第8話:Aパート

 火星タコの排除の命を受け、出撃するアルテローゼは、徹夜による突貫作業の改装を終え、ヘリオス港の岸壁に立っていた


『これが、アルテローゼの水上、水中戦仕様だ。言ってみればマリンフォームというところだな。これで火星タコクラーケンなどあっという間に片付けてくれるわ』


「わー、凄いですわ~(棒)」


 アルテローゼレイフが、自慢げにいうが、レイチェルの反応は今一つである。


 マリンフォームは、グランドフォームからランドセルの部分が変わっていた。グランドフォームでは車輪がついたランドセルを背負っていたが、マリンフォームではサーフボード状のフロートに魚雷のようなジェットポンプ推進機構が二つ付いたマリンユニットを背負っていた。マリンユニットは、背負っている状態では水中を移動可能で、下ろして体を乗せれば水上を移動可能であった。両手には音波魚雷を搭載したサブロック銃を装備している。音波魚雷は火星タコ用の武装で、相手に命中させて爆発する物ではなく、水中で音を立てて火星タコを追い払うという物である。音波魚雷以外にも、音波爆雷もあるが、こちらは腰にぶら下げる形で装備されていた。


 機体を浮上させるだけのフロートを背負ったアルテローゼの機体は、巨大なサーフボードにくくりつけられた人形のように見える。苦労してそこまでおやっさんが仕上げたマリンフォームだが、レイチェルには「不格好ですわ」とえらく不評であった。


 このマリンフォームへの改装を徹夜で成し遂げたおやっさんは、アルテローゼを送り出した後、格納庫の床で倒れるように寝ていた。他にも作業員や研究所所員もぶっ倒れている状況だ。しかしそんな中、やつれた姿でも港に顔を出しているのはヴィクターであった。

 もちろん彼も疲労困憊ひろうこんばいの状態で倒れる寸前であるが、レイチェルが出撃するとなれば、それを見送らねばならないと無理に港までやって来ていたのだ。

 ヴィクターとしては、本当は火星タコの排除について行きたいところなのだが、研究所所長という立場ではそれもできない。


「くれぐれも気をつけてくれたまえ。レイフ君もレイチェルのことをよろしく頼むよ」


 ヴィクターは、アルテローゼレイフにそう声を掛ける。


「娘さんのことは、私に任せてください」


「火星タコなど、俺にかかればいちころです」


「そうです、僕がレイチェルさんを守って見せます」


「義父さん、娘さんの事は私にお任せ下さい」


「かれんだ…」


 ヴィクターはアルテローゼレイフに声を掛けたのだが、それに応えたのは。セーラー服を着た第32武装偵察小隊の五人であった。もちろんセーラー服と言っても日本の女子学生が着る制服のことではなく、連邦海軍のセーラー服である。火星には海軍がないはずなのに、なぜ彼等がそんな服を着込んできたかというと、


「(海の男の魅力で、レイチェルさんを振り向かせるぜ)」x5


 という浅い考えであった。


『また此奴らが付いてくるのか…』


「仕方ありませんわ。私達では船を動かせませんもの」


 幾らマリンフォームのアルテローゼといえど、火星の海を航海することはできない。火星タコの潜む海域までは船で行く必要がある。その船を動かす要員として、連邦軍は再び第32武装偵察小隊を派遣してきたのだった。


「まあ、レイチェルさんそう仰らずに。我ら第32武装偵察小隊にお任せくだされば、レイチェルさんとアルテローゼを安全に、目的の海域までお連れしますよ」


 ディビットが、ボラード係船柱に脚を乗せて、気取ったポーズでそんな台詞を吐くが、残りの四名も同じようなポーズを取っているため、まるでコントのようであった。


「大丈夫なのかね」


 そんな第32武装偵察小隊のメンバーを見て、ヴィクターは一抹の不安を感じるのであった。



 ◇



 アルテローゼと第32武装偵察小隊が乗り込むのは、全長百メートル弱の巡視船である。火星の連邦軍に海軍が存在しないのに、巡視船が存在する理由は、


「すてきな船ですわね」


『これは戦闘艦じゃなくて、旅客船だな』


 つまり、旅客船を巡視船と言い張っていたのだ。

 もちろん巡視船なので、後部には対潜ヘリ用のヘリ甲板があり、艦首には機関砲と武装が装備されている。しかし、船室は旅客船並の豪華さで、パーティが開けるほどのホールも準備されていると言う物だった。


