ニートなので夜泣きは勘弁願います

 (まずい、まずい、まずい、まずい。)


 絵描きの男と別れた後、彼女は追い剥ぎにあっていた。


「さあ、お嬢さん済まないが金目の物を置いて行ってもらってもいいかな」


 (うわぁ悪役だよぉ。完全にどっからどう見ても、どう聞いても悪役だよ)


 橋で男と別れてから、少し街をウロついていたら気づけば、こんな路地に入ってしまっていた。そしてこのTHE悪役達に捕まってしまっていたのだ。


 (何も、こんなところで方向音痴炸裂しなくてもいいじゃん。いや知らない街だから仕方ないよね。うん、仕方ないとしてもこれは、やらかした以外のなんでもない。)


「兄貴ぃ力ずくで奪っちゃおうぜ」


 そう、もう一人の男が言う。


 (いや男っていうか赤ん坊?赤ん坊喋った?)


「人が来たらまずいバブよ」


 (赤ん坊喋ったわ。バブよって言った。語尾にバブって付いた。カオスな環境についていけません。ありがとうございます。)


 身長180㎝はあろうかという、貴族のような格好をした男に抱えられている、赤ん坊が喋ったのだ。


「こらこら、女の子に手を挙げるのは好まないなぁ」


 兄貴と呼ばれる男が、赤ん坊をなだめる。


 (どこぞの肩に兄貴のせてる兄弟みたい。)


「失礼。自己紹介が遅れたね。私は、トグチと言うものだ。この子は弟で名はまだない」


 (トグチかっ惜しいな。しかもなんか夏目っぽいこと言ったよね今。吾輩とか言えば完璧だけ_)


「吾輩に名前など必要ないバブよ」


 (言ったわ。)


 (吾輩って言ったよこの子。もうダメ。どう収拾つけるのこれ。)


「私達はお金に困っていてね。君に罪はないが、ここは大人しくしてもらえるかな」


 トグチの表情が、今までの柔らかいものから明らかに威嚇に変わる。言葉も口調は変わらないが、強みを増した。カオスな状況すぎて忘れてたかもしれないが、彼女は今、襲われている。


「裕福そうな格好されてますけど……」


 襲われているという状況だが、このカオスさのおかげで、意外と落ち着いていた。


「ああ、この格好か。私達は、少し裕福な家の育ちでね。でも無限にあるわけじゃない。働かないといつか底をついてしまう。でもこの子の世話が忙しくてね、そんな余裕はないんだよ」


「すまねぇな兄貴……バブ」


 (今、無理矢理バブつけたでしょ絶対。裕福な家庭に育ったにもか変わらず、それに甘える事なく先を見据え、働こうとする。素晴らしい考え方だ。でもやってることは最悪。)


「ベビーシッターとか雇えばいいんじゃないですか?」


 男は困ったようにハハッと笑う。


「みんなこの子を怖がってね。引き受けてはくれないんだ。それとも君がやってくれるかい?」


 (絶対嫌。)


 別に喋るからとか、そういう問題ではなかった。いや喋るのも怖いけど。襲って来た人間の世話など御免だったのだ。


「お金に困ってるのはわかりました。でも今、これしか持ち合わせなくて」


 そう言って彼女は財布からお釣りで出た千円を彼らに見せる。


「何だいその紙切れは」


 (ユーーーーン)


 (そうだユンだ。この世界のお金はユン。持ってませんすいません。やりましたそのくだり。)


「あの、本当にお金無くて私も困ってるんです。お金持ってるように見えますか?」


 彼女はなんとか見逃してもらおうと、説得を試みた。


「持ってるか持ってないかは重要じゃないバブ。誰かが来たら襲うそれが吾輩達のルールバブ」


 (最低だな。)


 これは、なにを訴えかけても無駄に思える、


「兄貴ぃ。吾輩、そろそろ夜泣きしそうバブ。いや昼だから昼泣きか。ハハハ」


 (やばいこと言ってない?あの赤ん坊。)


