誓いのキス

 それからしばらくして。楓さんはパッと顔を上げると、いつもの王子スマイルで私を見た。


「帰ろうか」

「……はい」


 5時までに帰らないと、皇帝の機嫌が悪くなる。楓さんの気が済んだかはわからないけれど、帰るしかない。


「どうぞ」


 楓さんはわざわざ助手席まで回ってエスコートしてくれる。その仕草も嫌みじゃなくてスマートで。兄もこういうところ見習ったらもっとモテるのにって思った。


「……ハルちゃんはさ」


 車を発進させてすぐ、楓さんが口を開いた。私は楓さんの横顔を見る。……うん、文句なしにカッコいい。


「もし俺が君を好きだって言ったら、どうする?」

「………!」


 楓さんが、私を?か、考えたこともない……!エージさんだけじゃなく、楓さんまで……


「ま、まことに嬉しいお言葉ですが…、考えただけで頭がパンクしそうです……」


 真っ赤になってそう言ったら、楓さんは爆笑した。……なぜに爆笑?


「ごめんごめん、予想通りの答えだったから……」


 楓さんは相変わらず爆笑しながらそう言ったけど、謝られている気はしなかった。だって笑われてるし……!


「君の親友も、同じような反応してた」


 え……親友……親友って、莉奈のことだよ、ね……?


「返ってきた言葉はハルちゃんほど面白くなかったけど。反応はすごく可愛かった」

「莉奈にも、言ったんですか……?」


 楓さんを必死で忘れようとしてる莉奈に、そんなことを……?


「あぁ、言ったよ。真剣にね」

「……!」


 それって……


「ズルいよね。人の心の隙間に勝手に入ってきて、やっと素直になろうと思ったら翼のところに行こうとするなんて」

「楓さん……」

「……なんて、全部俺が悪いんだけど」


 楓さんはそう言って苦笑いする。さっき言っていた『楓が見てるのはもう私じゃないよね』って椿さんの言葉。それは莉奈を見てるってことだったの?しかも椿さんは、楓さんが莉奈を好きになってしまったことに気付いてるの……?


「……君たちが初めてスタジオに来た日。本当は俺、莉奈ちゃんを覚えてた。普通は抱いた女なんていちいち覚えてないんだけど、あの娘印象的だったから」

「……」

「……ずっとね、唇を噛み締めてたんだ。何かを耐えるように、俺があの娘を抱いてる間ずっと」

「……っ」

「普通はみんな嬉しそうに喘ぐのに、あの娘は頑なに声を出そうとしなかった。それが悔しくてさ。いつもは一回抱いた女はもう抱かないんだけど、再会してからも関係を続けた」

「……」

「だけどあの娘は一度も声を出そうとしなかった」


 莉奈……。莉奈は楓さんに抱かれてる時、何を考えていたんだろう。きっと、胸が張り裂けそうな痛みと闘ってたんだろうな……。


「そしたら急に関係やめるって言い出して、次は翼だろ?」

「……」

「……初めて後悔した。今まで遊んできたこと」

「……バカですね。それに最低」

「……うん、ハルちゃんの言う通りだね」


 楓さんはまた苦笑いした。私はそんな楓さんを見てため息を吐く。


「……莉奈をもう、傷つけないでください」

「……あぁ、わかってる」


 そんな会話をした後、すぐにお城に着いて。私と楓さんはスタジオに戻った。スタジオには全員がいて。ソファーに座っていた莉奈は楓さんの姿を見た途端、わかりやすく持っていたコーヒーを零した。


「おわっ!ちょ、莉奈ちゃん大丈夫?!」


 兄が片づけてる間も、莉奈は呆然としていた。いつも冷静な莉奈があんなに動揺するなんて。……莉奈の中の楓さんは、相変わらず大きい存在なんだと気付く。そんな莉奈を見て動揺する人がもう1人。ポカンと口を開けたまま楓さんと莉奈を交互に見る翼さん。相当鈍感な人でない限り、2人の間に何かあったって気づくだろう。


「なんか、あった……?」


 恐る恐る、本当にこの場の空気を壊さないように兄が言った。小さな声で。


「あ、何も……」

「うん」


 否定しようとした莉奈の言葉を遮ったのは、楓さんだった。いつも通り、本当にいつも通りの王子スマイルで言い放った。


「俺が、莉奈ちゃんに好きだって言ったんだ」


 兄や翼さんには理解できなかったと思う。さっき椿さんが連れて行かれたと思ったら、今度は莉奈が好きだなんて。まるで、問題を起こそうとしてるみたい。翼さんはサッと立ち上がってスタジオを出て行った。そんな翼さんを呆然と見ていた莉奈も立ち上がって。楓さんのところまで来て、思いっ切り頬を叩いた。


「なんで……なんでそんなことみんなの前で言うの……!」


 そう叫んで、泣き崩れた。


「ごめん……」


 楓さんは莉奈に叩かれた頬を手で押さえながら苦しそうに呟く。泣き崩れる莉奈を、兄が支えた。私は今にも崩れ落ちそうな楓さんを支えようと手を伸ばす。けれどその手はエージさんの言葉で無意識に止まった。