「火星タコを撃退するとき以外は、軍のお偉いさんが、クルーズに使うんですよ」


「ささ、レイチェルさんはこちらに」


「この船長室が、レイチェルさんのお部屋となります」


「目的の海域までおくつろぎください」


『大はしゃぎだな、お前達』


 巡視船の中をレイチェルに紹介して回る五人組を捕まえたのは、一台の多脚装甲ロボットであった。


「多脚装甲ロボットがどうして…ってアルテローゼのAIが操っているのか」


「ええい、離せ。俺はレイチェルさんを案内する役目が…」


『船の案内は船のAIに任せておけ。それよりアルテローゼの固定がまだ終わってない。それが終わらないと出向できないのだ』


 アルテローゼは後部のヘリ甲板に踏査入れる事になったのだが、遠洋に出た際に波が高いと滑り落ちてしまう。その為ワイヤーロープで固定する必要がある。対潜ヘリなどであれば船が自動で固定までやってくれるのだが、アルテローゼは規格外品のため、人の手でやる必要があるのだ。いや、そうしてほしいと巡視船のAIから要請がレイフに届いたのだ。


『ほら、さっさと後部甲板に行くんだ』


 レイフは、五人組に作業をさせるべく、後部甲板に引きずっていくのだった。



 ◇



 巡視船がヘリオス港から出発して三時間。高速な水中翼船ならではの快速を生かして、既に火星タコの生息範囲に侵入していた。そして現在は海中探知機で火星タコを探査しながらゆっくりと航行中であった。


 船が港を離れてからは、ディビットは巡視船のブリッジで、航行AIの面倒を見ており、マイケルとクリストファー、ホァンはアルテローゼの予備パーツをチェックしている。ケイイチは機関室で機関室のチェックを行っている。実は五人以外にも十名ほど艦船に詳しい人が乗船して、ディビット達をサポートしてくれていた。彼・彼女らは、全員マーズ海運会社の社員で、全員マーズリアンである。

 本来なら軍事行動に民間人が同行することはあり得ないのだが、火星タコ討伐は軍事行動ではないと司令部が言い切っての乗船となった。マーズ海運会社から危険手当が出ると喜んで全員志願してこの任務に参加している。


 火星タコとの戦いの主役は、もちろんアルテローゼであるが、巡視船も火星タコが襲ってきたら自衛のために戦わざるを得ない。自分たちの命がかかっているのだから、皆装備に点検に余念がない。そしてレイチェルは、アルテローゼレイフと装備の最終チェックを行っていた。機動兵器での海での戦いは、レイフもレイチェルも初めてであり、念には念を入れたチェックを行っていた。


 そんな時のことだった。


『レイチェルさん、変な知らせで申し訳ないが。どうやらこの船に密航者がいるらしい』


 ブリッジのディビットから、驚くような通信が二人に入った。


『密航者だと?』


「はぃい、密航者ですか…?」


『ああ、AIが不振な熱源を見つけたんで、確認したんだが、どうも人らしい。どうやってこの船に潜り込んだのか分からないが、動物とかではなく、密航者だろう。いまホァンとケイイチが確認に向かっている』


 ディビットも予想外の事態に驚いていた。彼は、AIに巡視船の内部を精密スキャンしてまだ他にも密航者がいないかチェックさせていたようだったが、今のところ発見されたのはその一人だけであった。


「まさか、お父様でしょうか? 火星タコの討伐任務に随分興味を持っていましたわ」


 レイチェルがそんなことを言うが、ヴィクターが気にしていたのは火星タコではなくて、レイチェルの事である。


『馬鹿な事をいうな。ヴィクターは、この船が出航するときに埠頭でレイチェルを見送っていたんだぞ。その状態からこの船に乗り込むのは、それこそ魔法でも使わないと無理だろう。』


「…そうですわね。さすがにお父様というのはあり得ませんでした。では、一体誰がこの船に密航したのでしょう。この船が火星タコと戦いに行くことを知らない人はいないと思うのですが?」


