だから親友
それからずっとベッドの上で抱き合って、たまにエージさんのキスを受け入れて。エージさんの心音が心地よかった。こんな状況で落ち着いていられるのはエージさんのおかげだと思う。それからどれくらい時間が経ったかわからないけれど気付けば、窓の外は真っ暗だった。そしてそれは突然だった。ブー、ブーと無機質な音がスタジオに響き渡った。
「俺だわ」
そう言ってエージさんが立ち上がる。そして机の上の黒い携帯を取った。
「はい。……あぁ、うん。今は落ち着いてる。……わかった。……は?知らねぇ。……じゃぁな」
エージさんは電話を切ると、入り口に向かった。そして何か白い袋を持ってすぐに戻ってきた。
「これ、楓からの土産」
そう言って渡された袋の中身を見ると、そこにはクッキーとかスナック菓子とか、いろいろなものが入っていた。
「楓さん来てたんですか?」
「らしい。一回来てそれ置いて帰ったみたいだな」
「さっきの電話、楓さんからだったんですか?」
「いや、律」
「へっ?」
「りな、見つかったって」
「……!ぶ、無事なんですかっ?」
「あぁ。泣き疲れて眠ってるって」
よかった……。やっぱり莉奈は、兄のそばでは泣けるんだ。本当によかった………。
「今からスタジオ来るって」
「はいっ」
「てか、楓いつスタジオ来たんだろ」
「さぁ……?」
「見られたかもな、チューしてるとこ」
「……っ!」
衝撃……!そうだ、ここはスタジオ。誰が来るかわからないスタジオ!次、楓さんに会う時どんな顔して会えばいいんだろ……。
「週間業務終わってからだから5時ぐらいか。アイツら行ってすぐだな」
そっか、じゃぁチューしてるところは見られてないかも……でも抱き合ってるところは確実に見られてるよね!
「楓さんの週間業務って毎週水曜なんですか?」
何気なくした質問だった。けれど、エージさんの口から出たのは重く、残酷な答えだった。
「あぁ、椿が亡くなったの水曜だから」
「……!椿、って……」
「楓の、昔の恋人」
楓さんの、忘れられない人。莉奈を抱いてる時に囁く名前。『亡くなった』、昔の恋人。
「椿が亡くなったのは3年前らしい。俺も会ったことねぇんだよ。楓と出会う前だから」
エージさんは淡々と話し続ける。王子な楓さん。優しい楓さん。女たらしな楓さん。自分と関係を持った女を軽蔑する楓さん。私が知っているのはその程度。エージさんの口から出る楓さんの『陰』が、私の胸を締め付ける。
「椿が亡くなってから毎週水曜、アイツは椿に会いに行ってる。遊ぶようになったのもその頃かららしい」
「……」
「アイツは椿の代わりを探してんじゃねぇ。椿の代わりなんていないことはアイツが一番わかってる」
「……」
「復讐、してんだ。自分を汚すことで……」
エージさんの綺麗な顔が歪んだ。復讐とはどういう意味なのか。誰に向けての復讐なのか。どうして自分を汚すことが復讐になるのか。私にはわかんなかったけれど、楓さんもエージさんも苦しんでいることだけはわかった。
「エージさん……」
首にギュッと抱きつくと、エージさんは頼りなく抱きしめ返してくれた。
「俺も、最近まで知らなかった。楓が何に苦しんでるのか。お前とりなに出会ってから、やっとアイツが心開くようになった。似てんだってよ、お前。椿に」
「……っ」
「アイツ言ってたよ。『あぁ、俺やっぱ椿みたいなタイプの女の子に弱いんだなぁって思った』って。アイツがお前には手出さないのもそういうわけだ。翼もそうだ」
「翼さん……?」
「あぁ。アイツら、幼なじみでさ。翼は椿に惚れてたらしい。だから翼も、お前には心開けんだよ」
『椿さん』という人が、どれだけ楓さんと翼さんに影響を与えてるのか痛いほどわかった。死して尚、二人の心に生き続ける椿さん。
「そんな話、私にしていいんですか?」
「あぁ。そのために、律が出会わせてくれたんだ。俺らみたいなバカを救うために」
「……っ」
「それと同時に、お前も救うために」
「……エージさ、…」
「お前が頼っていいのはもう律だけじゃねぇぞ」
「……っ」
「みんな、お前が大事だからよ」
この出会いは、偶然じゃなかったのかもしれない。もしかしたら兄は、私がエージさんを好きになることも莉奈が楓さんを好きになることも、全部お見通しだったのかもしれない。
