残像

 中2の春。ドンっと体を突き飛ばされて、屋上のフェンスがガシャンと鳴った。


「あんた律さんの何なの?!」


 閉じてしまっていた目を開けると、数人の女の人。たぶん1こ上の先輩。


「だから、兄です……」

「よくそんなわかりきった嘘つけるわね!全然似てないじゃない!」


 ……余計なお世話です。確かにりっくんはすっごいカッコいいかもしれない。確かに私は人よりちょっと地味かもしれない。『兄妹』って言われても信じられないかもしれないけれど、偽りようのない事実なんだから仕方ない。そんなことより、皆どうしてりっくんのことを知っているの?りっくんがこの中学校を卒業したのはもう3年前の話だ。


「ファンクラブの人間ですら近付けないのになんであんたなんかが…」

「ファンクラブなんてあるんですか?!」


 目ん玉が飛び出るかと思った。だって、あのりっくんに、ファンクラブ?!りっくん普段バカなのに……。


「ふっ。知らないの?律さんのファンクラブは律さんが中1の時に作られたもの。もう6年の歴史があるのよ」


 リーダー格と思われる先輩がなぜか誇らしげに答えてくれた。6年…すごいな。


「もう律さんには近付かないで!」

「無理です」


 同じ家に住んでるのに、どうやって近付くなと?でも私たちを『兄妹』と信じていないこの人たちに、私の言葉は生意気に聞こえたらしく。


「なめた口きいてんじゃないわよ……!」


 勢いよく振り上げられた手に、私は反射的に目を瞑った。……その時。


「おーおー、女の嫉妬って醜いもんなんだなぁ」


 そんな、軽い声が聞こえてきた。私の前にいる女たちはその声の主がどこかわからなくてキョロキョロする。けれど、私はすぐに見つけた。私が今いる場所よりも2メートルぐらい高くなっている場所。そこに、その人はいた。整った顔を、ニヤリと歪ませて。あんなカッコいい人、この学校にいたっけ?そんなことを思っていると、ようやくその人の姿を見つけた先輩たちはピシリと固まった。


「なん、で……」

「俺のこと知ってんすか?うれしーなー」


 なんで?この人有名なの?一人キョトンとしていると、その人はピョンと飛び降りて私たちに近付いてきた。


「この娘が何したのか知らないすけど、今日は俺に免じて許してあげてくれません?」


 その言葉に、私は目を見開いてその人を見た。……わかんない。なんで私を助けるの?面倒なことに首突っ込んでもいいことなんてないのに……。


「ね?先輩」


 その人が一言言うと、先輩たちは去って行った。「龍也くんに言われたら仕方ない」って言いながら……。この人、龍也って言うんだ。先輩たちの姿が完全に見えなくなると、『龍也』は私を振り返った。楽しそうに笑いながら。


「あんた何したの?よく呼び出されてるよね」


 ……そう。この人が言う通り、私はよく屋上に呼び出される。『律さんに近付くな』って。


「ここにいたら、いつもあんたが女に引っ張られてくるからさ。あんたかなり目の敵にされてるね」

「……私のせいじゃない」


 そうだよ、私は悪くない。りっくんは確かに私の兄なのに、勝手に勘違いして呼び出されても。まさか実の兄のりっくんから離れられるわけないし。……りっくん隠してるけど実はシスコンだし。それに私も、りっくん好きだし。


「ずっとここにいたんなら理由わかってるんじゃないの?」

「律さんに近付くな、ってやつ?」

「そうだよ、わかってんじゃん」

「え、本当にそれだけで呼び出されてんの?」


 『龍也』は目を丸くした。


「……そう。くだらないでしょ」

「同情するよ」


 女ってマジ意味わかんねぇ、と『龍也』は呟いた。


「で、律さんってのはほんとの兄貴なの?」

「うん、正真正銘実の兄」


 あまりにも信じてもらえないから市役所に行って戸籍を確かめた。確かに、りっくんは私の兄だった。


「マジで君可哀想だね

「……」

「君も可愛いのに」


 ガクンと顎が外れたような気がした。今この人、私のこと可愛いって言いました?


