陸の抄

過去視

過去視ー壱 六花

 『お供え淵』のそば、ちいさな社のなかに立つ一体の白地蔵。

 犬の飾りを首から提げて、辺り一面の紅葉のなか静かに鎮座する。昼間でもすこし薄暗いこの森ではその姿が際立って、ひどく異質なものにも見えた。


「こっわ」

 柊介の第一声は、それだった。

 遠目から見ると闇のなかにぼうと浮かぶ白いかたまりなのだ。怖いものが苦手な柊介にとって、この森といい地蔵といい、背筋を凍らせるにはじゅうぶんすぎる環境である。

「こわすぎるやろ、これはいくらなんでも」

「しゅう、お前そんなんでこれから先かんちゃんと付き合うていけるんか。あの人日常いっつもこういうの見てんねんで」

「……べつに、視界交換するわけとちゃうし──ていうか付き合うとかそういう話してへんし」

「は? なんのためにおれが先生のとこで一時間半近くも立ちんぼでくっちゃべってたと思てんねん。馬鹿野郎やな」

「っせえな」

 という誹り合いを傍目に、高村は手鏡を持って淵のあたりをうろうろと動き回った。

 そのうしろをちょこちょことついてまわる小町が、「おもうさま」となにかに気づく。

「以前、業平さまはここで『獣くさい』と仰せでした。小町は単に野良の獣があらわれるものかと思うておりましたが──もしかするとそういう臭いではないのかもしれません」

「獣くさい、か」

「あまり良くない場所とも。うろうろと動くのはよいですけれどお気をつけ遊ばされませ、おもうさま」

「ああ」

 手鏡が淡く光る。

 ここお供え淵で、鬼一が訪れたであろうときの光景をさぐっている状態だ。いわば、ラジオの周波数を合わせるような感覚である。

「これか──」

 天に鏡をかかげた。

 太陽光が手鏡に反射し、あたりはキラリと光に包まれた。あまりのまぶしさにウワッと子どもたちが目をつむり顔をそむける。

 つぎに彼らが瞳をあけたとき。


「え……?」

 いつの間にか目の前に、見知らぬ男が淵を向いて立っていた。


 ※

 これはお供え淵の記憶だ、と高村はいった。

 いま八郎たちはその記憶の情景のなかに立っていて、まるで三百六十度のスクリーンで映画を見ているかのような状態なのだとも。

 目の前に立っている男に触れようと八郎が手を伸ばすも、掴もうとした肩が空気に変わる。なるほど、記憶の映像というのはこういうことかと納得する。

「つまり、おれたちは向こうから見えてへんっちゅうわけ」

「そうだ。これはいわゆるノンフィクション映画だと思えばよい」

「なるほどね……」

 柊介はつぶやいて、閉口した。

 昨夜、環奈の夢のなかでふつうならば考えられぬことを経験したのだ。いまさらなにが来てもそう驚くこともなくなった。──とはいえ、そういうものに対する恐怖心は健在なのだが。


『お供え淵──』

 見知らぬ男がつぶやく。

 大柄で、ボロボロの衣服を身にまとい、無造作に切られた髪の毛とすこしやつれた頬からはよほどの苦労を想起させる。が、切れ長というかほぼ糸目の瞳と眉がゆるやかに弧を描いているので、どこか剽軽な性格なのかとも思わせる。

