第19話 充実した異世界での日々・1
翌朝は、とてもさわやかな目覚めだった。
瞼の裏に感じるのは、まだ昇ったばかりの太陽から降り注ぐ白い光。ゆっくりと目を開けて、その眩しさに目を細める。
「んっ……。天気も良いし、いい朝ね」
この国の冬はあまり厳しくないと聞いていた。雪国で育った琴子には少し物足りないような気持ちになるが、雪もあまり降らないらしい。だから今が初秋といっても、天気の良い日なら少し暑いくらいだ。
マリアに貸してもらった大きめのワンピースは、そのままパジャマとして着ることにした。琴子は背伸びをした途端、肩からずり落ちた服を直し、ショールを羽織って階下に降りた。するとマリアが慌ただしく走り寄ってきた。
「マリアおばさん、おはようございます」
「おはよう、琴子。あのね、急で悪いんだけど、出かけなきゃいけなくなったんだよ」
どうやら娘さんの嫁ぎ先の縁戚に、不幸があったらしい。そこでマリアは手伝いに行かなくてはならないようだ。
「昼の営業までは戻れると思うけどね。お城に行くのは、明日でもいいんじゃないかい?」
昨日、城に一緒に行ってくれると言ってくれたので、マリアはそのことを気にしている様子だった。でも琴子としては、少しでもはやく滞在の許可をもらって安心したかった。
(お城って、この町の奥にあった西洋風の綺麗なお城よね。まだ道は全然わからないけど、大きな建物だったし、迷うことはないよね?)
城壁に囲まれたこの町の一番奥にそびえたつ、大きな城。あれがこの国の王城だということは、マリアから聞いて知っていた。
「いえ、ひとりで行ってみます。お城は大きいから道に迷うことはないと思うし、大丈夫です」
「そうかい。本当にすまないね。できるだけ、早く戻るからね、気を付けて行くんだよ」
そう言ってマリアは、慌ただしく店を出て行った。
色々と世間話をしているうちに聞いたことだが、マリアの娘は大きな商家に嫁いだらしい。だから何かあると人手が必要になるようだ。
(わたしがもっと色々と覚えて、信用してもらえるようになれば、マリアおばさんも、もっと身軽に動けるよね?)
ふと、そんなことを考える。
まだ町のこともこの国のことも全然わからないが、これから色々と覚えて、恩人であるマリアの役に立ちたい。
まずはひとりで町に出て、きちんと届け出を済ませよう。
そう決意して、琴子は朝食をとり、着替えをして身支度を整えてから、町に出た。
だが。
(うっ……。やっぱりひとりで町を歩くは緊張するかも)
どこを見ても知らない場所。
そして周囲を歩いているのは、見慣れない外国人のような人達。しかも彼らは現代とは違う恰好をしている。琴子は肩に羽織ったショールの裾を握り締めながら、ゆっくりと道を歩いていく。
(ええと、この道は行き止まりだから、向こうの道……、は何か嫌だな。暗いし、人がいない。だったらあの道を行こう)
周囲を慎重に探りながら、道を歩いていく。
そこまで警戒するのには理由があった。道を歩くほとんどの人は善良そうだが、道を少し外れたりすると、荒んだ雰囲気の男達がたむろしていたりする。町は城門で囲まれているし、入り口もあんなに厳重に警戒していたのに、どこから侵入してきたのだろう。
(マリアおばさんみたいに、騙されて招き入れてしまったりする人がいるのかな)
アドリアンは、それらを善良な人間を騙して利益を得ようとする卑劣な者達だと言っていた。たしかにその通りだと、琴子も思う。
そして町の片隅には、そんな者達がいるかもしれないのだ。警戒するに越したことはない。そう思い、用心しながら歩いた。
それなのに。
道端にある屋台で売られている食べ物の、おいしそうな匂いについ気を取られてしまった。屋台通りを眺めながら歩いているうちに、いつのまにか住宅街のような場所に迷い込んでいたのだ。
「え、あれ?」
どうやら周囲に通行人も、地元の人間すらいない。
(食べ物につられて道に迷うなんて……)
思わず自分でも呆れてしまい、大きく溜息をついた。
しかも、物騒な人達もいる見知らぬ町だ。
警戒していたにも関わらず、料理に気を取られてこんなことになるなんてと自分を責めるが、今は一刻も早く大通りに戻るのが先決だった。
(住宅街って人がいっぱいいそうだけど、意外と静かなのよね。昼は留守にしている人も多いだろうし)
このとき、地元の住人のふりをして静かに歩いていけば、あんなことにはならなかったのかもしれない。
でも焦っていた琴子は、つい曲がり角に出るたびに左右を見渡し、何度も城の位置を確認していた。そんなことをしていたら、誰が見ても道に迷ったのだと気が付いたに違いない。
「どうした、お嬢ちゃん。迷子か?」
案の定、いかつい男にそう声を掛けられて、わかりやすくびくりと身体を震わせてしまう。ここでようやく自分の動作が迷子でしかなかったことに気が付いたが、もう遅い。道を塞ぐようにして立っているその男を見上げて、愛想笑いを浮かべた。
「いえ、そのような。大丈夫ですので、どうぞお気遣いなく」
だがこの男がそんな言葉で引き下がるはずもない。男は、彼を避けて歩こうとする琴子の前に回り込んで、手を伸ばしてきた。
「おいおい、遠慮するなよ。迷子なんだろう?」
「や、やだ。こないで!」
後退りで逃げながら、思わずそう叫ぶ。
「おい、大声を出すな。痛い目に合いたいか?」
琴子が声を出すと、今までにやにやと笑っていた男の雰囲気が一変した。低い声で脅すようにそう言うと、伸ばした手で琴子の腕を掴む。
「……っ」
脅しに屈したわけではないが、あまりの恐怖にもう声も出なかった。
(ああ、どうしよう。誰か助けて……)
固く瞑った瞳に、涙が滲む。
このままでは本当に拉致されてしまう。
その「誰か」は、颯爽と琴子の前に現れた。腕を掴んでいた男を振り払い、琴子を背中に庇う。
「え?」
あまりの早業に、思わずそんな間抜けな声を出しながら、目の前の人物の後ろ姿を見つめた。
長い黒色の重厚なマント。
鮮やかな騎士服。
黒と見違えるような、濃い茶色の髪。
それは昨日、マリアの店を訪れたあの騎士。アドリアンだった。
「……あ」
琴子を掴んでいた男は、アドリアンの姿を確認するとあっという間に逃げていった。あまりにも見事な逃げっぷりに、先ほどまでの恐怖すら忘れて、思わず失笑してしまうくらいだった。
「琴子、だったか。大丈夫か?」
男が逃げた方向をしばらく睨んでいたアドリアンは、座り込んでいた琴子に手を差し伸べてくれた。
「あ、ありがとうございます……」
その手を握ると、見た目よりも力強い腕が、琴子を引き起こしてくれた。
「どうしてこんなところにひとりで。マリアは?」
「マリアおばさんは、娘さんの手伝いをするために朝早くから出かけました。わたしは、昨日教えて頂いた手続きをしようと思って、お城を目指していたんですが……」
「マリアの娘? ……ああ、パクターが亡くなった件か。だが、こんな人通りの少ない道を、ひとりで歩いてはいけない」
「……はい」
叱るように言われて、思わず俯く。
気を付けてはいたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます