砂鹿宝一と奇怪な事件たち

ぽこまる

★第一問 強欲老当主の成金密室

強欲老当主の成金密室・問題編

「当主様……失礼致します」

 そう一声かけてから、明堂愛理[みょうどう あいり]は手持ちの合鍵で鍵を開け、大扉を押し開けた。ギィ、と軋んだ音を立てながら、大扉はゆっくりと開く。

 室内に入った彼女がまず目を奪われたのは……部屋中に散乱する、大量の札束だった。札束の封は切られており、一枚一枚ばらばらの状態で、床一面にばら撒かれていた。よく見ると、引き千切られた結束紙も床のあちらこちらに落ちている。

 長年この屋敷に勤め、当主――金成錦司[かねなり きんじ]の世話をしていた彼女は、部屋に撒かれた札束は、当主室にある大金庫の金ではないか……とすぐに察しがついた。金成は別館に泊まる時にはいつも、昼間、庭を散歩して四季の草花を愛で、夜、お気に入りのワーグナーを聞きながら大金庫に金を出し入れしていた。

 彼女は視線を大金庫に向けた。金成は、閉じた大金庫の扉に、上半身を預けるような形で倒れていた。

「当主様……!」

 いつも早くに起きて朝食を摂る金成が起きて来なかった時も、当主室の大扉を何度ノックしても返事がなかった時も、嫌な予感はしていた。それでも実際、こうして倒れている金成を目の前にすると、頭が真っ白になってしまう。

 彼女は慌てふためきながら金成に駆け寄り、その傍らに跪いて、身体を揺すった。金成のズボンのポケットから、鍵束が転がり落ちて耳障りな音を立てた。

 彼女はその音で我に返り、まずは状況を把握しようと努めた。

「当主、様……」

 もう一度呼びかけてみるが、金成は白目を剥いたままぴくりとも動かない。彼女は、金成の口許に手を翳し、胸元に耳を当てた。まだその身体には仄かな温もりが残ってはいたが、呼吸は止まっており、心臓の鼓動も感じられない。

 金成錦司は、疑う余地なく絶命していた。左側頭部には鈍器による殴打を受けたような傷跡があり、それが致命傷になったものと思われた。

 痛々しく開いた傷口から、微かに血の臭いが漂ってくる。彼女は気分が悪くなり、口許を押えて立ち上がった。そろそろ、我慢の限界だった。数歩後退り、死体から距離を置くと、彼女は恐怖心に耐え切れず、脱兎の如く部屋を飛び出した。別館二階の廊下を駆け抜け、階段を転がり落ちるように降り、一階のホールまで辿り着く。

 とにかく、一刻も早く、警察に連絡しなければ……そう考えた彼女は震える手で給仕服のポケットから携帯電話を取り出し、110にダイヤルした。

『はい、こちら警視庁通信指令センターです。何がありましたか? 事件ですか? 事故ですか?』

「……事件です、殺人、だと思います」

 答えながら、ふと彼女は疑問に思った。当主室の窓には鉄格子が嵌め込まれていて、人間が出入りすることはできない。そして、当主室の扉には、内側から鍵がかかっていた。当主室と大金庫の鍵が含まれる鍵束は金成のポケットに入ったままで、当主室の合鍵を持っているのは彼女一人……これが殺人なら、犯人はどこへ消えたのだろう?



 通報から十分も経たない内に、現場である金成邸別館にパトカーが到着した。一番乗りとなった若い巡査が現着報告をして間もなく、続々と警察車両が金成邸に集結する。

 財界の重鎮でもある金成の死は、政財界のみならず、マスコミも注目するところである。警察としても、捜査に熱が入ろうというものだった。

 現場の指揮を取る、警視庁捜査一課、旭日啓治[きょくじつ けいじ]警部補は、鑑識が現場を検める中、事件の情報収集にあたっていた。

「別館正門の監視カメラの映像、見付かりました」

 若い刑事が旭日に報告する。

「よし、今から検証する」

 旭日は数人の刑事と共に、監視カメラの映像を通しで見た。

 最初に別館の正門を通ったのは、背が高く、肩幅の広い大男だった。スポーツジム『健康増進倶楽部』経営の、スポーツトレーナー、筋力太郎[きんりき たろう]である。白のタンクトップにブルージーンズという出で立ちで、両手に持った鉄アレイを頻りに動かしている。

