第29話不安

すでに脳がキャパシティオーバー状態となっていた。

与太郎は自宅の冷蔵庫に頭を突っ込んで瞑想する。



修学旅行で彼は完全に失恋したと思っていた。

友達としてもやっていくことは不可能だろうと覚悟を決めていた。

月曜の朝、美佐と葵は学校に来ていなかった。


3時限目を終え、何の理由もなしにスマホを取り出すとメッセージが一件入っていた。


【学校の屋上に来て】

休みのはずの美佐からのメッセージ。

時計を見ると、あと数分で次の授業が始まる。


「雄也!」

「…あん?」

席を立って急いで寝ていた雄也を叩き起こす。


「次の授業サボるからうまく言っといてくれ!」

「わかった、太郎の腹がビッグバンを起こしたと言っておく」

「たのん…いや、もうちょっと普通に伝えてくれ!」

教室の扉を開けて全速力で走る。

彼女からメッセージが届いていたのは二時限目が始まったあたりで結構時間が経っている。

階段を駆け上がり、その先にある扉を開け放った。



強めの風が吹いていた。

すでに到着していた美佐はフェンス前で景色を眺めていた。


「…栗山?」

「おはよう、加嶋君」

なびく黒髪を押さえながら彼女は振り返る。


「何でこんなとこに?」

「私ね、修学旅行の帰りに中村先輩に告白されて付き合ったの」

「…え」

突然死刑宣告を受けたかのような痛みが襲い掛かる。

祝福しなくては、と必死で言葉を探すが動揺して何も出てこない。


「さっきフッて来ちゃった」

「そうか、それはおめで…んんんんっ!?」

本日3年生は進路についての個別面談が行われているため実質休みのようなものだった。

状況と美佐の言葉の意味が理解できない与太郎。


「憧れと恋は全く違うものだって気がついたの」

本当はもっと早くに気がついていた。


動揺している与太郎をジっと見つめる美佐。

ああ、やっぱり私はこの人の事が好きだ、と改めて実感する。


「何で!もったいない!あの中村先輩だろっ?」

「うん、だけどこれは私の気持ちの問題だから」

いつもの控えめな美佐とは思えない表情に言葉を失う与太郎。


今、彼に告白する勇気も度胸も美佐にはある。

だけどそれは卑怯な気がしていた。


飯田リサは彼に好意を抱いていない、だが今の彼女には欠かせない存在だ。

だから正々堂々と戦うと決めた。


―――ただ、


「私、恋してるの」

「ん…えっ?」

たった今、憧れと恋は違うと言ったばかりの美佐。

逸らさずに真っ直ぐ与太郎の眼を見る。


「これは憧れじゃなく、恋だからね」

「…」


―――先手は打たせてもらうから。







「ダメだあぁぁ、意味がわからん!」

冷蔵庫から開けっ放し防止のサイレンが鳴り響いていた。


中村先輩のことが好きだから修学旅行の日にあの場所へ来なかったものだと思い込んでいた。

でもそれは好きではなく、憧れだった。

じゃあ何故あの時来てくれなかったのか。

そして何故、衝撃的なことを二人きりの時に伝えたのか。


「でも…恋してるって言ってたよな、それって…んぐああああ!!」

頭を突っ込んで横になっていた与太郎の腰に激痛が走る。



「ごめん、踏んだわよ」

「結果報告よりも事前報告にして!」

考えすぎて家の扉が開いたことに全く気が付かなかった。

もうすでに自分の家扱いで与太郎宅を利用しているリサ。


「で、何やってんのアンタ」

「頭を…冷やしてる」

「冷やす頭あったの?」

「立派なのがあります!」


リサは与太郎が今何に悩んでいるかはわかっていた。

結局あの後学校へ行かなかった彼女はリトライで時間を潰し、彼の帰宅を見計らってこの場所へとやってきた。



「ほらよ」

「ん…えっ?」

冷蔵庫から取り出した缶コーヒーを差し出す与太郎。


「え、じゃねぇよ、いらねーの?」

「もらうわ」

「んんん?」

普段と明らかに態度が違っている彼女に不思議に思ったが、特に気にならなかったので追求はしなかった。


彼女は今朝からずっとこうだった

ベッドにもたれてスマホを触りだす与太郎。

この家でのリサの定位置はベッドの上、壁にもたれながらテレビを見ていることが多い。

部屋が狭いという理由もあるが、二人の距離は結構近いことに今気づくリサ。


彼女を気にしない与太郎は背中を見られていることに当然気づかない。



栗山美佐は言った。


  「大切だとは思っていますよね」と。


記憶喪失である彼女にとって加嶋与太郎という存在は必要不可欠。

ただそれは今の飯田リサの性格上、ストレス解消要員程度としか考えていなかった。

少しずつ考え方が変わってきている。


記憶が戻ればもう二度と関わることはないことは確か。


「マジかよ、あのバンド解散したのか」

本来の飯田リサは今の彼女とは全くの別人。

庶民丸出しの与太郎と合うわけがない。


では何故、


―――あの時、アタシはあの場所にいた?




記憶を失った彼女が眼を覚ました時、与太郎はすぐ近くにいた。

パーカー姿でフードを被って顔を隠していた。


どうしてあんな時間にあの姿であの場所にいたのだろうか。

これは今のリサの意志ではない。


―――アタシは何をしようとしていたの?

本当に彼との出会いは偶然だったのか。



「おい、この画像って…、何ボーっとしてこっち見てんだお前」

スマホの画面を見せようと振り返る与太郎は自分がじっと見られていたことに気がついた。


「え…あぁ、何でもない」

「んん、やっぱ何かおかしいな」

「アンタの顔ほどじゃないわよ」

「はぁ?これでも学校じゃモテ…」

「…」

「たい願望を抱いて過ごしています…」



記憶喪失に不安になったのは初めてだった。

だがそれは決して自分自身が消えることではない。


「ねぇ」

「あんだよ」

「アタシがいなくなったら、どうする?」

「全財産使って祝賀会開く」

彼にとっては迷惑な存在でしかない。


「…そ」

「でもまぁ」

再び与太郎は彼女に背中を向けてスマホを触りだす。



「退屈にはなるな」

「…」


栗山美佐が言っていた彼を【大切】だと思う気持ちはわからない。

婚約者がいるリサは誰かに好意を抱いてはいけない。


リサ自身は記憶を取り戻したいと願っている。

だけどそれは本当に彼女の為になるのだろうか。



「腹減ったし晩御飯行って来る」

「ん、リトライか?」

「いや、栗山美佐と食べてくる」

「そっか、栗山とか……ええぇぇええ!?」

驚きすぎて彼の持っていてスマホが宙を舞っている。


「何でお前と栗山がディナーすんの!?」

「ここに来る前に連絡が来て、誘われたのよ」

「…」

呆気にとられて言葉を失う与太郎。


「やっぱわけわかんねぇえあああぁぁ!」

そして再び冷蔵庫を開け放ち頭を突っ込み始めた。



「ほんっとアンタってバカなの?それとも大バカ?」

「うるせぇ!」


どちらにしても考えてもしかたないのだ。

結局今何に悩んだとしても、悩んだことすら忘れてしまうのだから。



「いい加減、出てきなさいよ」

「だが断る!」

リサはそっと自分の胸に手を当てる。



―――ホント、早く出てきなさいよね。

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