 レイチェルは小首を傾げる。


『ホァンとケイイチが密航者を見つけたみたいだ。って、レイチェル、急いで第三格納庫にきてくれって言っているぞ』


 そのとき、ヴィクターがホァンからの連絡を聞いて、慌てた感じでレイチェルに来てほしいと伝えた。


『ディビット、一体どうしたんだ?』


『俺にも分からんが、レイチェルさんがいないと駄目だとホァンが言っている。ケイイチもどうやら同意見らしい』


「私じゃないと駄目なのですか? 分かりましたわ。取りあえず今からそっちに向かいますわ」


 レイチェルは、アルテローゼから飛び降りると、そのまま第三格納庫に向かった。


『待て。儂も行くぞ。すまないが、これは借りていくぞ』


 レイフは、近くにいた整備用ロボットの制御を奪い取ると、レイチェルの後を追いかけた。



 ◇



 第三格納庫はヘリ甲板の真下で、そこにはアルテローゼの予備パーツが所狭しと置かれていた。その予備パーツが納められているコンテナの中に密航者は隠れていたようだった。

 ホァンとケイイチがそのコンテナの前でレイチェルを待っていた。


「ホァンさん、来ましたわ」


「レイチェルさん、お手数をおかけして済みません。実は密航者を見つけたのですが、貴方を呼ぶまでコンテナそこから出ないと言い張るもので…」


 ホァンがコンテナの奥を指さし、ケイイチがライトで照らす。コンテナの奥に隠れていたのは子供だった。


「レイチェ…金髪ドリルか?」


「アイラさん?」


 アルテローゼのパーツの影から顔を出したのは、アイラだった。彼女は、レイチェルを見つけると、コンテナの奥から飛び出して抱きついた。


『なぜ、此奴が密航しているのだ』


「うっせー、ロボットには関係ないだろ」


 アイラは、整備用ロボットレイフにアッカンベーをすると、その顔をレイチェルの豊かな胸に埋めた。


『(ぐぬぬ、なんてうらやま…いやけしからん事を)』


 整備用ロボットレイフの力であれば、アイラをレイチェルから引きはがすことは簡単だが、そんな事をすればレイチェルが怒ってしまう。整備用ロボットレイフは、ぐっとこらえた。ホァンとケイイチもうらやましそうにアイラを見ている。


『密航などけしからん、送り返してくれるわ』


「いやいや、もう火星タコを探しているんだ、ここから引き返すとかあり得ないでしょ」


「そうですわね。ここから引き返すとなると、火星タコの討伐が遅くなってしまいますわ。どうせ戦いはアルテローゼがやるのです。このまま一緒で良いと思いますわ」


 ホァンとレイチェルが引き返すというレイフの提案を速攻で否定する。それを聞いてアイラがうれしそうにレイチェルに頭をすり寄せ、レイチェルもアイラの頭を撫でていた。


『しかし、そいつは元革命軍のパイロットだぞ。子供だから捕虜としていないだけで、逃げ出すかもしれないのだぞ』


 ガオガオのブラックボックス解析のために研究所であずかっていたアイラだが、解析が終わっても未成年のため捕虜として軍に引き渡さず、研究所で預かることになった。これには、アイラの右胸に埋め込まれた謎の物体の調査を軍にしらせず研究所が行うためという理由もあった。

 戸籍から親兄弟も親戚もいない事が分かっていたので、ヴィクターが保証人となり、研究所の女性職員とレイチェルが世話をすることになった。そして、アイラが一番なついているのがレイチェルだった。もちろんレイチェルも年の離れた妹ができたようでうれしいと、アイラをかわいがっていた。


