恋の淵

恋の淵ー壱 琵琶湖

 石田力哉と三橋綾乃が東京へ帰って二週間──。

 刑部家にふたりから『結婚しました』という一通の葉書が届いた。


「はっや。早くね?」

「へえ、理性飛んだなァ」

「あの力哉さんがねー」

 葉書を三度見する八郎と、今日も今日とて刑部家に遊びにきている柊介、そして我が物顔でソファを占領する武晴──。

「寄合か、ここは」

 とスイカを切って運んできたゆきが眉を下げる。しかしそんな嫌みもなんのその。子供たちは、

「あっ、スイカやァ」

「やったー!」

「でけえなこのスイカ」

 と蟻のように集ってきた。

 ゆきは「まったく」とため息をつく。

「花の高校生が夏休みってのに家でゴロゴロして。どっか遊びにでも出たったら──あんたたち、彼女のひとりもいてへんの?」

 ──と。

 ゆきの言葉に、三人の男子高校生はスイカの水分により激しく噎せた。

 ゲホゴホ、と肩を揺らす武晴は「そういう」と息も絶え絶えにゆきを睨み付ける。

「そういうデリケートな話題はッ、タイミングみて言うてくれな!」

「せやでおかん、そんな分かりきったこと改めて聞いたらあかんよ」

「なにがデリケートかねこの子たちは。あら環奈ちゃんおそよう」

「ウゥーン、おあよう……」

 環奈が、目を擦りながら居間に入ってきた。ちなみに現在の時刻は午後一時をまわっている。

 タンクトップに短パンというラフな格好で、冷蔵庫から麦茶を取り出す。バンッと足で冷蔵庫の扉を閉めてから、麦茶を一口。

「あれェ。寝すぎちゃった……」

 と時計を見た環奈の一連の流れに、武晴は吹き出した。

「環奈姐やんまだ寝てはったんかい。いやていうか寝起きもかわええな。もう国宝やないか!」

「おいタケやらしい目でかんちゃん見んな!」

「アッ、スイカ食べてる!」

 環奈が垂れた眉をつりあげた。

 男子高校生たちの会話はいっさい聞いていなかったようだが、卓上のスイカは目にはいったようだ。

 一気に目が覚めたらしい。

 嬉しそうにスイカを口に運ぶ環奈の、ぴょこん、と寝癖のついた前髪をいじって、柊介は「お前ら姉弟はなんでここが跳ねるんや」とつぶやいた。

「あぇ、シュウくんとタケちゃん。いらっしゃい」

「いやいまかい!」

「あ、ねえねえ。みんな琵琶湖すき?」


 唐突な質問だった。

 琵琶湖が好きか嫌いかという非常に難しい質問に一同は固まる。その空気をものともせず、環奈はつづけた。

「冴ちゃんセンパイのおうちのペンションが琵琶湖のちかくにあるんだって。高校生のみなさんもぜひ遊びおいでって連絡くれたの。みんなどーお?」

「行きたーい!」

「俺も」

「俺も行くゥ!」

 と、DK三銃士は声をそろえていった。

 環奈が首をかしげる。

「はっちゃんママは?」

「みんなが行くんやったら行かへんよ。おかげでゆっくりできるわ」

「そう? そんならあっきーいれて五人参加ってお答えするのネ」

「あ、まってまって環奈姐やん」

 と武晴が立ち上がる。

 なあに、とガラケーから顔をあげた彼女に「あのさ」と照れたようにいった。

「あのォ──ホラ。高村先生のご息女いてたやん。キラッキラのまぶい」

「小町ちゃん?」

 ──ご息女?

