第19話

 僕たちが、マフィアの皆さんと愉快な鬼ごっこを続けていると、不意に地面が爆発した。


「なーんだ、地下室があったみたいだね、イグニス」

「そうだな、マスター」


 混乱の隙をつき、あるいは、余計なお世話だったかもしれないけど、兎に角アリシアたちは無事みたいだ。


「要は済んだし、帰ろうか、イグニス」

「そうだな、マスター」


 正直限界ギリギリだ、意識を失っていないのが嘘のよう。

 ところが、いざ帰ろうとなったら、イグニスの足が緩くなった。


「イグニス!?」

「ぐっ……大丈夫だ、マスター」


 やはり、結界は、あの客室だけを標的とするピンポイントなものじゃなかったのか?僕がそう焦りに駆られていると、今までどこに隠れていたのかルサットさんが現れた。


「くは、ははははは。全く、酷い有様だ」

「あはははは。まぁまぁ、ちょっとしたアトラクションですよ」

「ふざけるな貴様! この借りは貴様の命で返してもらおう!」


 屋敷全体を覆うように張り巡らせた結界は。魔法なんて知らない僕の目にも、ピカピカと映るような強力なものだった。


 ルサットさんの隣には、フードを目深にかぶった如何にも魔術師ぜんとした人が1人。あの人がこれの仕掛け人だろう。


「イグニス、調子は?」

「一割と言った所だ」


 そいつは強力。こんだけの物を作るのに、どんだけの手間暇がかかっているのやら。


「ルサッーーート!」


 弱り果てた僕たちとは逆に、元気いっぱいな声が響いて来た。


「やぁ、アリシア。元気で何よりだね」

「ふざけんな甘ちゃん! 俺はテメェに出て行けって言ったよな!」

「あはははは。まぁまぁちょっと忘れ物があったんだよ」

「けっ、まぁ今は置いといてやる」


 アリシアはそう言うと、ルサットさん達の方に振り向いた。


「てめぇよくもやってくれたな、100倍返しの全殺しだ」


 彼女は三日月の様に口角を歪め、酷く楽しそうにそう言った。


「ふん、元気な事だ」


 だが、ルサットさんは、未だに余裕たっぷりにそう言い放つ。余程この結界に自信があるんだろう。


「それは、こっちの台詞ですよルサットさん。降参するなら今だったら許して上げますよ」

「ははははは。ふざけた事を、それはこっちの台詞だ」


 ルサットさんは、狂った様に笑い続ける。全く元気な人だ。それに比べて……。


「アリシア、調子は?」

「馬鹿か甘ちゃん! んな事教える訳ねぇだろ」


 そう言う彼女はやや力ない、やはり幾ばくかはこの結界の影響があるらしい。


「……マスター、私の目は曇っていたようだ」

「ん? どうしたの、イグニス?」


 僕は、イグニスの敵意に満ちた声に、そう返す。


「奴は魔人だ」


 イグニスは、正気を逸した様に大笑するルサットさんの隣で、不敵に笑う魔術師を睨みつけながらそう言った。


「なる程、魔人かー。って魔人?」

「ああそうだ、人を辞め、その魂を悪魔に売り渡した堕ちたもの。奴はその魔人の生き残りだ」

「くくくくく」


 魔人さんは、イグニスの台詞に臆することなく不敵に笑う。


「まぁ、こうして聖剣、魔剣が勢ぞろいしてるんだ、それ位どうってことないんじゃないの?」

「って、何時まで食っちゃべってやがる! 魔人だろうが何だろうが関係ねぇ! 全殺しだ!」


 アリシアはそう言うと、元気いっぱい矢の様に突撃――


 だが、その突撃は透明な障壁によって阻まれる。


「なんっ!?」

「気を付けろ、アリシア。奴は隠蔽を得意とするらしい」

「んなこた先に言え!」


 障壁によって弾かれたアリシアは、たたらを踏みつつそう叫ぶ。元気いっぱい100%のアリシアだったら、あんな障壁位ガラスの様に壊していたかもしれない。だが今の僕たちは結界により全力を出せないでいるのだ。


「くくくく。憎き聖剣、そして魔剣よ」


 魔人さんは、フードを脱いでそう語り始める。フードの下には、立派な角がとぐろを巻いていた。なるほど確かに、普通の人間じゃないみたいだ。


「貴様らを撃ち滅ぼすことはせん。その代り、ここで永遠に封印させてもらおう」


 聖剣、魔剣は在るべき時に在るべき所へ、ここで破壊して行方不明になるよりは、監視下に置いておく方がいいと言う事だろう。


「ひとつ、聞こう」


 イグニスはそう静かに問いかける。


「貴様、この結界を作るのに、何をした?」

「ははははは、しれた事よ! この街には不要とされる人間ゴミどもがごまんといる! 私はそれを有効活用したのみだ!」


 魔人はそう言って高らかに笑う。聖剣、魔剣ベクトルは違えどどちらも人の祈りによって生まれたものだ、ゆえにそれは人の力によって制御される。


「貴様……生贄を」


 イグニスはそう言って拳を握りしめる。生贄、生贄か、つまりはこの豪勢な建物の下には幾つもの骸が転がっていると言う事だろう。


「それは……嫌だな」


 苦い思い出、姉さんたちとの生活によって癒されて行った筈の傷が露わになる。無くしたものを自覚する。僕の歪な心が悲鳴を上げる。イグニスが左腕を失った様に、僕も心を失った。その事が嫌でも思い出させる。