「お世辞はいいよ」

「お世辞じゃないよ」

「嘘はいいよ」

「嘘じゃないよ」

「りっくん見たことないから言えるんだよ」

「りっくん見ても言う自信あるね」

「ないよ」

「あるよ」

「バカだよ」

「バカじゃねーよ」

「絶対バカだよ」

「そっちがバカだよ」

「バカじゃねーよ」

「バカだよ」

「……」

「……」


 くだらない言い合い。でも、どうでもよくなった。りっくんは確かにカッコいい。私は確かに他よりも地味。コンプレックスに感じる時もある。けれど、りっくんは私の大好きなお兄ちゃん。私の自慢の、カッコいいお兄ちゃん。それは変わらない。


「……なんかありがと」

「いーよ」


 『龍也』はもしかしたら、私にそれを気付かせるために私の前に現れたんじゃないかと思った。……これが、龍也くんと私の、最初の出会い。


***


 『龍也』はやっぱり有名人だった。だから私が『龍也』に助けてもらったという噂は一気に学校中に広まった。そして。


「律さんに近付いた上に龍也くんまで!なんであんたばっかり…」


 私はまた屋上にいた。もう嫌だ。どうしてこんな理不尽な理由で責められなきゃいけないの?私が悪いの?地味だから?もう放っておいてよ……。


「知らない……」

「は?」

「りっくんが兄で何が悪いの?!ていうか、りっくんの苗字知ってる?!片桐だよ、私と一緒!そんなに信じられないなら、そんなにりっくんに近付く女が許せないなら自分でりっくんに聞けばいいじゃない!自分がりっくんに近付けばいいじゃない!」

「で、でも……」

「なんなら今ここでりっくんに電話しましょうか?!りっくんシスコンだから私がイジメられてるって知ったら黙ってないでしょうけどね!」


 その言葉に、私の前にいる女たちはあからさまに固まった。


「も、もういいわよ!」


 そして、逃げるように去って行った。意味がわからない。でも、言い返したの初めてだしスッキリしたかも。


「ぷっ、あははは」


 そんな私の耳に届いたのは


「どうもー。また会ったね、『片桐』さん」


 昨日と同じ、『龍也』の声だった。


「見かけによらず気強いんだね」

「……嫌になっただけ。的外れな嫉妬で呼び出されるのが」

「確かに、妹に嫉妬するのはおかしいね」


 穏やかに笑う『龍也』。実はこの人は有名人らしい。


「ねぇ、『龍也』」

「んー?」

「『龍也』って何者?」

「何者ってどういう意味?」

「なんか、有名人みたいだし」

「……俺のこと知らない?」

「うん」

「ほんとに知らない?」

「だから、うん」


 私がそう言うと、『龍也』は驚いた顔をして、だけどまたすぐに穏やかに笑った。


「はは。すげー新鮮」

「なんで?」

「いや、うん、まぁ気にしなくていいよ」

「……?」


 『龍也』は私のほうに向き直った。


「長岡龍也。2年3組」

「えええ、同じクラス?!」

「みたいだね」

「し、知らないとか本当にごめんなさい……!」

「俺あんま授業受けてないから。仕方ないよ」


 そういえば一つ、いつも空いてる席があったようななかったような……。


「下の名前何て言うの?」

「え?あ、あたしは…陽乃」

「ふーん、だから『ハル』って呼ばれてるんだ」

「なんで知ってんの?!」

「同じクラスだから」

「……」


 別にいい、ってさっき言ったくせに私が『龍也』を知らなかったことを根に持っているらしい。『龍也』は嫌みったらしく笑顔で言ってきた。


「……ごめんなさい」

「はは。まぁこれから覚えてくれたらいいよ」

「うん」

「俺基本的にここにいるから。また嫌なことがあったらここに来なよ」

「……うん、そうする」


 その日から、私はよく屋上に行くようになった。『龍也』が言った通り、『龍也』はいつも屋上にいた。教室には全然来ないくせに屋上にはいつもいた。


「『龍也』、授業出なくて大丈夫なの?」

「うん、俺成績トップだから」


 絶対嘘じゃん、って思ってたのに中間テストで『龍也』は本当にトップを取っていた。驚いていると、


「だから俺頭いいって言ったじゃん」


 と『龍也』は笑った。テスト期間中は、『龍也』はさすがにちゃんと教室に来ていた。教室では一言も交わさなくて、目すら合わなくて。少し寂しかったけれど屋上に行くといつもの『龍也』だったから安心した。


「俺、好きな娘いるんだよね」


 ある日、『龍也』がいきなりそう言った。いつも通りの屋上で、いつも通りの口調で。だから私は思わず『龍也』を二度見してしまった。そして、なぜか私の胸がズキリと痛んだ。なんで?『龍也』を取られそうだから?もしかして私、『龍也』のこと好きなの……?


「ハル?」

「……っ、な、なに?」


 気付けば目の前に『龍也』の顔があった。綺麗な顔はりっくんで見慣れているはずなのになぜか私の胸のドキドキは治まらなかった。


「俺のさっきの言葉無視?」

「へ?あ、あぁ、どんな娘なの?」

「可愛くてよく喋って、大人しそうに見えて実は気強い娘」


 そう言った『龍也』の顔は優しくて。本当にその娘が好きなんだって思った。


「そ、なんだ……頑張ってね!」

「おう。ハルは好きな奴いねーの?」

「……いないと思う」

「なにその微妙な感じ」

「い、いない!」

「……そっか」


 『龍也』がそう言った後、なんとなく2人の間に気まずい空気が流れて、お互い何も話さなくなった。どうしよう。私『龍也』のことが好きなのかもしれない。『龍也』に好きな人がいることが、こんなに痛いなんて。


「……俺、本当にその娘のこと好きなんだよね」


 追い討ちをかける『龍也』の言葉。胸の痛みは治まらない。


「……そんなに好きならその娘に言ったらいいじゃん」

「だから言ってんじゃん」

「……」


 は?まさか……。いやいや、ナイナイナイナイ『龍也』だよ?理由は知らないけれど有名な『龍也』だよ?ナイナイナイナイ


「あの、何をおっしゃってるかよく意味が……」

「だから、好きだっつってんの」


 ……ナイナイナイナイ!


「どなたがどなたを?」

「だから俺がハルを」

「そりゃナイよ!」


 ナイナイ!だって『龍也』だよ?『龍也』が私を?ナイナイナイナイ!


「ナイってそれヒドくない?」

「だってナイでございます!『龍也』はアレで、私はソレであるからして……ナイ!」

「いや、そのパニクり様がナイんだけど」


 『龍也』はなぜか冷静に突っ込みを入れる。


「……今告白してるの誰?」

「俺」

「されてるのは?」

「ハル」

「ナイ!」


 普通告白ってするほうがパニックになるものじゃないの?なんでされてる方の私がパニックになっているの?……ナイ!


「いや、そんなにパニクられたらなんか俺が冷静になってしまうっていうか……」

「なんで思考読んでんの?」

「全部口からだだ漏れだっつーの!」

「……ナイ!」

「お前ナイナイ言いすぎ」


 そう言って『龍也』は私の口を手で塞いだ。必然的に近くなる距離。顔が熱い。きっと今私の顔真っ赤なんだろうな……。『龍也』は息がかかるほどの至近距離で囁いた。


「なぁ、好きなんだけど。ハルは?俺のこと好き?」

「……」


 わからない。わからないけれど。『龍也』を他の女の子に取られたくない。ずっと『龍也』のそばにいたい。そう言うと、『龍也』は微笑んだ。


「それって俺のこと好きなんじゃん」


 と言って。


「ハル、俺の彼女になって」


 ゆっくり頷くと、『龍也』は嬉しそうに笑った。私の初めての彼氏は、何だか得体の知れない有名人。この人と付き合ったりしたら、また女子たちに目の敵にされる。そうわかっていて私は『龍也』の気持ちを受け入れた。けれど私の中学生活は『龍也』と付き合う前よりも平和で。私たちはこれからもずっと一緒で、こんな幸せがずっと続くんだって、そう思ってた。


***


「龍也くんいるー?」


 屋上に着いてそう言うと、上から眠そうな返事が聞こえた。屋上の、少し高くなってるところ。私たちの特等席。龍也くんと付き合うようになって半年。季節は冬。もうすぐクリスマスだ。