「こんな船の上からどうやって逃げ出すというのです。きっと一人で寮にいるのが寂しかったのでしょうね」


『女性職員に預けたのではなかったのか?』


「へへ、だっておばちゃんと一緒にいるより、金髪ドリルといる方が良いんだもん」


 アイラはそう言って、再びレイチェルにしがみつく。


『くつ、火星タコに襲われて海に引き込まれても知らんぞ』


「そうなったら、金髪ドリルに助けて貰うもんね~」


 整備用ロボットレイフに対して、アイラは再びアッカンベーをする。整備用ロボットレイフはやれやれと肩をすくめ、レイチェルは何がおかしいのかクスリと笑うのだった。



 ◇



 結局、アイラはこのまま火星タコの討伐任務に同行することになった。


「やったー」


「良かったですわ」


 とはしゃぐアイラと顔をほころばせるレイチェルだが、


『(この娘、本当に大丈夫なのか?)』


 レイフは、この状況を怪しいと思っていた。


 何故か、それはアイラがレイチェルに『懐きすぎている』からであった。確かにレイチェルは優しくアイラに接している。しかし、それでもレイチェルはアイラがよく言う「憎たらしい地球人」であり、彼女の相棒のガオガオを倒したアルテローゼレイフのパイロットでもある。そんな状況なのに、アイラはラノベのチョロインかというぐらいに、あっという間にレイチェルになついてしまった。それが、レイフにとってアイラが怪しいと思わせるのだった。


『(幼いから、その言動に皆は油断しすぎだよな。どう見ても怪しい)』


 レイフは、他の人と異なりアイラに対する警戒心を忘れてはいなかった。何しろ、帝国時代には年端もいかぬ子供をスパイや工作員にするような連中に事欠かなかったからである。油断すれば子供にすら寝首をかかれかねない戦場をレイフは見てきたのだ。


『(念のために、監視しておくべきだな)』


 本当はレイフは、レイチェルを二十四時間見守りたかった。人はそれをストーキングというかもしれないが、本質は護ることにある。

 しかし、研究所はまだしも社員寮は、個人空間と言うこともあり、研究所からハッキングが難しいほどセキュリティが高かった。そのためレイフも中を覗くことはできなかったのだ。研究所ならロボットを制御してレイチェルを追いかけることが可能だが、社員寮にはレイフが操作できるようなロボットは存在しなかった。AIを搭載しない、只のホームセキュリティのコンピュータをレイフはハッキングできなかったのだ。


 つまり、レイフの使うゴーレムマスターとしての魔法が効果を及ぼすのは、AIやロボットといったモノ・・であり、単なるコンピュータを制御下に置くことはできなかった。ロボットであれば、ネットワークに繋がっていない物であっても制御できるが、単なるアプリを動作させているコンピュータは、セキュリティがない物ですら、操作できなかった。なぜゴーレムマスターの魔法がそうなるのか、レイフにも説明はできなかった。魔法とは、そういった不可思議な理論で動作するものと納得するしかなかった。そのことを知ったヴィクターは、魔法の理不尽さに、「納得いかないのだよ」と、頭を掻きむしっていた。


 話を戻すが、レイチェルが乗船している巡視船は、全てがAIで制御されている、いわば巨大なロボットであり、レイフのゴーレムマスターの魔法で制御可能である。


 それはつまり…


『(これで、おはようからお休みまでレイチェルを盗撮…いやレイチェルと行動を共にするアイラを監視できるな)』


 レイフのよこしまな願いが叶えられると言うことだった。


 何しろ巡視船の乗組員で、アイラの面倒をみられそうな人は、マーズ海運会社の女性社員だけである。しかしアイラの特殊性を考えると、非常時以外はレイチェルが面倒を見た方が良いのは当然である。つまり、アイラの部屋はレイチェルと同室になるのは当然であった。


 レイチェルはアイラを連れて、船室-船長室に向かうのだった。


 整備用ロボットレイフは、レイチェル達と分かれると、格納庫に戻り、レイチェルの監視という野望に向けて、作業に取りかかった。


『(まずは手始めに、船長室の監視カメラの掌握だな)』


 アルテローゼレイフは、巡視船のAIを制御下に置くために、密かにゴーレム掌握の魔法を唱えた。もちろん他の人に気付かれないように魔法陣は最小の大きさである。


『(以外と頑固なAIだな。制御が奪いづらいぞ』


 レイフは、AIの管理者権限を得ようとしたのだが、なかなか制御を譲らない。どうやら誰かがAIの管理者権限を既に掌握して何かに使われているようだと、レイフはそこで気付いた。