「奴を倒す、力を貸してくれ、マスター」

「勿論さ、僕と君との間だろう、イグニス」


 僕は、イグニスの背中から降り、地面に立つ。未だ力は十全には入らないけど、それは彼女だって同じことだ。


 目の前の魔人は何やら呪文を唱え始める。それ共に、ルサットさんの姿が歪み、異形の化け物へと変貌していく。


「アリシア、協力してくれないか?」

「けっ」


 彼女は、血塗れの唾を吐き捨てると、僕の隣に並んでくれた。


「行くよ、イグニス」

「済まない、マスター」


 紅蓮の炎が僕たちを包み込む。それは人の祈りの結晶。闇を照らす清浄なる炎。

 聖剣・魔剣を携えた2人の男女は、ここにこうして並び立った。





「―――――!」


 異形の化け物は数えきれないほどの触手を振りかざして襲ってくる。アリシアはそれに対して雄叫びを上げながら迎撃する。


 切る切る切る切る、アリシアは身の丈を超す長剣をまるで枯れ枝でも振り回すように、軽々と取り回し、迫り来る触手を切り落とす。


「アリシア! そっちは任せた!」


 彼女が化け物の相手なら僕は魔人の相手だ。化け物は魔人が生み出したもの、最悪の場合魔人をどうにかしないと化け物は不死身かもしれない。

 切っても切っても再生する、化け物の触手がその可能性を物語る。


「おおおおお!」


 荒事になれたアリシアとは違い、僕はただの大道芸人。だが、イグニスに蓄積された経験が僕を無双の勇者に仕立て上げる。


「くっ!」


 僕は歯を食いしばりながら障壁へと突撃する。だが、障壁の周囲には剣の力を封印する結界が貼られていて、近づくほどに、力が吸い取られる。


 幾人もの犠牲のもとに作られた結界の向うで、魔人は下卑たにやけ笑いを浮かべる。近づかなければ魔人を倒せないが、近づけば近づくほどにこちらが不利になる鉄壁の結界。


「負け……るか!」


 力が吸い取られ膝を屈しそうになる。「助けて」「死にたくない」「なんで俺が」そんな幻聴が触れた結界より聞こえて来る。


「負け――るか!」


 今の僕たちは満身創痍。だが、かつての魔王との戦いはこんなものじゃ無かった筈だ。


「負け! るか!」


 彼の戦いは! 僕の所為で終わってしまった彼の人生は! こんな結末を望んじゃいない!


 僕は残り少ない力をかき集め、イグニスの力を全解放。紅蓮の炎はその熱を凝縮し、太陽の輝きを持ち、その障壁に亀裂を――刻む!


「なに!?」


 魔人の顔が驚愕の色を浮かべる。だけど……だけど僕にはこれが限界、ちっぽけな亀裂一つ入れるのに力を使い果たした僕は、重力に従い倒れ込む。


 その情けないさまを見て、魔人の口角が上がったその時だ。


「アイリス! 今!」

「応よ!」


 全力を使い果たした僕が倒れ込むその瞬間に、化け物を貫いた漆黒の矢が障壁の隙間に飛び込んだ。


「なに!?」


 魔人が焦るももう遅い。

 彼は勘違いをしていたのだ、僕は前座、本命はアイリスだ。


「おおおおおお!」


 障壁の隙間をこじ開けた漆黒の矢は、そのまま魔人を貫いた。


 僕たちの、勝ちだ――





 僕が目を覚ますと、そこは街の外側だった。


「あれ? どうして此処に?」

「へっ、ようやくお目覚めかよ、甘ちゃんが」

「……ここは、君の膝枕で目覚める場面じゃないのかな?」

「はっ、阿保言うな。俺の体はそんなに安いものじゃねーんだよ」


 僕は草原に寝っころがされて、その胸の上には、一振りの折れた聖剣。


「んじゃ、目が覚めたんなら俺は行くぜ」

「ん、そうだね」


 アリシアはそう言うと、街路樹から背を離す。彼女の隣にはローグレン。彼は何もういうことなく。アリシアの後を付いて行く。


「全く、今回は疲れたね、イグニス」


 僕は、彼女の冷たい温もりを胸に感じながら、真っ青に晴れた青空に向かってそう呟いたのだった。


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