「なぁ、なんで付き合う前呼び捨てだったのに今くん付けなわけ?」

「んー、なんでだろう。なんか恥ずかしい。」

「ふーん」


 二人でいると、穏やかに時間が流れる。龍也くんはたまに、キスしてくれたりするけど。恋人らしいのはそれくらいで、あとは友達みたい。私は龍也くんと手を繋いで帰る帰り道が大好きだった。りっくんは私に彼氏ができたのが相当悔しいらしく。一応隠そうとしているけれど、龍也くんへの敵意は隠しきれていなかった。

 龍也くんと付き合うようになってから、私は呼び出されなくなった。絶対なんか言われるだろうな、と覚悟していたにもかかわらず。りっくんのことでも呼び出されなくなった。『龍也くん何かした?』って聞いても龍也くんは穏やかに笑うだけ。絶対龍也くんが何かしたんだと思う。

 けれど私はこの時、すごく幸せだった。


「ねぇ、龍也くん」

「んー?」

「ららら来週の日曜日暇?!」


 緊張のせいで噛んでしまった。穴に入りたいほど恥ずかしい。


「来週?あー、その日友達と約束がある」

「……っ、そっか」


 友達と約束か……。仕方ないよね。……クリスマスイヴだけど。一緒に過ごしたいなぁって、思ったけど……。


「なんだった?」

「ううんっ、なんでもな……ん?」


 ここでやっと違和感に気付く。イヴに一緒に過ごせないと思って落ち込んでいたから気付かなかった。龍也くん、すごく楽しそうなんですけど……!


「……なんでそんなに楽しそうなの」

「は?なにが?全然楽しそうじゃないよ」


 明らかに楽しそうだよ!ニヤニヤしてるじゃない!


「なんでニヤニヤしてんのよー!」

「アハハ、ごめんごめん。そんな怒んなって」

「なんでニヤニヤしてんの!理由を言ってよ!」

「クリスマスイヴ、一緒に過ごしたい?」

「……!」


 どうして?気付いていたの?私がイヴを一緒に過ごしたいって思っていること……。私が少し躊躇いながらコクンと頷くと、龍也くんは優しく笑った。


「友達と約束あるなんて嘘だよ。真っ赤になってるハルが可愛くてつい意地悪した」

「……え」

「ごめんな。一緒に過ごそ?ていうか過ごしてください」


 龍也くんは、少しだけ意地悪で、でもやっぱり優しくて。そひて龍也くんの腕の中は温かくて。私はこの人のことを、本当に愛しいと思った

 そしてイヴ当日。龍也くんと出かけるのは久しぶりだった。早く会いたいなぁ。どこに行こうかなぁ。その前に何着よう!10時に龍也くんが迎えにきてくれる。ただ今の時刻は8時。この2時間が長いなぁ……なんて思いながら当日の朝を過ごしていた。


