第2話 海辺の喫茶店で見た世界の光
ボクたちが扉を開けて入ってくるのを見て、喫茶店の
「おまえら学校は?」
お冷とメニューを置いた店主が開口一番そういった。
「なんだよ、関係ないだろ」とメニューをつっぱね、
「ボクはココアで。ラム酒を入れて下さい」
とがめられてもしょうがなかった。なにせ着替える時間がなくてボクたちは高校の制服のままだ。
平日の、昼下がり。三月とは言えまだまだ陽光は弱く、風は肌寒い。調子に乗って海を見に来たのだけれど三十分も眺めていたらやっぱりさむくねさむいさむいとだけ発する機械になってしまった薫のために、この店に避難したのだ。
「今日はテスト休みなんですよ」
嘘だった。でもボクがにっこり笑っていればそれは本当になる。今回もそうだった。
つられたように髭面の奥で、店主も笑う。そのはにかんだ笑みはまるで少年のようで、一気に若返って見えた。喫茶店の店主には不似合いと言っていいほどの若さ。それを隠すために、髭を生やしている。ボクにはそう見えた。
「なんだよ、あいつ」
「薫が、そんな髪の色にしちゃうから」
ボクは笑った。
ただでさえ薫は険が強いのに、最近急に、目にも鮮やかな金色に髪を染めてしまったのだ。
「やっぱり失恋?」
「まさか」
そんなことで、と薫はそっぽを向く。図星なのか他に理由があるのか、何度か蒸し返して遊ぶ予定なので本当のところはまだわからない。でもきっとすぐにわかるだろう。そろそろひっぱりすぎだとは自分でも思う。薫はほんとに怒ったときはボクとですら口を聞いてくれなくなるのだ。それでさみしい思いをするのは結局ボクなのなのだから、気をつけないといけない。
「海」
そっぽを向いたまま薫がつぶやくように言った。
「え?」
「ここでも見えるね」
「ああ、ほんとだね」
ガラス窓の向こうには陽光に波打つ海岸線が見えた。
「ここならあったかいしね。――もう大丈夫?」
「
そうだっけ、ととぼけてみるけれど、ココアにラム酒まで入れておいてその言葉に説得力がないことはわかっていた。じっさい薫がさむいさむいと言い出してくれてほっとしたし、そういうところに気がついてくれるから薫と一緒にいると心地いいのだと、ボクにもわかっていた。
「まあ、それなら別にいいけどね」
と言って、薫はひどく真剣に海を見つめ始める。
その横顔には驚くほどの光があった。まぶしくて見ていられず視線をテーブルの上、のっぺりと光を反射しているメニューへとそらす。歪んで映る薫の顔に、なぜだか少しほっとした。
「お待たせしました」
店主が飲み物を運んでくるのと、新たに扉が開くのはほとんど同時だった。
客の姿を認めると店主はうなずいてみせ、慣れた動きでその客はカウンター席へとするりと収まった。
ボクは一連の流れをぼんやりと眺める。
カウンター席の客と、目が合った。
彼が会釈したので、ボクも返す。
「何、誰? 知り合い?」
「え? ――いや、ぜんぜん」
知らない人だよ、とボクは答える。
「だって会釈してたじゃん」
「されたからだよ。返すでしょ、ふつう」
「ええー、しないよ。知らない人でしょ」
おっさんだし、と薫が口をとがらせる。
「ふふっ、薫はほんと好き嫌いはっきりしてるね」
「見たことないおっさんってだけでアレじゃん。きっといまに『いくら?』って訊いてくるよ、ぜったい」
そうかなぁ、とボクはココアに口をつける。
「でもそれはきっと――薫がきれいだからだよね」
「もう! そういう話じゃなくてっ」
砂糖もクリームも入れずにコーヒーを一息に飲み干して、薫が声を上げようとした。
その時だった。
――――。
「ちょっと待って」
薫を手で制し、ボクはカウンターへと耳をそばだてる。
「何?」
薫もカウンターの方を見る。
カウンター席の男性は常連なのか、髭面の店主と親しそうに話し込んでいる。隣席に大きなカバンを置き、その上に黒い一眼レフのデジタルカメラが置いてある。撮影したものを見せようとしているのか、男性はカメラを持ち上げ、液晶画面を店主の方へと向けていた。
「んー、勘違いだったかな」
「ねぇ、どうしたの?」
「んー、なんか隕石って聞こえたんだよね」
聞き間違いだったみたい、とボクは誤魔化すようにカップに口づける。気がつくともう中身がなかった。
「――あれ、それで、何の話だっけ?」
もういいよ、と拗ねたように薫が言う。
「ごめんごめん」
「もういいよ。あー、でも隕石、見つけられなかったね」
「そうだね」
それは昨晩のことだった。新しくDLしてみた無料通話アプリを試すために、ボクは薫に連絡しようとしていた。回線の強度にあっさりと左右される、まだまだ発展途上のアプリだったのか、ノイズまみれの会話にイライラしながら少しでもマシにならないかと窓に近づいた、その時だった。
西の空から南に向かって斜めに光が走ったのだ。
遅れて、空気が震える大きな爆発音が響いた。
「いまの見た?」
「見た見た」
どうやら薫も窓のそばにいたようだ。
「何あれ」
「流れ星?」
「でも音が」