『(管理者権限が既に使われているだと? そんな事をするのは誰だ、…ってそれは、あいつしかいないか)』


 レイフが思い浮かべたのは、艦橋で航行AIを操っていた人物…ディビットであった。しかし、船の操船をするだけであれば、管理者権限を行使する必要は殆どない。つまり、彼は別な目的で巡視船のAIを使っているということだった。


『(まさか、ディビットめ、儂をさしおいて…)』


 魔法につぎ込む魔力マナを増やして、レイフはAIの制御を強引に奪い取った。ディビットは、以前レイフによってハッキングされた事でその対策を取っていた。しかしそれでも魔法の理屈を無視した力には勝てなかった。

 レイフのカメラには、艦橋で悔しがるディビットの姿が見えていた。ディビットは、船長室のの監視カメラの映像を入手しようとした所で、レイフに制御を奪われたのだった。


『(フッ、どうせディビットもレイチェルの部屋を覗こうとしていたのだろうが、儂の目が黒いうちはそんな事はさせんぞ。さて、レイチェルの部屋のカメラは…)』


 船の制御を奪い取ったレイフは、意気揚々と監視カメラの映像を見ようとしたのだが…


『(何、カメラへのアクセス権がないだと? まさか、セキュリティが独立しているのか)』


 船長室のセキュリティは、船のAIやネットワークから独立したシステムであり、カメラの映像を入手することはできなかった。このセキュリティを破るには、専門の知識やハードウェアが必要なのだが、ハッカーでもないレイフには無理な相談であった。

 恐らくディビットを巻き込めば何とかなるのだが、レイチェルの姿を他人に見せることなどレイフには論外である。つまり、現時点でレイフはレイチェルを盗撮じゃなくて、アイラを監視する術が無かった。


『こうなったら、小型のゴーレムロボットを作って、あの部屋に送り込んでやるのだ』


 整備用ロボットでは大きすぎて、通路を通るのも邪魔になる。そしてそんな物を部屋に入れるのは、レイチェルも不審がるだろう。こうなったら、レイチェルが部屋に入れても不審がらないゴーレムロボットを作ってやると、レイフは火星タコの討伐任務を忘れて、横道に逸れていくのだった。





 それは、海底にある住処を離れて海面に浮上していった。そう、今から始まる数年に一度の繁殖期という祭りに参加するために。

 学術名は、火星・頭足綱・鞘形亜綱・十二腕形上目、マーズ・クラーケン。人類が火星タコとよぶそれは、全長二十メートルの巨体を繁殖の喜びにくねらせていた。


 海面付近まで浮上した火星タコは、そこを自分の繁殖の縄張りと決めた。縄張りと言っても火星タコは単性繁殖するため、両性の生物と異なりオス同士の争いのために有るわけではない。縄張りというのは火星タコが太陽光を浴びて子供を育てるための領域だった。そして、その領域に侵入する物は、たとえ仲間であっても敵として認識され排除の対象となる。それが火星タコの生態である。


 そして、その火星タコの領域に何者かが侵入しようとしてた。海中・・を進むそれ・・は、火星タコの縄張りに進入してくる。火星タコはそれ・・を自分の縄張りを奪いにきた同胞と判断し、排除するために向かっていった。



 ◇



 その頃、巡視船のAIは近づいてくる巨大な海中物体を海中探知機で捉えていた。火星の海には火星タコ以外の生物がいないので、それは火星タコであるとAIは当然の判断を下した。AIはそれを管理者レイフに通達すると同時に、船内に緊急警報アラートを鳴らした。


 時刻は深夜二時、当直は巡視船のAIに任せて、乗員は皆眠りについていた。


「一体なんですの?」


 聞き慣れない緊急警報アラートにレイチェルは起こされる。しばしぼう然としていたが、その音の意味に気づくとハッキリした意識を取り戻した。


「うーん、おねーちゃん」


 レイチェルと一緒に寝ていたアイラは、まだ夢の中であった。レイチェルはアイラを起こさないようにそっとベッドから抜け出すと、急いでパイロットスーツに着替え始めた。


『レイチェル、起きているのか』


 船長室のインターフォンから、レイフの声が聞こえる。


「起きているわ。いまパイロットスーツを着ているところよ」


 今回は水中での戦いが予想されるため、パイロットスーツは宇宙服にも使える気密性の高いスーツである。そのため装着には時間がかかる。レイチェルが苦戦している間にも火星タコは刻一刻と船に近づいていた。