「なんなんだ、この鉄アレイは……」

 旭日は呆れたように呟いた。

「ご存じないんですか? 彼のトレードマークですよ。いついかなる時も筋力トレーニングを欠かすことのない、名物トレーナーとして、一時はテレビにも出演していました」

「俺はテレビなぞ見ない、くだらないからな」

「あれ、警部補、以前、アイドルユニット『ホワイトドール』が出演する音楽番組を、食い入るように見ていたような気が……」

「う、うるさい! 余計な詮索をする暇があったら、事件について考えを巡らせろ!」

 旭日に怒られ、刑事はすいません、と頭を下げ、手元のリモコンを操作した。監視カメラの映像が早回しになり、給仕服を着た若い女性が映る。

「続いては、この屋敷で働いている、メイドの明堂愛理です。事件の第一発見者ですね」

 明堂が別館に入ってすぐ、法衣を着て、錫杖を持った僧侶が現れた。法衣は金のラメが入った豪奢なもので、錫杖にも鈴やら何やらごてごてとした装飾がついている。彼も筋力同様に背が高く、目測で180前後はある。それでも、身長は筋力には少し及ばない。

「彼は万世寺の住職、寺師法善[てらし ほうぜん]です」

 最後に現れたのは、原色系の派手な洋服を身に纏った小柄な男である。筋力や寺師の巨体を見た後だからか、まるで子供のように見える。身長はメイドの明堂よりも低く、目測で140くらいだろう。

「彼はサーカス団『ファンタジック・テント』団長の酒巣飛男[さかす とびお]です」

 刑事はそこでリモコンのボタンを押して、映像を止めた。

「犯行時刻と思われる昨夜から今朝にかけて、別館内に入ったのは被害者である金成氏と、以上の四名のみです」

 刑事が旭日に説明する。旭日は、ふむ、と顎髭を撫でる仕草をした。

「わかった。いくつか確認するぞ、別館正門以外――外部から第三者が侵入した可能性は?」

「ない、と言ってしまって構わないでしょう。別館は、正門以外は高い塀で囲まれており、その塀を何者かがよじ登ろうものなら、赤外線センサーが感知し、すぐに警備会社に連絡が行くシステムになっています」

「なるほど、監視カメラのある正門以外から第三者が侵入した可能性は限りなく低いな……容疑者は実質、監視カメラに映っていた四人に絞られたというわけか」

 旭日は少し考えてから、次の質問を投げた。

「メイドの明堂の証言によれば、現場は密室だったらしいが、被害者の金成氏が単独で事故を起こした可能性は? 金成氏は高齢だったから、札束を部屋中に撒いて贅沢な気分に浸っていたら、札を踏みつけて、滑って転んで机の角か何かに頭をぶつけたとか……」

「鑑識によれば、事故はまずあり得ないそうです。被害者の死因は左側頭部を鈍器のようなもので殴られたことによる頭蓋骨陥没、脳挫傷。受傷部位に適合する凶器が室内から見付かっていないことから、凶器は犯人が室内から持ち去ったものと思われます」

 あっけなく、金成単独事故仮説は消滅する。

「まあ、そうだろうなぁ」

 旭日は首を振った。いかに金勘定が好きな老人とは言え、部屋に札束をばら撒いて遊ぶだなんて、幼稚にもほどがある。

「大金庫に入っていた金はどうなんだ、室内から持ち去られていたのか?」

「調べましたが、棚板も含め、大金庫の中身の全てが部屋にばら撒かれていたようです。被害者が帳簿に記していた金額と室内に散乱した紙幣の総額が一致していますので、犯人は、現金には一切手をつけていないことになりますね」

「大金庫の中身、総額はいくらになる?」

「5億5000万円ほどです」

「5億、5000万円、だと……」

 旭日はくらくらした。自分の生涯賃金をはるかに上回る額の現金が、大金庫には眠っていたのである。

「そんなとんでもない額が入っていたのか」

「内寸だけでも、W880、D440、H1590の大型金庫ですからねー、個人でこれだけの物を所有するのは余程の大金持ちです」※1

「それにしても、現金をばら撒くだけで、手をつけないとは。室内が密室になっていたことといい、犯人は何がしたいのかわからんな……動機面ではどうなんだ、容疑者の中に、金成を殺害する動機のある人間はいるのか?」

 旭日が聞くと、刑事は、事情聴取の際に取ったメモ帳を開いた。

「殺害の動機は、あると言えばありますね。まず、スポーツトレーナーの筋力ですが、自分のジムを建てる際に、親しかった金成から多額の借金をしています。しかし、筋力が出演していたテレビ番組が打ち切りになってから、ジムの経営が思わしくなくなり、返済が危うくなっていたようです。今日は、何とか返済期日を延ばしてほしいと頭を下げに来たんだとか」