「俺らと出会ってくれてありがとう」
エージさんの低くて甘い声は、確かに私のカラダに染み渡った。それから10分程経った時だった。ガチャッと音を立ててスタジオの扉が開いた。
「ただいま~」
気の抜けるような兄の声。それだけで酷く安心した。兄の背中で眠る莉奈は、瞼が赤く腫れていて。やっぱりいっぱい泣いたんだって思うと胸が痛かった。
「大丈夫か?」
翼さんが私の頭を撫でて優しく微笑んでくれた。
「わ、私は全然…」
「目、腫れてる」
「……!」
気付かなかった。そういえば私、結構泣いたかも。でも
「私は全然大丈夫です!それより莉奈は……」
「あー、となり町の公園のベンチに座ってた。律見た瞬間、泣き出して」
「そうですか……」
「楓にはバレてない?」
「……たぶん」
楓さんと話していないからわからない。けれど楓さんは、莉奈が自分のせいで泣いたと知ったらどうするんだろうか。どうもしないのかな。それとも、さらに莉奈を突き放すのかな……。その時。
「あ、莉奈ちゃん。目覚めた?」
そんな兄の声が聞こえた。そして
「ハルは……?」
弱々しい、莉奈の声。私はすぐに莉奈がいるベッドに向かった。
「莉奈……!」
「ハル。心配かけてごめんね」
「いいよ、そんなの!友達じゃん……」
涙が溢れてきた。安心だとか、色々な感情が混ざって。兄とエージさんと翼さんは気を利かせて外に出てくれたみたい。スタジオには私と莉奈の二人だけだった。
「ハル、私ね……」
「うん」
「昔、律のこと好きだったの」
「え……!知らない!」
「うん、だってバレないように頑張ってたもん」
「……なんで……」
「ハルから律を奪っちゃいけないと思ってたから。だけどね、あっさりフラれたの。というか、告白すらさせてもらえなかった」
「え……」
「告白しようって決めてた日にね、ハルが倒れたの。律、私とデートしてるのにすぐにハルのところに行こうとした。行かないで、私律が……って言ったところで止められた。ハルは俺しか頼れる奴いないから行くよって」
兄……。そうだ、兄は昔から。私のために……
「その時はすごく辛かったけど、もしあの時律がハルんとこ行かなかったらハルと私の関係は壊れてたかもしれないし、律とも今みたいな幼なじみでいれなかったかもしれない。そう思ったら、あぁ律でよかったなぁって。私の初恋律でよかったって思ったよ」
「莉奈……」
「だけどね、ハルに嫉妬したのも事実。あんたが辛い思いしてんの知ってたのに、律が迷わずあんたを選んだことにすごくイライラした。今だって、楓があんたに優しいことにイライラする」
「……っ」
「だけどね、もしかしたら私だけを愛してくれる人、いるかもしれない。だから、乗り越えるんだ。律の時も出来たから、今回もできる。いつか、楓を好きになってよかったって思えるように頑張るよ」
そう言って笑った莉奈は、すごく綺麗だった。
ねぇ、莉奈。私はずっと莉奈みたいになりたいって思ってたんだよ。莉奈に嫉妬してたんだよ。私たち、こうやって自分にないものを相手が持ってるから、一緒にいるのかもね。だから何だかんだ言って、私は莉奈のことが大好きなのかもね。
その日から莉奈は、今までにも増して綺麗になった。楓さんと気まずくしている様子もないし、だからと言って体の関係を続けてもいない。
『楓を好きになってよかったって思えるように頑張るよ』
莉奈のその言葉が蘇った。私と莉奈の関係は相変わらず。互いに深く干渉するわけではないけれど、いつも一緒にいる。何も変わらない私の周りだったけれど、一つだけ変わったことがあった。……山村さんがスタジオに来なくなった。そのほうが都合はいいんだけど、やっぱり気になる。エージさんに聞いてみようかなぁ?いや、でもなぁ……。なんて悩んでいた矢先。エージさんから
『今日授業終わつたらりなと大学来て』
ってメールが来た。……小文字の打ち方を教えるのを忘れていた。とりあえず『わかりました』とメールを返しておいた。
制服のままで大学に入るのはどうかと思ったから、私と莉奈はとりあえず門の前にいた。けれど莉奈はともかく私はどう見ても大学生には見えないから、目立つ。通る人たちはみんなジロジロ見ていった。莉奈はその人たちに『ジロジロ見んな』って襲いかかろうとする。莉奈を止めるのに必死だった私の耳に、聞き慣れた声が届いた。
