第20話:佐藤君の身の上話

 2週間後の土曜日、また、横浜に行きたいと和美さんが言うので元町を

ぶらついて昼食をとった。その後、前もって佐藤君に電話をし、横浜駅西口の

交番前で11時に待ち合わる事にしていた。和美さんとは、以前と同じに、

午後4時半に高速バスの出発場所で待ち合わせた。


 佐藤君に会い、ビッグエコーというカラオケ屋で個室で、ゆっくりと飲食を

しながら、話をしようと言うことになった。そして先日の話の続きをした。

 今度は、佐藤君が木下信夫の事を聞いてきたので、近くの千葉県立稲毛高校

から千葉大へ入り三菱銀行に入社したと話した。佐藤君が、お前は中学時代

から信夫はクラスでもトップクラスの成績だったからなーと言った。


 銀行で、営業ノルマに追われて、身を粉にして働いたことを離すと、そんな

大変な仕事だったのかと驚いていた。 信夫が、自分は負けず嫌いの性格で、

何でも頑張り過ぎちゃうと言い、会社でも出世は早かったが無理がたたって

退職も早かったと笑った。


 2000年の12月に夫婦とも41歳で銀行を早期退職したと言うと、でも

金は大丈夫だったのかと聞くのでヤフー株など株式投資で億以上の金を作った

というと信じられないと言った。その後、株投資はリスクが大きいので

外貨投資をして資産を増やしてるというとお前は頭良いからなーと言い、

俺がやったら、直ぐ金を無くすだろうなと笑った。


 佐藤君に、今の仕事の内容を聞くと福祉関連の企業に勤めて20年経つが、

会社の本業の福祉では儲からないので他の仕事で儲けて福祉に投資してる

という感じだと言い、課長職でも給料も手取りで400万円程度で、今も

独身だと言った。弟はもっと少ないが13年前に結婚し3人の子供がいる

と笑った。


 弟の彼女の父が大企業の重役で車もマンションも買ってもらい。

 このまま行けば学費まで出しもらえそうだと話した。その点、俺は、不器用

で怖い顔してるから浮いた話の一つも無いよと佐藤健介が寂しそうに笑った。

 まーそう言うなよ、そのうち何とかなるさと木下信夫が肩をたたいた。


 そうして時間となって、木下は佐藤君と別れてバス停に向かった。少し

して和美さんが大きな買い物袋を持って帰ってきた。その後、高速バスに

乗って家に戻った。家について風呂上がりに、今日の話を和美さんに話す

と兄弟って、決して公平じゃないケースが多いものよと言った。


 2010年も11月を迎えて天津小湊の叔父さんの家に連絡して来週行く

と告げた。和美さんもついて行くと言うので2週間ほど魚釣りして、ゆっくし

、浜辺を散歩した。 天津小湊は、冬でも風は強いが寒くはない。

 途中で和美さんが帰るというので車で五井の実家まで送った。やがて12月

、今年もクリスマスパーティーを開き、その後、すぐに2011年となった。


 2011年は天変地異年で、1月上旬のオーストラリアと1月下旬の

ブラジル大洪水、インドの氷点下3度の大寒波と、未だかつてない異常気象

に見舞われた。その他、アラブの民主化運動の高まりと共に、チュニジア、

エジプトリビアと長期政権の独裁者が次々と倒された。

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