 メモ帳をぱらぱらと捲りながら、刑事は続ける。

「万世寺の住職、寺師は、先祖代々の土地である寺の敷地を、金成グループの息のかかった業者に、地上げめいた強引な手段で買収を受けていると憤っています。今日は、その件で金成本人に抗議する為に来たそうです。サーカス団団長の酒巣は、毎年、金成に資金援助を受けていたらしいのですが、今年になって突然、資金援助を打ち切るとの通告を受け、何とか考え直してもらえないかと頼みに来たと言っていました」

「確かに、どれも動機になる可能性はあるな。メイドの明堂には、動機はないのか?」

「彼女には唯一、動機らしい動機がありませんね。彼女曰く、孤児だった自分を住み込みで働かせてくれた金成氏に、恩義を感じていたそうです」

「ふうむ……他には?」

「現時点でわかっている情報はそれくらいです。後は鑑識の報告を待たなければなりません」

 そう言って、刑事はメモ帳を旭日に渡した。

「大体の状況は把握できた、が。どうしたものかね……」

 旭日はメモ帳の内容を確認しつつ、眉間に皺を寄せて考え込んだ。今一つ、考えが形にならない、纏まらない。

「何にせよ、密室の謎が解けないことには、話になりませんね」

 刑事が溜め息をつく。と、旭日は目を見開いた。

「いや……待てよ。そもそも密室の謎など、解く必要があるのか?」

「警部補、それはどういうことです?」

 旭日の不可解な発言に、刑事が怪訝な顔をする。

「第一発見者であるメイドの明堂が犯人なら、密室は密室でなくなる、と言う話だよ。別館に宿泊した四人の中で、明堂は唯一合鍵を持っていた。それも、肌身離すことなく、だ」

 はっきり言って、明堂犯人仮説に自信はなかった。旭日の中で、何かがひっかかっている。が、しかし、犯行が可能だったのは、明堂しかいないのもまた事実なのである。

「関係者はまだ全員、別館一階のホールに集まっているな? 何にしてもまだ情報が足りん、とりあえず、明堂を重要参考人として任意同行を求め――」

「やれやれ、見当外れもいいところですね。警察がこんな有様だから、いつまで経っても冤罪がなくならないのです」

 旭日の言葉を遮り、物陰から男が姿を見せた。男は、くたびれた帽子を深々と被り、ボロボロのコートを羽織っていた。おまけに口には何故か、駄菓子のシガレットを咥えている。

「話は全て聞かせてもらいましたよ」



「な、何だ、何者なんだ、お前は……!」

 いきなりの不審者登場である。その場にいた刑事たちは、一斉に男を取り囲んだ。

「聞かれたならば名乗らねばなりませんね。私は名探偵、砂鹿宝一[しゃろく ほういち]です」

「砂鹿……!」

 その名前を聞いて、旭日は石像のように動きを止めた。

「ご存知なんですか、警部補」

 狐につままれたような顔で、刑事が聞く。

「砂鹿宝一……事件現場に現れては、警察の捜査に首を突っ込む、正体不明の自称名探偵だ……」

「つまみ出しましょうか?」

 と、別の刑事が言う。

「そうしたいのは山々だが、そういうわけにもいかない。奴が今までに解決した事件の総数は二桁を超えると言われている。しかもその全てにおいて、その日の内に犯人を指摘、検挙にまで至っている」

「そ、そんな、漫画みたいな話が、現実に……?」

 刑事たちは、皆一様に信じがたいといった表情で、砂鹿を見た。それほどまでに有能な男とは、とても思えなかったのである。

「もし、砂鹿が事件現場に姿を見せた時には、邪魔はしないで好きにやらせておけとの、上からのお達しだ……不本意極まりないが、静観するしかない」

 旭日は苦々しげに吐き捨てる。

「それにしても、どうしてここに……神出鬼没にもほどがある」

「金成邸の前を通りかかったら、警察車両が沢山停まっているものですからね」

 砂鹿はシガレットをがじがじと噛みながら言う。

「そんなことよりですね、メイドの明堂さんは犯人ではありませんよ。任意同行などするだけ時間の無駄です」

「何故そう言い切れる」

 と、旭日。

「明堂さんが犯人なら、自分の証言で、自分以外犯行が不可能な状況を作り出してどうするのですか。犯人であるなら『当主室に鍵はかかっていなかった』と証言すればいいだけです。自分に不利な証言をしたのは、事実をありのまま伝えたからに他ならない……この程度、私に言われるまでもなく気付いているのではないですか?」

