エピローグ (『# 匿名短編コンテスト・始まり編』参加作品)
湊波
no.110 エピローグ【コンテスト提出ver. (推敲後)】
消音状態のテレビが、真っ暗な部屋に瞬きのような光を落とす。
男はのろのろとパソコンに向かい、マウスに手を置いた。
モニターには閲覧数一桁の小説が立ち並ぶ。ブラウザの更新ボタンを押す。応援やコメントを告げる、ベルマークに赤印はない。
何度も繰り返した。一定の間隔で、無表情に、だが目だけは縋るように。
かちり、かちり、とマウスが悲鳴のような鳴き声を上げる。
くだらない趣味。
昼間、親から吐き捨てられた叱責が指を止めさせた。急に息ができなくなる。誤魔化すように缶ビールを煽る。生ぬるく鉄臭いアルコールにますます気分が悪くなる。
最後に一度だけ、祈るように更新ボタンを押す。
通知は来ない。
手の中でぐしゃりとアルミ缶を握りつぶし、乱暴に投げ捨てて、立ち上がった。
*****
踏切の音が、耳に痛い程に鳴り響いていた。
薄汚れた黄色のライトが、暗闇にポツリと対になって浮かぶ。まるで獲物を狙う鷹の目のようなそれを、微動だにせずじっと見つめる。
けたたましく喚き立てる踏切。
轟音と共に近づいてくる機械の車体。
それに息を止め、目を閉じて。
「こんなところにいても、死ねないわよ」
澄んだ声がした。
目を開けると同時に、自分の立つ歩道橋の下をくぐって、薄黄色と白で塗装された電車が終着駅へと吸い込まれていく。
男は振り返った。相対するように立つ少女をじろりと睨む。
「誰だ、あんた」
真っ白なワンピースに身を包み、耳元に薄黄色の花を挿した少女。
彼女は黒髪を揺らして、綺麗に微笑む。帽子のつばを摘むような仕草と共に、ぴんっと腕を伸ばして口を動かした。
「出発進行」
「……なんだそりゃ」
「電車が出発する時に、車掌さんがやってるでしょ」
「俺は別に、お前のモノマネを見たいわけじゃない」
「可愛い女の子のモノマネに興奮しないとか、男の人として終わってるわ」
少女は唇を尖らせ、歩道橋の欄干から線路を見下ろした。
男は頭を乱暴にかき、胸元から煙草を取り出す。湿気った煙草に苦労して火をつけた。
弱く吹きつけた北風が、男の吐き出す煙と、少女の耳元の花を揺らす。
「おじさんは、こんな時間に何してるの」
「……色々あんだよ」
「色々って?」
少し、迷った。それでも話す気になったのは、酔っていたせいに違いなかった。
欄干に背を預け、汚れた白煙を吐き出す。
「……ネットで小説を書いてんだよ。趣味だけどな」
「そうなの」
「親には馬鹿にされてんだ。そんなもん書くから仕事もまともにできねぇんだ、って。小説も誰にも読まれねぇし」
「ふうん」
「痛感したよ。最近のネット小説の流行りを狙って書かにゃあ、上なんて狙えない。作者の主張も気持ちも、作品には不要なんだ。そんなもんを書いた作品は、見向きもされん」
「でもそれって、楽しいの?」
「楽しい? んなわけねぇだろ!」
腹立ち紛れに煙草を投げ捨て、ぎっと少女を睨みつけた。
「楽しいだなんて答えんのは、人気があるやつだけだ! 自分の書きたいようにやってんだからな! 俺たちは書きたいように書いても評価されねぇんだよ!」
「でも、人気のある人も、ちゃんと努力してるはずでしょ」
「俺達だって努力してる! でも結局は、才能あるやつだけが笑うようにできてんだよ! この世界は!!」
肩で息をする。少女は驚きもせず、怖がりもせず、じっとこちらを見つめていた。
その目がゆっくりと一度だけ、瞬かれる。
「おじさん、知ってる? さっき通った電車。明日が最終運行なの」
「……それがどうした」
少女は無言で、終着駅を指した。薄黄色と白で塗られた車体の前に、小さな人だかりが出来ている。
「なにやってるんだ、あいつら」
「お別れを言いに来てるの」
「お別れ?」
「大して人数はいないけど。ここは有名な観光地でもないし、珍しい車体でもないから」
でも。
そう言って、彼女は次々と指を差した。
「あのお姉さん、中学生の頃に失恋した時、電車で大泣きしてたわ」
「あそこにいるのはね、奥さんに離婚届を渡すために、難しい顔して電車に乗ってたおじさん」
「あのおばあさんは、余命一ヶ月のおじいさんと楽しそうに話してて……そうね、お葬式の帰りにぼんやり車窓から外を眺めていたわ」
少女が指差す先は、実際のところ暗がりでよく分からなかった。
それでも彼女は、幸せそうに息を吐き出す。
「その人達の人生の一部になれた。全部ね、続けてきたからよ。人気車両でもなんでもなかったけれど、彼らの人生により添えたことは、私にしか出来ない価値だったのだと思うわ」
「ちょっと待った。お前は……」
「おじさん」
強められた語気に、思わず口をつぐんだ。自分よりも随分年下のはずの彼女が、不意にぐっと大人びて見えた。
「境遇も、才能も、平等には与えられないわ。すぐに人気がでる人もいれば、そうでない人もいる。でも、あなたの紡いだ物語は、あなたにしか創れない価値なの。誰になんと言われようと、信じて続ければ必ず報われる」
「……でも、もう終わるんだろ。お前は」
少女の正体を確信して問いかければ、彼女は微笑んだ。
積み重ねてきた年月を感じさせるような、深みのある黒の瞳が煌めく。
「馬鹿ね。終わるということは、始まるということよ」
*****
何かが落ちる音に、目を覚ました。
部屋の電気もパソコンも、いつの間にか消えていた。
ひしゃげたビール缶が、床の上で朝日を弾く。
あなたの紡いだ物語は、あなたにしか創れない価値なの。
夢の名残のように、涼やかな声が響いた。
その時だ。
消音状態のテレビの映像が切り替わる。
薄黄色と白で塗装された、見慣れた電車の車体が映っていた。
画面に映った文字は告げる。
今日が、この電車の最終運行日なのだと。
この車体は途上国に運ばれ、再び電車として再利用される、と。
画面の向こうで、運転室から車掌が出てきた。
その近くには、ささやかな人だかりができている。若い女性、禿頭の中年男、杖をついた老齢の女性。
それでも車掌は真面目な顔のまま、常のとおりに口を動かす。
帽子のつばを摘み、ぴんっと腕を伸ばして。
出発進行。
テレビの向こうの車掌と共に呟いて、記憶の中の少女と共に少しだけ笑って。
男は、物語を紡ぐためにパソコンを起動させた。
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