第118話 急な別れを、分かれって言われましても

 眉も髭も真っ白なじいさんが木の杖を突きながら入ってきた。手にはパンパンに膨れた紙袋を下げている。

「ガラリットさん……」

 心が動かなくなった俺でもちょっとだけ驚く。俺がこの世界での冒険をはじめた時に会った親切なおじいさんだった。


 一緒に入ってきた仲間のうち、最初にシュトレーセが俺に抱きついた。

「ヤマダ。元気でね。私の心はいつもあなた達と共にあるわ」

「ど、どういうことだ」

 驚きが俺の心に時を刻みだす。


 シュトレーセが俺の額にチュッとして離れるとサーティスが俺に飛びつく。

「現世では縁がなかったようですが来世では必ずヤマダさんを射止めて見せます」

 サーティスが右の頬にキスをする。最後にティルミットが左頬に唇を寄せた。

「1回ぐらいは……、つれない男じゃ。まあ、愚痴はよそう」

「みんな、どういうことだ?」


 3人が俺から離れる。みな笑顔を作っていた。ガラリットさんが口を開く。

「さて、別れの挨拶は済んだようじゃな。ヤマダ殿。この世界を救った働き大儀であった。そなたのこの世界での使命は果たされ時は満ちた。そなたの軛を解き放してしんぜよう」


「ちょっと、まて。一体どういうことだ? あんた、ただの年寄りじゃねえのか?」

「今まで謀って悪かったが、わしはこの世界を神に代わり管理する機械じゃ。そなたの世界ではデウス・エクス・マキナと言うようじゃの。元の世界に返すために来たのじゃよ」


 俺は理解できないながらも、ぼんやりと感じていた。そう、こやつが犯人だったのだ。俺が異世界に来て最初に会ったガラリットじいさん。くそ、やってくれるじゃないか。そして、忘れていた感情が吹き上がる。

「てめえ。俺はいい。ただ、果音は、果音はどうなんだっ。この世界の為に戦って……死んだんだぞ」


「わしは神に定められた通りの手順をこなす機械にすぎん。それ以上のことはわしにも分からんよ。そなたから預かったものはここじゃ。それとあの帽子は差し上げよう。もうそなたと紐づいてしまったからのう。身に着けていなくても効果を発揮するはずだ」


 べらべらと勝手なことをほざくガラリットにつかみかかろうとしたが急に目の前が真っ暗になる。そのまま突き進んだ俺は何か固いものに頭を強打して意識を失ってしまった。


 ***


 俺はびゅんという音で意識を取りもどした。顔を上げると暗闇の中に赤い光が二つ。少し離れた場所では右から白い光がかなりのスピードで動いているのが見える。車のブレーキランプとヘッドライトだった。俺は着ていたチュニックを掻き合わせる。すごく寒かった。どうやら道端で寝ていたらしい。


 近くに紙袋がありその一番上にはコートが載せてあった。急いでそれを着る。薄いが多少はマシになった。だんだん、記憶が蘇ってくる。寒いので歩き出した。最初に思ったとおり国道に交差する道路わきだった。夜だというのに真昼のような明るさのコンビニの横を通り、国道を渡りしばらく歩くと懐かしのボロアパートが目に入る。


 少し塗りの禿げた鉄階段を上がり、自分の部屋の前に立つ。自分の部屋のはずだ。だが、今日がいつなのか分からないのでなんともいえない。コートのポケットから財布を取り出し、その中のアパートの鍵をつまんで握りしめた。ドアのところの新聞受けには何も刺さっていない。新聞を取っていないから当然だ。


 俺は覚悟を決めて、そっと鍵を差し込みまわす。カチャリ。錠が開いた。しかし、まだ安心はできない。あのケチな大家が鍵を取り換えていない可能性もあるからだ。住民が入れ替わっていて、女性だったりしたら人生終わるなと思いながら、そっとドアを開ける。入ってすぐ右手の電気のスイッチを入れる。パチ。


 光が溢れて、見慣れた乱雑な俺の部屋が視界に広がる。帰って来た。俺はドアを閉めて鍵をかけ、サンダルを脱ぎ部屋に上がる。特に空気が淀んでいる気配はない。とにかく、今日がいつなのか知りたかった。お仕事持ち帰り用のPCの電源を入れる。OSのロゴが現れた。それすらが懐かしい。ぐるぐる回る輪が消えて風景が映し出される。


 0:38

 3月31日


 同期の結婚式の翌日だった。どうやら俺は異世界に行った時間とほぼ同じ時間に戻って来たらしい。動悸が静まり、ほっと安堵の吐息を漏らす。数カ月進んでいたらヤバかった。アパートを失い、職場を失って大変なところになるところだ。そして、今度はあの経験がすべて夢だったんじゃないかという気がしてくる。


 しかし、それはありえない。コートの下のシンプルなチュニックはどうみても現代日本のデザインではないし、玄関にあるサンダルも同様だ。俺は紙袋をひっかき回して空き缶の横に入っていた緑色の帽子を取り出す。もどかしさに指をもつれさせながらPCにログインし、ブラウザを立ち上げて動画投稿サイトから外国人が投稿したものを再生する。分かる、分かるぞ。夢中で次々と動画を見ているうちに寝てしまった。

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