「ハル」

「りっくん!どうしたの?」


 りっくんは私の部屋の前に立って、複雑そうな顔。


「……今日デートか?」

「う、うん……まぁ」

「行かせねぇ!」

「あ、そう。ねぇ、これとこれどっちがいいと思う?」

「俺はワンピースがいいな。……じゃなくて!」

「なによ」


 今はりっくんの相手をしてる暇も精神的な余裕もないのに。


「だから行かせねぇって言ってんだよ!」

「だからわかったって。あ、携帯鳴ってる」

「おいぃぃ!」


 メールは龍也くんからだった。


『ごめん、今日行けなくなった。ほんとごめん』


「……」


 龍也くんからメールが来た時点で嫌な予感はしていたけれど。それでも違うかも……って期待していたのだけれど。


「……りっくん、心配しなくていいよ」

「あ?」

「今日、なくなった」

「え……」

「龍也くん行けなくなったって」


 私が必死で笑っていたのに。りっくんがそんな少し泣きそうな、複雑そうな顔しないでよ。


「りっくん、大丈夫だよ?」

「……ハル」

「んー?」

「俺とデートしねぇ?」

「え……」


 りっくんは笑顔だった。私の大好きな、優しい笑顔。


「……りっくん、一緒に過ごしてくれる人いないの?」

「ハルちゃんうるさいんですけどー。そこ別に触れなくていいと思うんですけどー」

「ふふ、ごめんごめん」


 イヴに兄妹でデートと言うのも何だか寂しい気がするけれど。りっくんと出かけるのも久しぶりだからちょっと嬉しいかも。


「よろしくお願いします」


 私がかしこまって頭を下げると、りっくんはその頭を撫でてくれた。

 すれ違う女の子が、みんなりっくんをチラチラ見ていく。私はこの人の彼女じゃないですよ!と、出来る限り離れて歩いた。


「ちょ、おいハル!そんな離れられたら俺ショックなんですけど?!」


 私の気持ちに全然気付かないりっくんはそう言って寄ってくる。


「寄るなぁ!」


 と言うと、りっくんは一瞬で泣きそうになった。


「なんだよ、兄ちゃんすっげー悲しい」

「………」

「おい、そんな冷めた目で見るなよ。ほんとに哀れな奴みたいだわ」


 それにしても、りっくんはどうして予定がなかったのだろう。りっくんはモテるはずなのに。ファンクラブがあるぐらいだもん。


「りっくん、なんで彼女作んないの?」

「ちょっ、それ二度とフリーの奴に言うんじゃねぇぞ。なんかすっげー惨めな気持ちになるから」

「でもモテるでしょ?」

「うん、まぁな」

「……」

「おいぃ!置いてくな!調子に乗りましたごめんなさい!」

「……」

「……まぁ、そんなにモテねぇよ」


 りっくんは少しだけ真剣な顔になって言った。


「誰かに好きって言われてもさ、本気で好きな奴に振り向いてもらえなかったら意味なくね?」


 もしかしてりっくんは、辛い恋をしているのかもしれないと思った。


「りっくん、好きな人いるの?」

「いや、いねぇけど」


 ……殴っていいですか。


「ハル、なんか欲しいもんねぇの?せっかくのクリスマスだから兄ちゃんが」

「え、嘘!私犬が欲しい!」

「……父さんと母さんに買ってもらえるように頼んでやるよ」

「……りっくんが買ってくれるんじゃないんだ」

「アクセサリーぐらいなら買ってやる」

「ちっ」

「ちょ、今舌打ちした?!したよね絶対したよね?!」


 なんだかんだ言って、りっくんといるのは楽しかった。映画見たり、買い物に付き合ってもらったり。何にも気を使わなくていいし、楽しかった。だから今日龍也くんと過ごせなかったことなんて、頭から飛んでいた……のに。


「そろそろ帰るか」

「うん、そうだね」


 それはもう、仕組まれたようなタイミングで。休憩していたカフェから出た時。ドラマみたいに、龍也くんと鉢合わせしたんだ。


「……ハル」

「龍也、くん……」


 なんで龍也くんがここにいるんだろう。用事がここであったのかな。その前に。龍也くんの腕に自分の細い腕をを絡ませている綺麗な人は……だれ?


「てめぇ、ここで何してんだ」


 隣からりっくんの低い声が聞こえる。私は何も言えずにただ龍也くんをジッと見ていた。


「あ、もしかして龍也の彼女さん?」


 あなたはだれ?どうして龍也くんのこと呼び捨てにしてるの?


「麻里、お前は黙ってろ」


 どうして龍也くんもその人のこと、呼び捨てにしてるの?


「おい、お前今日ハルと約束してたんじゃねぇのかよ。ハルよりその女のほうが大事ってか」

「……っ、コイツはそんなんじゃ……」

「そんなんじゃなくてもソイツを優先してんのは事実だ」

「……っ」

「もうハルには会わせねぇ。ハル、帰んぞ」


 りっくんは私の手を引いて歩き出した。私はどうしたらいいのかわからなくて、何を言ったらいいかもわからなくて。ただギュッとりっくんの手を握った。


「ハル……!」


 不意に、龍也くんがりっくんに掴まれていないほうの手を掴んだ。


「違う、ハル。話聞いてくれ。このまま終わるなんて、絶対に嫌なんだよ……!」


 ねぇ、私。どうしたらいいの?それからなぜか息が上がって、苦しくて。私の手を握ったまま唖然とする龍也くんを、りっくんが無理やり引き離して私をギュッと抱き締めた。それからのことはよく覚えてない。気がつけば自分の部屋のベッドで寝ていて。りっくんが優しく微笑んでいた。