「陽乃」


 エージさんの声に、ピクンと体が跳ねる。


「翼んとこ行け」


 今まで黙っていたエージさんの突然の言葉。この声は、絶対に私に言うことを聞かせようとしている威圧的な声。……こんな時にエージさんの言うことを聞いて、失敗したことはなかったから。私は素直にエージさんの言葉に従った。

 翼さんはお城の中の客室の一つにいた。そこは前に兄と来たことがある部屋だった。


「……翼さん」


 私が呼びかけると、翼さんは一瞬私を見て、すぐに俯いた。私はベッドに座っていた翼さんの隣に座った。


「何しに来た?楓に言われた?」

「……いえ、エージさんに言われました」

「えーちゃんか……」


 翼さんはそう言った後、フッと笑った。自嘲するみたいに。そんな笑い方は、楓さんに似ていると思った。


「また、楓に持ってかれるんだ」

「……」

「昔から、大事なもんは全部楓が持ってく。ギターも椿も、りなも……」

「翼さん……まだ、莉奈は楓さんを選ぶって決まったわけじゃ……」

「楓を選ぶよ」

「……」

「だって俺は、莉奈に触れられない。手を繋ぐことも、頭を撫でることも、抱き締めることも……俺には、できないから」


 翼さんは自分の手を見つめて言った。いくら好きでも、いくら触れたいと思っても、どうしてもそれができなくて。それは、どれだけの苦しみだろう。エージさんに頭を撫でてほしい時。エージさんと手を繋ぎたい時。エージさんに抱き締めてほしい時。すぐそばにエージさんがいるのにそれが出来ないなんて、悲しすぎる。しかもそれが、相手が苦しんでる時なら尚更。

 どうして翼さんが女の人が苦手なのかはわからないけれど。翼さんは絶対に苦しんでる。莉奈に触れられないことに。……でも、でもね。それは莉奈が楓さんを選ぶ理由にはならないよ。


「翼さんは、確かに莉奈に触れられないですよね。だけど、だからって莉奈から逃げないでください」

「……」

「どうせ莉奈は楓さんを選ぶから、だからもう諦めようって思ってません?」

「……!」

「そんなの、莉奈が可哀想です。やっと翼さんを見ようって思ってたところだったのに。そんな莉奈から逃げるなんて卑怯です。……きっと莉奈も、気付いてます。翼さんには楓さんにはないいいところがいっぱいあるって」


 不器用な優しさ、純粋さ、私が翼さんといれば自然と笑顔になれるみたいに、莉奈もきっとそうだから。だって莉奈、翼さんの話になると表情が柔らかくなるんだ。いつもクールな莉奈が、感情を露わにして、楓さんをひっぱたいた。莉奈が翼さんを気にしてた。確かに莉奈の中にはまだ楓さんがいるかも知れない。でも、確かに翼さんも莉奈の中にはいるんだよ。


「だからお願い、莉奈から逃げないで……」


 楓さんとの恋に傷ついて、ボロボロになった莉奈を救ったのは、確かに翼さんだった。翼さんの気持ちだったから……。その時だった。


「ハル、なんであんたが泣いてんのよ」


 そんな、クールな声が聞こえたんだ。


「莉奈……!」


 ドアの前に立っていた莉奈は、目が腫れている以外はいつもと変わらない莉奈だった。莉奈はフッと真剣な顔になって、翼さんの前に行った。そして跪く。


「……翼さん」

「……っ」

「私を好きになってくれて、ありがとうございます」

「……」

「触れられなくてもいい……なんて嘘だけど。少しずつ、慣れていきませんか?私も協力しますから」

「……っ」

「私ずっと、翼さんのそばにいますから」


 莉奈のその言葉を聞いた瞬間、さっきから滲んでいた涙が溢れ出した。莉奈が……翼さんを選んだんだ。翼さんの想いが、通じたんだ。


「りな……」

「だからずっと、私を好きでいてください。私はそれだけで、頑張れるから……」


 そして莉奈は、包み込むように翼の手に自分の手を重ねた。翼さんが苦しくならないように、触れないで。それがなんだか、恋人同士が抱き合ったりキスしたりするより愛が溢れてる気がして。触れ合えない2人の、誓いのキスみたいで。私は感動しすぎて、声を上げて泣いた。


「ちょっとハル、泣きすぎ……って、翼さんも泣かないでください……」

「だって、だって……」

「りなが、俺を選んだ……」


 私と翼さんが泣くから。あまり泣かない莉奈も泣き出して。後で様子を見にきた兄に思いっ切り引かれた。


 その後、楓さんはまったく落ち込んでいる様子も反省している様子もなく。


「俺、翼と違ってモテるから」


 なんて王子スマイルで言っていた。けれど後で兄が私にだけこっそり教えてくれたんだ。

 莉奈が楓さんに遠慮せずに翼さんのところに行けるようにあんなこと言ったんだって。莉奈が翼さんを選ぶってわかっててわざと莉奈に告白して、翼さんの楓さんに対するコンプレックスをなくしたかったんだって。莉奈への気持ちは、本物だったんだって。

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