

飾り付けがされたリトライで大いに盛り上がって、今年もそうなるものだと思っていた。



「なぁ太郎、クリスマスどうすんだ?」

雄也の質問に反応をしたのは与太郎だけではなかった。

恋をしている者からすればその日は重要なイベント。


与太郎への想いが恋だとわかった美佐は顔を赤らめながら上目遣いで彼を見つめた。


「いつもどおりこのメンバーでやるか」

当然彼女のアイコンタクトに気がつくわけがなかった。



「はぁ…、どうするミー?」

「うん、まぁいいんじゃないかな」

「ん?んん?」


美佐は彼との二人きりのクリスマスを期待していなかったわけではない。

もちろん飯田リサには負けたくはない。

だけどこのメンバーで過ごす高校生活も彼女にとっては大切なこと。

その考えを悟った葵は席を立ち拳を作って掲げる。



「よぉし!それじゃ今年のクリスマスも与太郎の顔みたいに壮大にやろう!」

「壮大な顔って何!」



いつも通りのようで、決してそうではない。

美佐の頭の中ではライバルの存在がチラついていた。


―――あなたはいいの?


リサが普段与太郎と顔を合わしているのは知っている。

だが様々なイベントでいつも先手を打っているのは美佐。


彼が美佐たちと過ごすことが当然になっている有利さ。

正々堂々と戦うと決めた彼女は少し複雑な気持ちに追いやられてしまう。


「…リサはどうするんだろ」

ボソッと口に出す美佐に葵はため息をついた。


「リーは家の人とクリスマスやるってさ」

「カンフーの達人みたいなあだ名だな…」

その日のイベントはリサに邪魔されることはない、と与太郎はガッツポーズを取る。


「おい太郎、リーって誰よ」

「ヌンチャクが得意な人だ」

聞いたことのないワードに首を傾げる雄也。

この男だけ彼女の存在を知らなかった。



「ミー、ライバルの事気にしてどうするの」

男子が会話している隙に葵は美佐に注意する。


「葵」

「うん?」

あの時葵は本当に怒っていた。

だからもう親友には隠し事はしないと決めた。


「ライバルだからこそ気にしてるの」

「…でも」

「それに…」

雄也と喋っている与太郎に視線を向ける。


「負けるつもりはないよ」

「…」

「それは葵も気づいてるんでしょ?」

「そうだね」

勘が鋭いからこそ美佐が今どういう気持ちなのかが葵には理解できた。

今の美佐なら、例え与太郎が飯田リサの事が好きでも奪い取ってしまうだろう。


―――それくらい彼女は強くなった。







「ふぇあぁ~」

疲れた身体を大きく伸ばすと、ため息と欠伸が一緒に出た。

今日もいつも通りリサはリトライで時間を潰す。


「はい、コーヒー」

「ん、ありがとオーナー」

雪から温かいコーヒーを受け取り少しだけ喉に流し込む。

いつもなら何も考えずにただ時間が過ぎていくだけだったのだが、最近少し変わってきている。


記憶が戻ればこの場所のことも忘れてしまう。

これは恐怖なのか、それとも寂しい気持ちなのか。


そして日常の変化と言えば、覚えのない記憶が蘇ることがある。

覚えているわけではなく、まるでテレビの映像を見ているような感覚。



「リサちゃん、最近調子はどう?」

「ん」

カウンターから声をかける雪、夕方のリトライには客はいない。


「いつも通り、かな」

「そう、早く戻るといいわね」

「…」

励ましてくれている雪に返す言葉が見つからない。


記憶が戻って欲しい気持ちと、

本当に戻していいのかという気持ちが争っている。


記憶喪失になる前の飯田リサには何かがある、彼女はそう感じていた。


「どうしたの?」

「あ、ううん、なんでもない」

母と同級生の雪には悟られないようにしなくてはいけない。

特に隠し事の通じない葵の前では平然を保たなくてはすぐにバレてしまう。



「リサちゃんはクリスマスどうするの?」

「家で過ごすよ」

「与太郎君は?」

「何でそこでチンパンジーの名前が出てくるの」

雪といい美佐といい、彼女は彼に好意を向けたことはないと何度も言っている。

なのにいつも何かあると与太郎の名前を出してくる。



「今のアタシには好きな男はいない、それに」

出かかった言葉を飲み込んでしまう。

頭を軽く振って邪念を振り払う。


「好きになっても無駄なのよ」

全て忘れてしまうのだから。


余計な記憶は全て消え去ってしまう。

余計な記憶、それは今の彼女が過ごした日常。


近い未来、その時がやってくる気がしていた。


「リサちゃん」

「ん?」

カウンターから出てきた雪はゆっくりと彼女の元へと歩み寄る。


「無駄なんてないのよ」

「…」

「なかったことになんてならないよ」

優しい手がリサの頬に触れる。

笑顔の裏には少し寂しさを感じさせる何かがあった。


「あなたが忘れても、皆が覚えてる」

「アタシ自身忘れてしまったらそれは…」

リサの返答を最後まで言わせない雪。


「無駄じゃない」

「…」

「皆と過ごしたあなたとの時間を偽物扱いしないで」


ずっと彼女を見てきた雪はまるでもう一人の母親のようだった。


「与太郎君に怒られるわよ」

口論には強いリサだが、雪にはどうしてか言い返すことができなかった。

外野から見ていた彼女だからこそ言えることなのだろう。


「そうね、気を付ける」

「うんっ」


リサの記憶が戻れば間違いなく与太郎は嬉しく思うだろう。

彼にとって彼女の存在は迷惑なものでしかないことくらいはリサ自身が理解している。


でも少しくらいは思ってくれるのだろうか。


―――寂しい、と。

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