第19話「3月29日」

優しさと厳しさは対義語ではない。

両者とも相手のことを思いやって生まれ出てくる言葉である。それぞれにある違い

とは行為や感情ではなく、「受け取られ方」にあると考える。どれだけ棘のある言葉であろうと言葉を受け取る立場の者にとって成長の糧になると判断されれば、それは厳しさではなく優しさとして受け止められる。ここにおいて問題となるのは厳しさを与える者に自身に愛情が観測されるかどうかというあいまいな判断となってしまう

ことである。

逆に優しさとはおよそ棘のない言葉をどんな状況においても吐き出し続ければ

得られる評価であると考えている。例えば部下が大きな失敗した時に激しい叱責ではなく棘のない丸い言葉で話せば、それはほぼ誰から見ても「優しさ」と捉えられる。

だがここで問題となるのは言葉をかけられた人間が果たして成長できるかどうか

である。棘のある言葉であれば言葉の持ち主は厳しさがある人間と捉えられるが、

言葉を受け止める側はその代わり失敗に対する責任感と罪悪感を得ることが出来る。ここから失敗により考えを改められる、つまりは俗に「失敗は成功の母」に繋がる

のである。優しさは反対に誰にでも、叱る側にとっても躊躇いなく使えるもの

である。厳しさは時として相手を委縮させ成長を阻害してしまうこともあるが、

優しさは少なくとも相手を委縮させることなくその場を収めることが出来るもの

であるからだ。故に昨今の責任回避精神に基づき優しさのみがある言葉が教育現場

でも仕事現場でも推奨されている。

しかし、私はここに自らへの戒めもふくめて、優しさのみがある注意は絶対に

行わないようにすべきだと主張する。自らに対する責任を逃れるのが大事か、相手の成長も考え厳しさのある言葉を投げかけるべきか。どちらも一長一短である。片方にのみ頼ることのなんという安易さか。だが、おのが誰かに対して指導を行っていく

立場であるならば、次の世代の、そのまた次の世代のためにも優しさのある厳しさを目指す所存である。

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