第7話

「派手に行くよ、イグニス」

「了解だ、マスター」


 ポポポンと僕は次々とリンゴを放り投げる。イグニスはそれらに悉く投げナイフを命中させる。


「いやー、やるねぇイグニス。こりゃあたしもうかうかしてられないね」


 軽業担当であるラビットピープルのエリシアさんは、腕を組みながら不敵な笑みを浮かべながらそう言った。まだまだ子供であるチェミットさんとは違って、彼女は大人の女性だ。その不敵な笑みさえ、妖艶な魅力がある。


「手前味噌ではありますが、イグニスの芸は完璧です。エリシアさんとでも直ぐに合わせられると思いますよ」

「あはははは、大きくでたねぇ。けど、これを見せられちゃったら文句は言えない。いいだろう、ちょいと合わせてみるかい?」

「そう言う事だから、お相手してやってイグニス」

「了解した、マスター」


 エリシアさんは木剣をイグニスに放り投げる。彼女はそれを受け取ると、一振り感触を確かめてから、エリシアさんと相対した。


「行くよ、イグニス」

「了解した」


 事前の打ち合わせ無し、ぶっつけ本番の剣劇が始まった。エリシアさんは柔軟な身体を利用して予想もつかない角度から剣を振るってくる。

 だが、イグニスはそれを易々とかわしつつ、お返しの一撃を振るう。ピュンピュンと剣を振るう音が鳴り響く。これだけのスピードなのに、それ以外の音が聞こえないと言う事は驚異的な事だ。


「ははっ、上等だ、ギアを上げるよ!」

「了解した」


 目まぐるしい速度で、剣が振るわれる。正直今の僕じゃ2人が何をやっているのか目で追う事すら難しい。


「ほらほら客人! 盛り上げますよー!」

「了解! リリアノさん!」


 僕もぼーっとしては居られない。楽隊の端っこに座って、場を盛り上げるリュートを奏でる。


 相乗効果と言うものが、これ程までの物だったとは。イグニスとエリシアさんの演武はまるで一枚の絵画の様に、彩り豊かに演奏する僕たちをも魅了していく。そして、その逆も、僕たちの演奏が彼女たちを盛り上げ、彼女たちの演武が僕たちを加速していく。その無限の螺旋は何処までも高まっていき。