 とかく、ふしぎな男であった。

 しばらく淵の周囲をうろついていたが、背の高い葦に隠れ埋もれていた社を発見するや、そこに膝をついておもむろに草々を抜きはじめた。

 あっ、と八郎が声をあげる。

 その社のなかに現代のような地蔵がない。

「地蔵は?」

「もっと後世になってつくられたんやろ。いまわれわれが見ているんは、寛喜の飢饉からほどないころのこと。まだ白い娘が死んでそう時も経っていないころの話やからな」

「そうかァ……」

「ほんならこの社はなんのために?」

「おそらくは、このお供え淵に住まうと信じられとったカミサマでも祀っとったんちゃうか」

「なーる」

 ふたりは納得する。

 しかし小町だけは、男の顔を凝視したまま動かない。なにか思うところがあるのかぶつぶつと口内でつぶやいている。

「どうした小町」

「あ、いえ──。この方だれかに似ているなあとおもって」

 といって小町がふたたび男の顔を覗こうとしたとき、男は『やれやれ』と立ち上がった。


『しっぽを掴んだと思うたが、おれの半身はまたどこへ行ったのか』


 ぐるりと淵を見回す。

 男は、やはり鬼一法眼その人のようだ。

 のそりと水面を覗き、どこかさびしそうな声色で、彼はいった。


『村人を喰い殺して──そしてお前はいまどこにいる』


 とつぶやいたとき。

 水面が光った。

 うわ、と鬼一が後ろ手をつくのと同じタイミングで、ぼうっと目の前に浮かび上がる白いもや。

 それはやがて形を成し、少女の姿へと変わっていく。

「あっ、コイツ!」

「六花」

 柊介と高村が身を乗り出して少女を見つめた。

 真白な少女。着物も髪も肌も唇すべてが真白な彼女が、ただ一か所、真っ赤な瞳をじっと伏せて鬼一を見つめている。


『おのれは』

『…………』

『真白な少女がここの贄になったと、上の寺にて聞き及んだが──おのれがそうなのかえ』


 鬼一が問う。

 少女はことばこそなにも言わぬままこっくりとうなずいた。


『ああやはり──ではおのれは、黒い獣を見たのだな』

『…………』

『黒い獣、おのれを助くるべくして村人を食ろうたヤツを』

『……ハル、カゲ』


 さま、といった少女の足もと、水面に波紋が広がる。

 ぽたりと雫が落ちたからだ。

 その源は少女の瞳に湧いたあふれんばかりの泉からだった。


『ハルカゲ──その獣はハルカゲというのか』

『……おまえとおなじ匂いがする』

『あれはおれの半身なのだ。人を喰い殺したと聞いては放っておくわけにもいくまいと、七十年の時を経て吉野の山から下り、こうして尋ね歩いている。たのむ、知っておるならば教えてくれ。その獣はいまいずこ』

『…………』


 少女の瞳がゆがんだ。

 それは憎悪からくるものでもあり、歓びからくるものでもあるように見えた。

 不気味な形相ではあったが鬼一は一歩も引かずに少女へ詰め寄る。


『いずこ』

『……おぐらやま』

『なに』

『おぐらやまにて聞いてみな』

『小倉山とは──都のはずれにある、あの山か。獣はそこに?』

『おぐらやまにて聞いてみな』

『…………』


 少女はやがてうっそりと微笑む。

 水面に浮いた足をゆっくりと淵の際へとおろし、一歩、また一歩と足をすすめて鬼一へ近づいた。


『六花もつれてけ』

『なんだと』

『小倉山へとつれていけ』


 鬼一ははたと気付く。

 なるほど、少女は想いの強さかその死にざまゆえか、この淵に縛られ離れられぬ存在となっている。鬼一ならば自分をここから解放することもたやすいこと、と見込んでの頼みのようだった。

 鬼一はしばらく渋っていたが、もはやこの少女はここから一ミリも引かぬと悟ったらしい。わかったよ、と深くため息をついた。


『なればおのれを、我が式とする。さすればこの淵からも解き放たれよう。よろしいか』

『かまわぬ』

『致し方なし』


 鬼一は天に向けて人差し指と中指の二本をピッと立てる。

 何事かを口内でつぶやき、それを思いきり少女の背後に振り下ろした。まるで、見えない糸を指刀で切り落とすかのように。

 そして懐から人型の紙を取り出し、少女の額にあてる。


『とりいそぎはこのヒトガタを依代としてもらおう。よいね』

『うん』

『おのれの名は?』

『……六花』

『六花。なるほど雪のように白いおまえに、似合いの名だ』


 鬼一は微笑み、ふたたびなにかを唱えだす。

 すると少女は白い光を放ってしずかに消えていく。その光は紙に吸い込まれたようにも見えたが、いったいどういう原理なのか予想もつかない。

 八郎と柊介は唖然として固まった。

 小町でさえ、初めて見る光景に興奮を隠しきれていない。

「おもうさま、これは」

「うん、鬼一はハルカゲと分かれたのちに吉野山にこもって仙人まがいのことをしていたという。そのときに身につけたのがこの陰陽術なのだろう」

「おんみょう、」

「すげえ、陰陽師って映画で見たヤツやん……」

「野村萬斎も真っ青や!」

「しかしなるほど──鬼一はハルカゲと再会する前に六花と出会い、じぶんの式にしていたのか」

 と、高村はつぶやく。


 映像はここまでで途切れた。

 つぎの瞬間には現代に戻ってきたらしく、社のなかには白地蔵が先と変わらず鎮座している。

「いかがするの、おもうさま」

「うん──」

 ゆっくりと淵に目を向ける。

 いまはすっかり水も枯れ、そこが淵であったという痕跡は一見するとわからない。しかしかつて、この淵に娘たちが投げ込まれてきたという歴史は消えることはない。

 ──少女六花を、救わねばならぬのかもしれない。

「小倉山」

 高村がこぶしをにぎる。


「いまだ白い娘は名を六花といった。木屑の式『胡蝶』についても知らねばなるまい」


 小倉山へゆこう。

 という高村の一声により、一行は山をおりた。

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