 ◇



 縄張りに侵入してきたそれ・・を追いかけていた火星タコだったが、その先に別な侵入者がいることに気づいた。

 火星タコにとって、どちらが脅威となるか、しばし悩んだ。追いかけていたそれ・・は、そのまま縄張りから逃げ出すように見えたが、新たな侵入者は縄張りの端で止まっている。つまり、後者の方が脅威であると、火星タコは判断する。


 その止まっている進入者とは、レイフ達の巡視船であった。それ・・は火星タコを巡視船に誘導するという役目を果たすと、そのまま深海に潜っていくのだった。



 ◇



 緊急警報アラートが鳴り響くヘリ甲板で、アルテローゼレイフはレイチェルがやって来るのを待っていた。


『(クラーケン火星タコは、移動する船しか襲わないと言う話だったが…いや、本当にクラーケンであればそんな事はないはずだな。儂も油断したわ)』


 調査報告では、火星タコは縄張りに入ってくる侵入者は撃退するが、逆にいえば進入さえしなければ襲ってこない。つまり船を止めていれば襲ってこないと報告されていた。そこで夜間戦闘を避けるためにも夜は船を停船させたのだが、現実は火星タコに夜襲される羽目になってしまった。帝国時代であればこんな間抜けな事はやらなかったとレイフは悔やむが、今更のことである。


『(レイチェル、早く来てくれ)』


 アルテローゼレイフはレイチェルが搭乗しないと動かせない。海中探知機からのデータでは、後数分もすれば火星タコは巡視船に取り付く。レイフの焦りをよそに、レイチェルはなかなか現れなかった。


 その頃、巡視船の艦橋では、第32武装偵察小隊の五人組がようやく戦闘配置についてた。就寝中に緊急警報アラートで起こされた彼等は、身支度もせぬまま艦橋に上がっていた。


「ディビット、このままじゃ火星タコに取り付かれるぞ。船は出せないのか」


 海中探知機を見たホァンが、叫ぶ。


「主機関はスリープモードだったんだ。立ち上がるまで時間がかかるんだよ。ケイイチが機関室に向かっているし、もう少し待ってくれ」


 ディビットがホァンに怒鳴り返す。停船中は火星タコは襲ってこないという情報を信じていた為、エネルギーバッテリー節約のために主機関はスリープモードで落とされていた。巨大な機械ほど立ち上がりに時間がかかるのは未来でも同じである。しかも水中翼船である巡視船は、動き出すまでに時間がかかるのだ。

 AIが移動可能となるまでと提示した時間は十分、火星タコが船に取り付くまで七分であった。


「それより、音波爆雷で牽制できないのか?」


 機関砲の安全装置を外したマイケルが、爆雷担当のクリストファーに攻撃できないかと尋ねると


「相手は船首方向から近づいて来ている。角度が悪いわ」


 とクリストファーはお手上げと言ったポーズをとって、攻撃できないと返す。

 爆雷は、ミサイルや魚雷と異なり推進機関を持っていない。そのため射出機で目的の海面に落とすのだが、船の進行方向に落とすと、自分が射出した爆雷に当たってしまう。その為、爆雷の射出機は船の左右と後方にしか射出できないようになっている。


「海面に顔を出してくれりゃ、こいつをお見舞いするのな」


 クリストファーが、機関砲のトリガーを叩くが、当然海中を進む火星タコは照準モニターには映っていない。


「それより、アルテローゼはまだ出撃できないのか? 火星タコの相手はそっちがメインなんだぞ」


 ディビットがレイフに呼びかけると


『レイチェルがまだ着てないのだ。幾ら何でも遅すぎだ。船長室は儂にもモニターできないし、呼びに行くしかないぞ』


 レイフの心配そうな声が、通信モニターより聞こえてきた。

 それを聞いて艦橋の四人は顔を見合わせた。緊急警報アラートが鳴り響く中、レイチェルがいまだ寝ているとは思えない。


「俺が、様子を見に行ってくる」


 顔を見合わせた四人の中で、真っ先に飛び出したのはホァンであった。

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