「……何してんの?」
「か、楓さん……」
暴れる私たちを見て若干引き気味だった楓さんは、すぐに王子スマイルを浮かべた。
「プロレスかぁ。俺は見る専門だな」
「……」
まさかの楓さんの天然攻撃に、私と莉奈は言葉を発せない。そこに、哀れな翼さんがやってきた。
「おーっす。あれ、まだ楓だけ?」
そこで、私はずっと思っていたことを聞いてみることにした。
「今日は何があるんですか?」
「あ、エージから聞いてない?」
「はい……」
「今日はね、花火すんだって」
「花火……」
「うん。もうすぐハルちゃんたちも俺らもテストじゃん?それにライブまでそろそろ1ヶ月しかないからさ、あんま2人と遊べないと思う」
「……」
「だから花火しようって、英司が」
「あの英ちゃんが言い出すからビックリしたよな」
「あぁ」
楓さんと翼さんはなぜか嬉しそうに笑っていた。……そして。
「英司が感情取り戻したのはハルちゃんのおかげだな」
そう言った。『感情』を、取り戻した……?どういう意味かわからなくて固まる。
「おーい」
ちょうどその時兄とエージさんが一緒にやってきた。だから私は、さっきの楓さんの言葉を頭の隅に追いやった……。
「んじゃ行くかー」
兄の間の抜けた声で、皆動き出す。翼さんは相変わらず莉奈にはまだ近寄れないらしく、兄と楓さんにいじられていた。そしてさりげなく隣にいてくれるエージさんに、私は話しかけた。
「エージさん、小文字の打ち方教えるの忘れてましたね」
「あ?」
「小文字の打ち方は「英司くん!」
私の言葉を遮った声に、エージさんは緩慢な動きで振り返った。聞いたことのある声に、私も恐る恐る振り返る。そしてそこにはやっぱり。予想した通りの人が立っていた。……茜さん。プライドでいっぱいの、綺麗な人。茜さんはエージさんの傍に走ってくると、エージさんを見上げた。
「英司くん、さっきの話ほんと?」
「……」
「ねぇ、英司くん……」
「なんでわざわざあんたに嘘つかないといけねぇんだよ」
「……!じゃぁ……」
「あぁ」
何の話をしているのかはわからない。けれど、茜さんの綺麗な顔が少しずつ歪んでいくのがわかった。
「そ、そんなことしたらこの娘たちに……」
「そのためにマネージャーなんだけど。こいつらを守れるように、もし何かあってもすぐに助けられるようにマネージャーなんだよ」
「……」
「幸せなことにいるんだよな。俺らの『音楽』が好きな奴。俺ら自身じゃなくて。やっぱり、そういうファンを大事にしていきたいじゃん?」
「英司くん、でもあたし、本気で英司くんのことが…!」
「ありがたいけど。俺、惚れてる女いるんだわ」
エージさんの声は柔らかくて。けれど、これ以上茜さんに何も言わせないような強さを持っていた。そして、エージさんは茜さんに背を向けると私の頭に手を置いた。
「行くぞ」
茜さんは、歯を食いしばって涙を堪えているように見えた。……もしかして。
「エージさん、山村さんが最近来ないのってもしかして……」
「あぁ、あれは俺じゃなくて楓が言った。これからマネージャーしかスタジオに入れないからって。陽乃とりなは俺らの仲間だからって」
「……っ」
「……また泣くのかよ」
そう呆れたように言って、エージさんは私の涙を親指で拭った。
「んっとにお前は泣き虫だな」
「だ、だって……!」
「俺が律に怒られんだけど」
「うっ……」
「まぁ、いいか。泣き顔も悪くないし。もっと鳴かせたくなる」
ペロリと舌を出して、妖艶に笑うエージさんは、それでもやっぱり魅力的で。ここが外であることも忘れて飛びつきたくなった。けれど、「はやく~」って呼ぶ兄の声に、私とエージさんは歩き出した。エージさんの手は、しっかり私の手を包んでいて。手汗がすごく気になるけれど、エージさんは全く気にしていないように見えた。ずっと離さないでいてほしい。手汗なんか気にしないから、ずっと手を握っていてほしい。エージさんの綺麗な横顔を見てそう思った。
けれど、恋愛なんて、人生なんてそんなに簡単にうまく行くものでもなくて。
「俺、お前のこと好きっぽい」
そんな、曖昧な彼の告白で大きな波乱が巻き起こる……かも?
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