 という顔で、男子高校生ふたりはスイカを口に運ぶ手の動きを止める。しかし武晴はデレッとした顔つきで「そうそう」とうなずいた。

「小町さんは来る? 忙しいかなぁ」

「まだ誘ってないけど来てってゆったら来るのネ」

 なんせ普段は和本のなかだ。

 先日のフィールドワークも相当楽しかったようで、またなにかあるならば参加したいと意気込んでいたほどである。

「そら忙しいことはないやろうけど、おいタケ……お前もしかして小町さんに」

「ハチも知り合い? なんやそういうことならはよ言うてや。俺のこと紹介してくれよ」

「いやいやいや──あんまり知り合いとちゃうけどもやな。あの人はお前の手の届く人ちゃうねんで。なあしゅう」

「俺に振んな」

「ねえねえ、そんだったら松子ちゃんたちも呼んでみようよ。あのお花見のメンバー!」

「ごっさ人数増えるで。全部で十人。平気か」

「ダイジョブっしょ!」

「アホ。確認せえ、いますぐ」

 柊介はうなるようにいった。


 こうして、決行は三日後。

 一泊二日の旅程で行なわれることが決定したのであった──。

 

 ※

 当日は、憎いほどの晴天だった。

 すでに前乗りしている仙石と尚弥が、朝早くから車を出して奈良公園前まで迎えにくることになっている。

「えっ、松田来られへんの?」

 鹿せんべいを一口。

 己の口に放った武晴が目を見開いた。

 明夫の肩がぴくりと揺れる。ふたりに相対するのは、松子である。

「いや来るよ。いま実家の空手道場で朝から試合やってるから、一緒いくのが無理ってだけ」

「へえ」

「潮江さんと廿楽さんと、三人で合流するってさ。試合時間によってはそう変わらんと到着するかもね」

 と、武晴の手から鹿せんべいの袋をとりあげる。恨みを込めて武晴を見ていた鹿は、パッと松子にすり寄った。

 そのうしろで、環奈が大きく手を振る。

 公園手前に駐車した大型の車が二台。

 そこから降りてきた仙石と尚弥が、足早にこちらへと向かってくる。

「すまん、道が混んでて遅なった」

「でもこんなもんで着くんスね。オレもっと時間かかると思てたんですけど」

「まあ琵琶湖のこっち側やからな。全員揃うてるか、もう出発すんで」


(…………)

 京子にとって、同乗のメンバーは重要だ。

 こちらの気持ちを知っている松子と春菜は、柊介と京子を同乗させようと調整をはじめた。春菜だって柊介に想いが残っているはずであろうに、となんとなく申し訳ない気持ちになる。

 なんとしても小町と同乗すると言い張る武晴をなだめ、

「環奈さん、乗る人決まりました!」

 と松子が手をあげた。

「尚弥さんのほうに小町さん、環奈さん、刑部、尾白、春菜。仙石さんのほうに有沢、うち、京子、千堂ってな感じで!」

「ウン、わかったァ」

 環奈はべつに気にしない。

 意見の通った武晴は飛び上がって喜んだが、八郎はどこか浮かない。

「なんや、しゅうそっちかよォ」

「ほんならあんたはこっちでも──」

 と言いかけて松子はハッと顔をあげる。

 八郎が柊介とともに同乗したら、たちまち柊介は八郎の話し相手で終わってしまう。

「いや、やっぱりあかん。これでいく」

「ずいぶん頑なやな……」

 とは言ったが、環奈と同乗できることはすなおに嬉しいようだ。上機嫌に尚弥の車に乗り込んでいく。

 柊介はどうでもいい、という顔で仙石の車──八人乗りアルファードの助手席に乗り込もうとしている。その襟首をつかんで「おまえ!」と松子らしからぬドスの利いた声で叱咤した。

「空気読めや!」

「えっ⁉」

 そのめずらしい姿に、柊介は動揺する。

 そして手早く後部席に荷物を、中央列に千堂、京子、柊介という並びで押し込み、助手席に自分というスタイルでようやくおさまった。

 まったく、京子からすれば申し訳ないやら恥ずかしいやら。

 いやうしろ使わんのかい、という柊介のもっともな意見も聞かず、松子は仙石に「よろしくお願いしまーす」とわらった。

「んじゃ、しゅっぱーつ!」

 尚弥の車からきこえた環奈の声を合図に、二台の車は琵琶湖にむけて出発した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る