第31話 木の精霊なんて、気のせいじゃん?

「気を付けようって言ってる山田が一番危ないんじゃない?」

 果音はウシシと笑っている。

「山田って、可愛い子にはすぐデレデレするからな」

「まて、人聞きの悪い」


「だって、この間のお店でもそうだったし。確かにアタシの目から見ても粒ぞろいだったとは思うけどさ」

「そういう山崎だって、黒髪の子から熱烈アプローチ受けてたじゃないか」

 果音は指を振って、チッチッチとやっている。

「その魅了の魔法とやらは男にしか効かないんだろ? 今回はアタシはセーフだ」


 いつもはかなり先行する護衛が割と馬車の近くに固まるようにして、村を出発する。気づかぬうちに魅了されて居なくなったらどうしようもないからだ。いつもは開け放してある馬車のカーテンも今日はぴったりと閉じられている。景色が見られなくて退屈だ。


 昨日、丘の稜線から見た景色はなかなかのものだった。かなり急な角度で蛇行する川の流れをバックに、そのくびれた部分で朽ちつつある苔むした石造りの建物は古色蒼然として美しい。横に座る果音も身を乗り出して、なかなかいい感じじゃん、とか言っていた。


 その瞬間から、俺の知覚はすべて果音に向けられてしまった。つやつやとした瑞々しい頬、そこはかとなく漂う香り、うっとりと漏れる吐息の音。五感のうちの3つを総動員して果音の成分を摂取した。


 そして、今日はカーテンが閉まっている。それほど狭くないとはいえ、車内に二人きり。意識するなと言う方が無理だ。昨日より湿度が高いせいか、果音の体から発する果物のような甘い香りが濃厚に俺を刺激する。当の本人は軽い寝息をたてて、クッションに体を預けて寝ていた。戦士たるもの、寝れるときに寝ておかなくてはならないらしい。


 それに倣って、俺も目を閉じて眠ろうとするが逆効果でしかなかった。人にとって外部の情報の大半を占める視覚情報をシャットアウトした結果、普段は補助機能だった嗅覚が俄然張り切りだしてしまったのだった。すうはあ、すうはあ。やばい。俺の肺の中が麻薬物質で満たされてしまう。


 あああ。触角と味覚も充足したい。はっ。俺は何を考えているんだ。いかん、いかん。俺は少しだけ、窓を開けて外気を取り込む。森の中の木々や葉、土の匂いが入って来て冷静になることができた。それでもやっぱり物欲しそうな目で果音を見てしまう俺の破滅を救ったのは、離れたところから聞こえてくる緊迫した声だった。


「ブラント! どこへ行くんだ。馬に戻れっ! ブラーントッ!!」

 ブラントは護衛の一人で、俺と同年配の精悍な顔立ちのナイスガイ。身のこなしもきびきびしていて腕も立ちそうだ。要するに誰かさんと違って女性にモテるタイプ。つまり、ドライアドにとっても魅力的ということだろう。


 以前の俺で会ったら、イケメンが不幸な目に会っているのを見て、ほくそ笑むことはあっても、なんとかしなくちゃと思うことは無かったはずだ。実際に何ができるわけじゃなかったし。でも、今は違う。すぐ横で眠りから覚めた果音が身を起こしたのを視界の端に捕らえた。


 俺は膝の上に横たえて置いたワンドを手に取る。そして、ブラントの顔を思い浮かべた。どうせ思い浮かべるなら、あのお店の可愛い子ちゃんの方がいい。う、雑念が入った。もう1回やり直し。ブラントの人好きのする顔を思い浮かべ、俺はドライアドの魅了の魔法に対抗するべく呪文を唱える。

「木の精霊なんて、気のせいじゃん?」


 はあ。すぐ横で深いため息が聞こえた。やめろ。もう慣れたとはいったものの、やっぱり地味に精神削られるんだから。1頭が馬車から離れていく音がして、しばらくするとまた近くに戻ってくる。

「ブラント。危ないところだったな」

「ああ。俺は何をしていたんだ?」


 どうやら、俺の呪文はきちんと効果を発揮したようだ。本当はドライアドを例の犬のように消してしまうのがいいのかもしれない。ただ、強力な魔法を使える精霊を消滅させられる自信が無かった。なんとなく鼻血じゃすまない気がしたので、ブラントがドライアドを認知していることを否定してみたのだ。


 頭痛も無し。出血も無し。横を見ると果音が気遣うような視線で俺の顔を探った。ドライアドからは十分に距離を稼いだと判断したのだろう。飛ばしていた馬車のスピードが減速する。ブラント達の会話が聞こえてきた。

「すごい儚げで華奢な美人に呼ばれた気がしたんだ。そちらに行かなきゃと馬を降りて歩いていたら、急にそれは勘違いな気がしてきてだな……」

「ブラント。たいした奴だぜ。魅了の魔法への抵抗に成功したんだな」


 果音がフフっと笑う。

「なんか、暢気な会話してるね。自分が助かったのが誰のお陰か分かってないみたい」

「とりあえず、上手くいって良かった」


「お前が言うな、って言われそうだけど、アタシに呆れられてまで救ってやった行為が知られなくていいの?」

 俺は頭を振る。

「別に感謝されたくてやったわけじゃない。もうちょっと劇的な演出しておけば良かったかもな。でも今更言い出すのはカッコ悪いし、別にいいさ」

「ふうーん。意外」


 そう。イケメンに感謝されてもな。その日の夜、次の村に着いた時に、偶然、ブラントに兄思いの美人の妹がいることを知る。そのときには、やっぱり事情を説明しとけばよかったかな、とちょっとだけ思った。

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