 トグチは困ったような顔をして、わかったよ。と、赤ん坊の頭をなでる。


「すまないお嬢ちゃん。本当は、こんなことしたくないんだけど、ここからは力ずくで、身包み剥がさせてもらうよ」


 急なシリアス展開にもう頭がついて行かない。


 (どうしよう。逃げられるだろうか?今すぐ振り返って走れば、赤ん坊を抱えてる人からでなら、もしかするともしかする。運動神経に自信はないが、易々と捕まる気はない。そう思い振り返った瞬間、赤ん坊が泣き出した。)




 おぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ




「なに……これ……」


 赤ん坊の泣き叫ぶ声は、普通の【それ】ではなかった。頭が割れそうだ。鼓膜が破れる。音が大きいとかではない。直接脳に響いているような感覚。地鳴りすらし始める。彼女は耐えきれず耳を塞ぎその場に跪いた。


「これが弟の力なんだ。痛くはしないから、抵抗しないでくれよ。とは言っても、出来ないか」


 トグチは彼女に近づき、手を伸ばす。


 (やだ。怖い。助けて。)


 しかし、彼女は立ち上がることも、顔を上げることすらも出来ない。


「たす……けて、だれ……か」


 誰に言った訳でもない。誰にも聞こえないその言葉を、彼女は振り絞った。




 途端___




 ガシャンッ!と、大きな音がした。その音に反応したかのように、赤ん坊の泣き声が止む。大きく目を見開き、兄弟は音のした方を振り返る。


 どこからか、植木鉢のようなものが落ちて来たようだった。粉々になり、辺りに土と植物が散らばっている。


 (今しかない。)


 考えるよりも先に、体が動いていた。彼女は後ろに振り向くと、路地の奥へと全速力で走った。何が起きたのか彼女は見ていない。大きな音がしたのは聞いた。誰かが助けてくれたのだろうか。しかし、そんなこと今どうだっていい。とにかく逃げきる事に必死だった。


 そして、いくつか角を曲がった先に彼女は絶望を見た。行き止まりだ……。50メートル程先は、高い塀だった。後ろから追いかけてくる兄弟の声が聞こえてくる。



 追いつかれる。そう思いながらも、彼女は塀に向かって走ることしかできなかった。


「兄貴、いたバブよ」


 その声は、もうそんなに距離は開いていない事を、彼女に告げた。自然とこみ上げてくる涙を拭い、それでも彼女は塀に向かって走る。


 そこに何があるわけでもない。しかし、ひたすらに。ただ、ひたすらに。


 すると__


 塀に一筋の光の線が浮かび始めた。それは、地面から一直線に上へと伸び、二度右に90度曲がって、また地面に続いた。線は長方形を作り出し光を発した後、塀に扉を作り出したのだ。


「あれは……導の門か」


 トグチが諦めたように足を止め呟く。


 彼女には聞こえてはいない。


 彼女は、脇目も振らずそのドアを開いてくぐる。


 もちろん、彼女は導の門などという存在は知らない。それがどういうもので、何故今現れたのか。しかし、彼女にはこの扉をくぐる以外に選択肢はなかった。彼女にとって希望とも言える扉であった。


 扉をくぐると、目を開けていられないほど眩い光に覆われた。


 しばらくして目を開ける。初めは光を浴びた事でボヤけていた視界が、だんだんと晴れてきた。


 そこは古びた家の中のようだ。


 目の前に、黒のパーカーにグレーのスウェットパンツというラフな格好の男が、頬杖をつきながら寝転がり、スナック菓子を口いっぱいに頬張りながら漫画を読んでいた。


 髪はセットされておらず無造作に跳ね暴れ、銀髪というより白に近い髪色をしている。


「へ?あんふぁたれ?」


 男は口からスナック菓子をボロボロとこぼしながら、突然目の前に現れた彼女を下から覗き込むようにして聞いた。



 これが二人の出会いである。

主人公とヒロインの物語はこういった突拍子も無い出会いから始まる。


 ーーちなみに彼は主人公ではあり、ただのニートである。

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