第六話

 カラン、カラン……

 ドアを開けるとドアから下がったベルが小さく鳴った。

「……いらっしゃい」

 薄暗い店内の奥で、老人がうっそりと口を開く。

「こんにちは」

 ダベンポートは出来る限り愛想よく挨拶をした。

「そこに飾ってあるフラスコなんですけどね」──と親指で背後のフラスコを示す──「一本売ってもらえませんか? 猫が入っているものがいいな」

「……猫は高いよ」

 しばらく無言でダベンポートを値踏みした後、老人はかなりの金額を口にした。

 まあ、払えない金額ではない。あとで魔法院に請求しよう。

「では、それで」

 値引き交渉は面倒臭い。

 言い値で買うことにし、財布を取り出しながら老人に近づく。

 老人は昏い顔を上げると、腰掛けたままダベンポートを見上げた。

「すぐに持って帰れるんですよね?」

 札を数え、老人に差し出す。

「…………」

 老人が反射する眼鏡越しに無言でダベンポートを見つめる。と、老人はダベンポートの制服に目を移すと再び口を開いた。

「……だが、あんたには売れない」

 売れない?

「なぜ?」

 思わずダベンポートは老人に詰問した。

「……そりゃ、あんたが魔法院の人間だからさ。魔法院には売れない」


+ + +


 その後しばらく押し問答をしてみたが、老人は頑なだった。魔法院には売れないの一点張り。

(まあ、そうかもな)

 ダベンポートは肚の中で毒づきながら、同時に諦めてもいた。

(この制服を着て来たのは失敗だった……)

 だがダベンポートは覆面捜査官ではない。捜査中も制服を着ない訳にはいかなかった。

(こうなれば違う手だ)

 ダベンポートは一度馬車に戻ると荷台の装備品の中から双眼鏡を取り出した。

 大きな双眼鏡を肩から下げ、今度は王立芸術劇場へと向かう。

 入り口で係員に事情説明。

 魔法院の制服の威力は絶大だ。さしたる問題もなく、ダベンポートは芸術劇場の尖塔の最上階へと上がることができた。

「さて、」

 口に出しながら尖塔の窓辺に陣取る。

 ダベンポートは肩から大きな双眼鏡を下ろすと、接眼レンズを覗き込んだ。

(根比べと行こうじゃないか、スレイフさん)


 一時間、また一時間。

 次々に親子が店のショーウィンドウを覗き込んでいく。だが、フラスコが売れる様子はない。たまに店内に入っていく親子もいたが、しばらくすると何も持たずに出てきてしまう。

 ダベンポートはリリィが作ってくれたサンドウィッチを食べることも忘れ、ひたすら監視に没頭した。

(あの金額だ。上流階級じゃないと気軽には買えないだろう)


 日が高くなり、そして暮れ、やがて広場の瓦斯灯に日が点ってもフラスコが売れる様子は一向になかった。

「しょうがない、今日は諦めよう」

 ダベンポートはスレイフ商店の店内が暗くなるのを確認してから双眼鏡を片付け始めた。

…………


 翌日からダベンポートは朝から王立芸術劇場の尖塔に陣取るようになった。

 スレイフ商店が開くのは昼の十一時、閉まるのはだいたいいつも晩の七時くらい。

 いつの間にか、ダベンポートは店内に入っていく人たちの階級を予想するようになっていた。

 あれは中流階級だな。おそらく買わない。いや、買えない。

 母親がパラソルを差している。服装も高そうだ。上流階級だな。

 キャスケット? 労働者君、その店に入るには少々若すぎやしないか?

 リリィの作ってくれたサンドウィッチを齧りながらも目は接眼レンズから離さない。

 その日もホムンクルスの入ったフラスコは売れる様子はなかった。店を覗く客は多いのだが、フラスコを手にして出てくるのを見た事がない。

(あの金額だ。たまに売れれば十分なんだろう)

 いつの間にかに夕闇が辺りに迫っている。

 ダベンポートが今日もダメだなと半ば諦めた頃、新たな親子がスレイフ商店の前に立った。

 母親は最新の腰のくびれを強調した服を身につけていた。ヒールの高いブーツに派手な帽子、両端に把手はしゅのついた長い傘ウォーキングパラソルにレースの手袋。絵に描いたような上流階級だ。

 少年用帽子を被った子供の服装も上品で有望そうに見える。

 母子がショーウィンドウを覗き込む。子供が中を指差し、笑顔で母親に何か喋っている。

(いい感じだ)

 やがて、母親は腰を折ると何事か子供に話しかけた。子供が大きな笑顔を見せ、先に立ってスレイフ商店の店内へと入って行く。

(買うかな? 買ってくれ)

 ダベンポートは様子を伺うために双眼鏡で店内を詳細に見ようとした。だが、店内が暗く、また俯角がありすぎるために良く見えない。

(クソッ)

 仕方なく、ベストのポケットから時計を取り出す。すぐに出てきてしまったらそれまで、しばらく滞在したら有望だ。

 五分……十分……十五分……

 母子はなかなか外に出てこなかった。

 中ではどのような会話が行われているのだろう。まさか値引き交渉という事はあるまい。迷っているのか、あるいはホムンクルスの飼育に関する注意を聞いているのか。

 さらにしばらく待ち続けた後、ようやく母子が店から出てきた。店内に小さく会釈し、ドアに背を向ける。

 ダベンポートはまず子供の持ち物を確認した。

(よし)

 ちゃんと大切そうにフラスコを抱えている。中に何が入っているのか判らないが嬉しそうだ。

(右手だ、右手を確認しないと)

 双眼鏡を廻らせ、子供の右手を追う。だが右手の甲はなかなか見えない。

(そうだ、もう少しこっちを向いてくれ。……あと少し)

 ようやく手の甲が見えた。

 その手の甲には魔法陣が刻まれていた。領域リームを結ばない、真ん中に太く斜めの線が描かれた魔法陣。キャロルの手の甲にあった魔法陣と同じ、魔力結合マナ・リンクの魔法陣だ。

(やはり、ホムンクルスと魔力結合マナ・リンクの魔法陣には関係があるんだ。店に入る前、あの子の右手には魔法陣はなかったはず)

 双眼鏡で母子の行方を追い続けながら考える。

 魔力結合マナ・リンクは呪文改竄かいざんの呪文だ。対象の呪文を書き換え、マナソースを変更する。

(マナソースを変更するという事は、それだけ術者の負担が減る事になる。その代わり外部のマナソースがその負担を肩代わりする事になるわけだが……)

 母子が楽しそうに石畳の広場をゆっくりと横切っていく。

(負担を肩代わりするという事は、それだけ新しいマナソースからマナが流れるという事だ……)

 ダベンポートは頭の中で式を書きつつ考え続けた。

(そもそも対象の呪文はなんだ? あの子の手の甲の魔力結合マナ・リンクは何の呪文を書き換えているんだろう? ホムンクルスと魔力結合マナ・リンクに何の関係が……)

 不意に、全ての事象がダベンポートの中で符合した。

「判ったぞ!」

 思わず叫び声を上げる。

「まずい、このままではあの子が危ない!」

 ダベンポートは急いで双眼鏡を片付けると、尖塔の階段を駆け下りた。

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