第16話「3月26日」

「私の死を看取って下さい」

目の前の老人は、唐突にそんなことを言い出した。

7月半ば、セミの大合唱バンドブラザーズが熱気と共に俺の安眠を妨げる時期、彼女と一緒に出掛ける資金をかき集めるため俺はバイトを探していた。だがどの求人情報誌を見ても俺の条件に合ったバイトを紹介しているものはなかった。

「はぁ......どっかに時給1500円で短期でクッソ楽な仕事ねぇかなぁ......」

自分でもどうせないだろうことはわかっていた。だが今さら長期で低賃金の最低な

アルバイトなんぞやる気も起きなかった。

自分の部屋にいてもクーラーが故障の為効かず、仕方なしに図書館のあいている

スペースでこそこそとスマホをいじり、バイト検索にいそしんでいた。そろそろ司書の目がきつくなっており、適当に見つけたバイトで我慢するかと考え始めていたころだった。

「お兄さん、金が欲しいのかい」

ふと、座っている俺にしわがれた声がかけられた。思わずスマホを隠しそちらの方を向く。声の主は見たところ7、80代の腰を曲げ、柔和な笑みを浮かべている爺さん

だった。俺の慌てた様子が面白かったのだろうか。笑顔のまま、大丈夫大丈夫、と

でも言うように手を振ってきた。

「お金が欲しいんだろう」

再度目の前のじいさんは問うてきた。いきなり話しかけてきて不審な気はしたが、

確かにその通りなのでうなずく。爺さんは満足そうにうなずき返してきた。

「実はな、人手が足りんので手伝ってほしいことがある。勿論給料は出すし、

1日でいいから一緒に来てほしいんだ」

「......時給いくら」

返答として今最も重要な質問を投げかける。仕事内容にもよるが今一番欲しいのは

やはり金だ。これがなけりゃ話にならない。目の前の老人はすっと手を張り手のように出す。年齢も高いだろうに、ぴんと伸ばした指は若さすらにおわせた。

「こんだけ」

「……五千円か」

「いやその十倍、5万でどうだ」

「っ。ま、まじ」

予想もしていなかった金額に俺はまた慌てふためく。その様子に爺さんはにんまりと口の端を弓のように曲げた。

「おうとも。しかも1時間でも2時間でも早く終わればそれだけ早く帰れるよ」

「や、やるわ」

少し大きい声で返事してしまったため、図書館内に声が響き渡る。同時に近くに居た司書達がこちらを向いてひそひそと仲間内で会話しだしている様子だ。

「……じゃあさっそくついてきてくれるかな」

そう言うと後ろを向いてすたすた歩いていくお爺さんに、俺も急いで後を追った。

着いた場所は恐らくお爺さんの家。おそらく、とつけるのはあまりにおんぼろで

あったため、人がすんでいるかどうか確証が持てなかったためだ。屋根の瓦は剥がれ窓は割れており、木でできた家の壁には自然に帰りたがっているかのようにツタが

ひっしりと張り付いてた。かろうじてお爺さんの家だと思えたのは、その家のドア

からかの老人が入ろうとしていたためだ。戸は立て付けが悪いのか、お爺さんが

しっかりと力を入れて引くことで、油が切れた自転車のような音を出しながら

ようやく開いた。

「ほいじゃ、入って下さい」

明けてくれたドアをおっかなびっくり入っていく。中は昼であるのにも薄暗く、じめじめした空気が充満しており、辺りからはうっすら何かが腐ったような臭いが漂ってきた。

「じ、爺さん、ここで何をするのさ」

「まぁまぁ、ちょって待っててください」

ここまで歩いてきたときもそうだが、結局何をするのかは伝えてもらえずここまで

連れてこられた。そのまま家の中を進んでいき、着いた先の応接間らしきところに

座らされた。ここに来て更ににおいがきつくなってきた気がする。何か見えては

いないが多分隣の部屋に臭いの原因があるのだろう。高まっていく臭気と緊張感に

心臓がバクバク言い始めていたころ、爺さんは切り出してきた。

隣の部屋を開け、爺さんと同じ顔の、死体を見せながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る