 カーンと木剣同士が打ち合う音が響いた。そして、へたり込んだのはエリシアさんだ。


「はっ、はっ、はっ、降参、降参」


 彼女は大粒の汗を流しながら、白旗を上げる。


「了解した」


 対してイグニスは汗一つかく事無く、涼しい顔。まぁ聖剣だからそもそも汗を掻かないのだが。


「……腹が減ったぞ、マスター」


 その代り、十分なカロリーは消費したようだ。彼女はお腹を押さえつつそう言った。





「はっはっはっ! やっぱり惜しいねー!」

「ひょうふぁ」


 両手に食べ物を持ったイグニスは、口の中をそれで一杯にしながら、エリシアさんにそう返事をする。


「まぁまぁ、嘆いても仕方ありません、エリシア。客人には客人の目的がある。自由を愛するサーカス団がそれを邪魔する訳にはいきませんわ」

「そりゃそうなんだけどねぇ」


 エリシアさんはそう唇をつぼませながら、イグニスの肩を抱く。どうやら、よほど彼女の事が気に入ったようだ。


「すみませんね、エリシアさん。僕たちには見たい景色があるんです」

「その景色がウチの中にあればいいんだけどね」


 彼女はそう言って苦笑いをした。

 僕たちの求める物ははるか遠く、夢の彼方に存在する。けど、もしかしたら間近にあるのかもしれない。


 イグニスの食事が終わり、昼からは軽めに流しつつも、その日はずっと練習に時を費やしたのだった。





「調子はどう、イグニス」

「問題ないぞ、マスター」


 お風呂を頂き、ほかほかになったイグニスが部屋に戻って来た。彼女はここの暮らしを楽しんでくれているのだろうか。

 少なくとも嫌な思いはしていないだろう。彼女の無表情の中にも、それを読める程度の時を過ごしてきた。


「……ここが求める場所なんだろうか」

「少なくとも、今この時はそうなんだと思うよ」


 充実感に満たされたテントの中、ここは母親の胎内だ。


「まぁ、そう思っているのは僕たちが客人と言う立場だからかもしれないけどね?」

「立場で変わるのか?」

「ああそうだよ、これが団長やリリアノさんの立場なら、経営状況とか色々と面倒くさい事を考えなきゃいけなくなる」

「……そうか、難しいのだな」


 これだけ大規模なサーカスとなれば、色々と面倒くさい事も山盛りだろう。そこら辺の裏事情は客人である僕たちに見せないようにしてくれているが、きっと色々あるはずだ。


 そう、それは確かに存在していたのだった。僕たちの想像できない意外な所で。





「うっ、嘘です! そんな事って!」

「そうだ、何かの間違いだ」

「いやいや、確かに契約書にはこう書いてありますよ」


 でっぷりと肥えた男が、団長とリリアノに向かって一枚の契約書を差し出してくる。


「そ……そんな」


 それを受け取ったリリアノは、顔を真っ青にしながらカタカタと足を震わせた。


「団長! これは罠です! 何かの間違いです!」

「おやおや人聞きの悪い。契約書は貴方が確かに確認したはずです」

「けど! 嘘です! こんな文面を私が見逃すはずがありません!」

「何と言われようと、契約は契約です。なーに悪い話じゃありません。お宅の経営、それ程楽と言う訳じゃないんでしょう?」


 その男は下卑た笑いを浮かべながら、契約書をリリアノの手から取り返す。


「きっ、貴様、何処でその話を」

「団長!」


 団長は歯ぎしりをしながらそう返した。それは男の話が事実であると認める様なものだった。男はその事に気を良くしたのか、更に追撃を放つ。


「この団は貴方の子供と同じこと。私にもその気持ちはよーく分かります。ですが、子供は何時か親離れをしていくもの。その時が来たのですよ」

「ふっ、ふざけるな!」


 頭に血が上った団長は、男の胸倉に手を伸ばそうと椅子を蹴倒し立ち上がる。

 だが――。


「うぐっ!」

「団長!」


 それは男の背後に立っていた。刺青だらけの大男に差し止められる。その筋骨隆々な手で、握りしめられた団長は、苦悶の表情と共に悲鳴を漏らす。


「ほっほっほ。握手ですか、団長。契約は了承してくれたと言う事ですな」

「ぐっぐっぐっ……」


 めきめきと、骨が軋む音が静かに鳴り響く。それを見たリリアノは泣きそうな顔をしてその手に縋り付いた。


「やめて! 暴力はやめてください!」

「ほっほっほ。暴力だなんてそんなそんな、彼はただ握手をしているだけですよ」

「やめて! やめてください!」

「ほっほっほ。いいでしょう。エンバック、止めるんだ」

「オーケー、ボス」


 エンバックと呼ばれた男は、ニヤニヤと笑いつつも、勿体付けて手を離す。


「うぐっ」

「団長!」


 離された団長の手は真っ赤になって、奇妙な形に歪んでいた。リリアノは涙を浮かべつつ、その手に優しく手を当てた。


「ほう、回復魔法ですか」


 淡い光が団長の手を優しく包む、回復魔法とは言え、リリアノにできることは痛みをわずかに緩和する事だけ。リリアノは歯を食いしばりながら、男を睨みつける。


「おお怖い怖い。まぁ今日のことろはこれで立ち去りましょう。ですが忘れないでくださいよ。今回の公演が、スコットサーカス団の最終公演だと言う事を」


 その言葉を残して、男は席を立った。後には重い空気だけが残されたのだった。





「ありがとう、大分楽になったよ」


 団長は青白い顔をしながらそう言った。


「済みません、私が付いていながら」


 事務仕事はリリアノの担当だ、彼女は契約の現場に立ち会っている。あの男、投資家のカザットと交わした契約は、その時は何も問題は無かった、無かったはずなのだ。


「こんな利率……」


 それがどうだ、突然やって来たあの男が取り出した契約書には法外な利息が明記されていた。いつどこですり替えられたのかは分からないが、それはとても、今すぐどうこうできる金額では無かった。


 契約書の管理は団長とリリアノの担当だ、彼女は責任を感じ、怒りと悲しみに打ち震える。


「この事は、私が何とかする、皆には黙っててくれないか」

「そんな……団長」


 それが無理な事は彼女が一番分かっていた、カザットはどうしようもない致命的なタイミングでこの話を表に出したのだ。


 だが、リリアノは団長の悲痛な顔を見て、首を縦に振ることしか出来なかった。


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