 確かに砂鹿の言う通りだった。旭日も、明堂が犯人というのは筋が通らないとわかっている。

「しかし、明堂が犯行に関与していないとすれば、犯行当時、室内は密室だったことになる……」

 旭日は頭をかきむしった。

「明堂さんの証言は?」

「このメモ帳に――」

 旭日が言い終わらない内に、砂鹿は旭日の手からメモ帳を取り上げ、ページを繰った。

「おい、事情聴取で得た証言を勝手に読むんじゃない! 一応警察官には地方公務員法で守秘義務規定があるんだぞ……!」

 メモ帳を取り返そうとする旭日を、砂鹿はするりとかわす。

「警察の守秘義務の履行率は著しく低い、今更気にすることはありませんよ。それより、今は明堂さんの証言に集中したいので、邪魔しないようにしてください」※2

「うぐぐ……」

 旭日は拳を握り締めて歯噛みした。完全に舐められている。

 そんな旭日の様子を意に介すこともなく、砂鹿はメモ帳をぱたりと閉じた。

「……事件の真相がわかりました。警部補、一階のホールに向かいましょう。そこで私が全てをお話しします」

「な、何……」

 一階ホールで事件の真相を語ると言う砂鹿に、旭日は狼狽えた。今迄、砂鹿がどのような事件を解決してきたかは知らないが、今回は、財界の重鎮、金成錦司殺害という重要案件である。関係者一同の前で素人探偵が事件を解決したとなれば、警察の面子は丸潰れとなり、初動捜査の陣頭指揮を執った旭日は無能の誹りを免れまい。

「本当に、事件の真相がわかったと言うのか?」

「密室の謎も、犯人の正体も、見当がついています」

 砂鹿は自信満々といった表情で、咥えていたシガレットを噛み砕いて、飲み込んだ。

「それでは、行くとしましょうか」

 砂鹿はそう言って、一階ホールへと歩き出そうとする。旭日は慌てて、その腕を掴んで引き止めた。

「待て待て、今回の事件は世論の関心も高く……その、何だ、名探偵を自称するなら、俺の言いたいことはわかるだろう? 素人探偵の出る幕じゃあない」

「警察に華を持たせろと言うのでしょう? そういうことであれば仕方ない」

 砂鹿は、やれやれ、と言いたげに肩を竦めて、続けた。

「今回は、探偵役を旭日警部補に譲ります。私に代わり、残る三人の中から犯人を指摘して下さい。勿論、密室の謎を解いた上で、です」

「俺が代わりに……か。い、いいだろう。少し考える時間をくれ」

 旭日にも警察官としてのプライドがある。この胡散臭い素人探偵に、わからない、推理を聞かせてほしい、とは口が裂けても言えなかった。

 それに、旭日の頭の中で、ある一つの推理が組み上がりつつあった。もし、事件の真相が旭日の想像している通りならば……密室の謎は解けた。そして犯人は、あの人物しかいない。

「警部補は、未だ真相に気付いていないのでしたね。一つ、事件の謎を解くヒントを提供しましょう。何故、大金庫内の現金が室内に――」

「いい! それくらい、言われなくてもわかる!」

 旭日は、砂鹿の言葉を途中で遮った。

「お前のヒントなぞ、もらう必要はない。よく考えれば辿り着ける、単純な真相だった」

「ほう……解けたのですか。最初、明堂さんを任意同行、なんて言い始めた時は頭を抱えたくなりましたが……思ったよりやるようですね」

 砂鹿は嬉しそうに笑い、新しいシガレットを取り出して咥える。

「ああ、密室の謎も、犯人の正体もわかった。一階ホールへ行くとしよう」

 旭日と砂鹿は、刑事たちを引き連れて、関係者の待つ一階ホールへと向かった。


※1

W=Width(幅)D=Depth(奥行き)H=Height(高さ)

今回の場合、大金庫の内寸は幅88センチ、奥行き44センチ、高さ159センチとなる。


※2

本編1での描写=明堂の証言内容、である。

本編1での描写は、明堂の証言内容を忠実に文章に起こしたものと考えてもらって構わない。つまり、砂鹿の持つ情報は読者の持つ情報と同じということになる。

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