「りっくん、私…」

「大丈夫。ハルが心配することは何もない」

「りっくん……」

「俺がそばにいるから」


 私はりっくんの腕の中でわんわん声を上げて泣いた。頭はまだ混乱していた。

 冬休みは、毎日のように龍也くんが家に来た。りっくんが家にいる時はりっくんが龍也くんを追い払って。家に一人の時はチャイムの音が聞こえないように布団に潜った。

そしてとうとう、冬休みが明けた。始業式の日、教室に行くとめずらしく龍也くんが教室にいた。そして私を見つけると泣きそうな顔をした。

 龍也くんは私を屋上に誘った。久しぶりの屋上。クリスマス以来の龍也くんはげっそりしているように見えた。


「ハル……久しぶり」

「……うん」


 龍也くんは無理に笑っている。ねぇ、龍也くん。私たち、2週間前まであんなに幸せだったのに。一体どこで間違ったんだろうね。イヴの日かな?……いや、本当はもっと前から、どこかがおかしくなっていた気がするんだ。


「ハル、麻里は……」

「うん」

「俺が大阪に住んでた時に、隣の家に住んでて幼なじみみたいなもんなんだ。アイツ、3学期からこっちに引っ越してきて、この学校に通う」

「うん」

「あの日は、アイツの引っ越しの日でどうしても手伝わなくちゃいけなくて」

「うん」

「ハル……」

「うん」


 私はそこでハッと我に返った。龍也くんが私を悲しそうに見る。私、ちゃんと話聞いてなかった。頭がちゃんと働かなくて、ずっと頭に薄いもやがかかっている感じで。反対側の耳から、龍也くんの言葉が全部出て行ってしまってた。


「ご、ごめ……」

「ハルは悪くないよ。傷つけてごめん」

「……」

「だけど、アイツとはほんとに何もないんだ。それだけは信じて」

「……うん」


 龍也くんも私も『別れよう』とは言わなかった。別れたほうがいいってわかっていたのに。どうしても言えなかった。

 その日の放課後だった。帰ろうと思って下駄箱を開けたら……靴が、なかった。くだらないことをするなぁと思った。気に入らないことがあるなら面と向かって言えばいいのに。なんて卑怯なんだろう。

 それからはもう散々だった。教科書がなくなったり体操服がなくなったり。その度に過呼吸になって、その度に龍也くんが私を抱き締めた。安心させるように、優しく。龍也くんはそのためかはわからないけれど、いつも教室にいた。

 そんなことが続いたある日。とうとう屋上に呼び出されて。私の前にいたのは、イヴの日に会ったあの人だった。


「ねぇ、片桐さん」

「……」

「いつになったら龍也と別れてくれるの?」


 ……なんとなく、予想はついていたんだ。この人が龍也くんを好きなのは見ていればわかったし、いやがらせが始まったのもこの人が来てからだし。


「私、本当はこんなことしたくなかったんだけど」

「……」

「龍也が辛そうだったから」


 そんなこと、私が一番わかっている。だっていつも私を抱き締める時、龍也くん震えてるから。


「龍也、あなたが過呼吸になるの面倒だって」

「……」


 この言葉は少し、予想外だったかな。ねぇ、知ってる?私、なりたくて過呼吸になってるんじゃないんだよ。私だってなりたくないんだよ。苦しいんだよ。ねぇ……

 その時。大きい音がして、誰かが私を呼んだ。……大好きで大好きでたまらなくて。暗闇の中で、一筋だけ光が見えていたの。それは淡い光で、今にも消えそうだったけれど。それがあったから私は立っていられたんだ。

 ねぇ、龍也くん。信じてたものがなくなる時ってこんな感じなんだね。幸せが崩れる時って、こんな音がするんだね……。


「ハル、違うんだって!俺は…」

「……らない」

「え?」

「もう、いらない……」

「……ハル」


 私は伸ばされた龍也くんの手を振り払った。もう龍也くんの顔も見えなくて。全部全部、見えなくて。


「俺、別れたくねぇよ……ハル、頼むから……」


 私を呼ぶのは、誰?私の前で泣いているのは、誰?もう、何も見えない……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る