1441話 酒池肉家のビレイド

カースの心配をよそに、アレクサンドリーネは夜の街を歩いていた。酒池肉家を目指して。


「ここね……」


看板にはけばけばしい文字で大きく『酒池肉家』と書かれていた。


「いらっしゃいませ。お二人様でございますね。どうぞこちらへ」


「客じゃないわ。蔓喰のビレイドは来てるかしら?」


「そ、それは……」


「いるのね。三分だけ待つから呼んでもらえるかしら? または案内してくれるだけでもいいわよ。ほら、これ。とっておきなさいよ。」


艶かしい手付きで店員の手を取り、するりと握らせたのは一万ナラー。いささか過分ではあるが、これはカースの影響なのだろうか。


「こ、こっちです……」


自分より十歳以上も歳下のアレクサンドリーネに赤面させられた店員は、おどおどと案内を始めた。




暗い通路を経て、到着したのは頑丈そうな扉のある部屋だった。


「ここ、です……」


「ありがとう。行っていいわ。心配しなくても悪いようにはしないから。」


「は、はい……」


重そうなドアに手をかけようとするアレクサンドリーネに先んじてドアを開けたのはキヨバルだった。


「姫にこのような重いものを持たせるわけにはいきませんゆえ。」


精緻な彫刻を施されたドアがゆっくりと開く。開ききるのを待つことなく足を踏み入れるアレクサンドリーネ。そのまま一歩、二歩とゆっくり入っていくにつれ、騒がしかった室内が徐々に静かになっていった。


「蔓喰のビレイドはいるかしら?」


部屋の中央あたりで足を止め、奥の一際豪華なソファーに座っている男に向かい声をかけた。金銀の刺繍が入った煌びやかな服を着ている男だった。


「君みたいなきれいな女の子は一度見たら忘れないんだけどなぁ。どこの子?」


どこの店の娼婦かと訊ねるトーンだ。


「どこかと聞かれたらローランドね。それよりこの街で行方不明の子供を探すならあなたが一番頼りになるそうね。ここ二、三日の間で十歳ぐらいの男の子を見かけなかったかしら? 名前はシムよ。」


「ふぅーん? そこまで言われちゃあ仕方ないなぁ。で、対価は? そんな価値のなさそうな子供を一人探すなんて結構大変なんだよねぇ? それなりの対価を差し出してくれないとさぁ?」


「さあ? あなたが決めたら? 不可能なことを言われたら帰るだけのことよ。」


「へーえ? それはそれは。じゃあその場で服を全て脱いでもらおうか? そしたらその子供を探してあげるよ。嘘じゃない、誓うよ?」


「なっ! 貴様! このような可憐な姫に向かってなんと恥知らずな! 姫、帰りましょう! このような下郎の巣窟など!」


冷静なアレクサンドリーネに対してキヨバルは憤っていた。


「いいわよ? あっ、へぇ……あなたが『誓約使い』ね? じゃあ脱いであげる。ただし、私に指一本でも触れたら殺すわ。全員その場から動かない方がいいわよ?」


「なっ!? ひ、姫!? 一体何を!?」


「へえ? それも知ってるんだ? いい覚悟だねぇ。いいとも。見るだけにしておいてあげるよ。」


『闇雲』

『換装』


「全部脱いだわ。今の私は一糸纏わぬ姿よ。じゃあ誓ってくれたことだし、シムの件は頼んだわよ? もし違えたら……」


「姫……ごくっ……」


黒い雲に覆われてアレクサンドリーネの身体、その肩から下は見えない。

見えないが、彼女ほどの高貴な女が人前で衣服を全て脱いでいるという事実。それがキヨバルだけでなく、室内の全員を妙に興奮させていた。


胸元のアルテミスの首飾りだけが真紅の輝きを放っている。


「こいつは一本とられたね。本当に脱いでる以上文句も言えないなぁ。全部脱いで僕に裸体を隅々まで見せろと言えば良かったね。」


「分かればいいわ。私は沈まぬ夕日亭に泊まってるアレクサンドリーネ・ド・アレクサンドル。連絡を待ってるわ。」


『換装』


闇雲が晴れると、元通りの真っ赤なドレスをまとった姿が現れた。


「いいよ。どうせ引き渡す時に続きを楽しませてもらうから。」


「なっ!? 貴様!?」


「僕が約束したのはその子供を探すところまでだからね。引き渡しに必要な対価はそうだねぇ……五分間ほど君の裸体を隅々まで観察すること、でいいよね?」


「そうね……考えておくわ。見つけてからの話ね。」


そう言って部屋を出ようとしたアレクサンドリーネだったが……


「だめだね。誓ってくれなきゃ帰せないね。」


室内の人間が一斉に立ち上がり、二人を取り囲んだ。


「ふふ、そう。誓えばいいのね?」


「そうともさ。その子供を引き渡すから僕に君の裸体をじっくり観察させてもらうよ? 五分間に渡って隅々までね? 誓えるかい?」


「いいわよっおっ……」


「ぎゃあーっはっはぁー! よぉしよし! バッチリ効いたね。これなら退屈なガキ探しも楽しくなるってもんさぁ! 僕の『誓約魔法』からは逃げられないよ? 楽しみにしててね?」


「ええ。楽しみにしておくわ。」


「姫……」


絶句するキヨバルをよそに、部屋から出るアレクサンドリーネ。慌てて後を追うキヨバル。




「姫……あのような約束をしてよかったのですか? あれは契約魔法の一種でしょう? 生半可なことでは破れませんぞ?」


「問題ないですわ。裸を見せることぐらい何てことありませんもの。」


「侍女や召使いに見せるのとはわけが違うと思いますが……」


「どちらにしてもシムを見つけてからの話ですわ。私はもう二、三軒まわったら帰ります。あなたもそろそろお戻りになられた方が良いかと存じますわよ?」


「いえ、姫を宿に送り届けるまではお供します!」


キヨバルの意志は固いようだ。

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