「うん、すごかったね」
「やばいよ、あれ、きっとミサイルだよ」
「んー、じゃあ世界が終わるのかな?」
「でもまだ生きてる」
「じゃあ大丈夫だ」
「なんか海のほうだった?」
「みたい、落ちたのかな」
「探したら見つかると思う?」
「じゃあ、明日探しに行く?」
そうしよう、と言ってボクたちは電話を切った。
夜が明けて朝が来て学校が始まり、ボクたちは海にやってきたのだ。当たり前のことだ。海に落ちたというのなら見つけることはできない。流木やゴミとは違って岸に打ち上げられることはない。だから見つけることはできないのだ。
「いま、隕石の話してた?」
カウンター席に座っていた男性がすぐそばに立っていた。
「じゃあやっぱりさっき海岸にいたのは隕石を探してたんだ? いやー、まだ若いのに感心なことだね」
うんうん、とその男性はうれしそうにうなずいている。
「え、何、このおっさん、突然話に入ってきて。なんなの」
薫が殺気立って席を立とうとする。そのまま殴りかかりそうな勢いだ。
「ちょっと待って薫。この人、いま隕石って言った。言ってたよ。やっぱりさっき聞いたの、間違いじゃなかったんだ」
「おうおう、血気盛んだねこっちの
「何か知っているんですか?」
「その前に、座っても?」
「嫌!」
「どうぞ」
「ちょっと衛!」
ボクは一旦席を立ち、薫の席に身体をねじ込む。
「ありがとう」
そう言って彼はボクの座っていた席に収まった。
「まず自己紹介しないとね」
テーブルの上に彼は白いカードを置いた。そこには天文カメラマン・
ボクも自己紹介する。
薫も肘で小突くとようやく口を開いた。
「よろしくー」
嫌われちゃったなぁ、と赤沼さんは苦笑い。
「さて、それで昨夜の十等くらいの爆発低速分裂火球、つまり流星の件だけれど、
赤沼さんはデジカメを掲げる。
「隕石の写真、ですか?」
「そうだね」
「嘘だね、見つかりっこない」
「まぁ普通は地表に落下する前に燃え尽きてしまうし、海に落ちたり、山林にもぐったりして大抵のものは破片が、隕石として認識されることは少ないからね」
「でも今回は違った?」
「今晩のニュースで放映されると思うけど、この先の民家の屋根を砕いたのさ」
「え」
「マジで」
ボクと薫は思わず顔を見合わせた。
「その……お
「当分、雨が降ったら困るだろうけれど、幸いなことにご家族に怪我はなかったそうだよ」
「そうですか……」
つんつんと今度は薫が肘で小突いてきた。
それを見ていた赤沼さんがひとつうなずく。
「どうやら君たちは――この写真を見ないほうがよさそうだね。特に衛ちゃんは」
「え、どうしてですか? 見せていただけないんですか?」
「見せてもいいし、きっと今晩にもテレビで見ることになるだろうけれど――まぁ僕だってこれ以上、そんな顔した女の子を傷つけたくはないからね」
そんな顔?
傷つける?
どういう意味なのだろう。
いつのまにか薫が袖を引っぱっている。
「もう行こうよ、衛。私、別にもういいし」
「うん、薫ちゃんはわかってるみたいだね」
「おっさんにちゃん付けで呼ばれたくねー」
赤沼さんは残念そうに微笑む。
「それじゃあ、お邪魔したね」
「え、そんな――」
本当に見せてもらえなくなった。そういうことらしい。でもどうせ見ることになるのならここで見ても――ハッとして薫の顔を見る。薫は心配そうにボクの顔を見ていた。
――そうだ、ボクは本当に隕石が見たいのか? ボクは隕石を見つけたかったのか?
「まいったな」と赤沼さんは頭をかく。「そういう顔をされちゃあなぁ。人物は苦手なんだが、撮りたくなってくるよ」
「変態」
薫の言葉に、赤沼さんは鷹揚にうなずいてみせる。
「男はだいたい変態だよ」
「うわ、キモ、開き直りかよ」
事実なんだけどなぁ、と笑顔の赤沼さん。
そして彼は続けてこんなことを言った。
「わかってもわからなくてもいいし、きっとすぐに忘れるだろうし、将来不意に思い出すことがあるかもしれない。ああ、あの時の変態のおっさんが言っていたのはこういうことだったのか、ってね」
「嫌な覚えられ方」
「そうだね。さてここからが本題だ。君たちは地球外知的生命、つまり宇宙人の存在を信じるかい?」
ボクと薫はお互いをうかがうように顔を見合わせた。まじめに受け答えすべきかどうか、本当にこの人が変態ではないのか、目だけでボクたちは議論し、まずボクの方から答えることになった。
「いると思います」
「なるほど」
「考えたことない」
「なるほどね」
まぶしいものを見るように赤沼さんは目を細める。
「フェルミのパラドックスというものがあってね。地球外生命の存在可能性は意外に高いのに、今まで人類に接触してきた証拠は一切ないのはどうしてなのか、という矛盾に対して色々と仮説を挙げて考察していくんだ。すでに来ているけれど僕達には認識できない。昔、来ていたけどいまは来ていない。来られない理由がある。そして、存在しないから来ない」
ボクたちの理解が追いつくのを待ってから赤沼さんは言葉を続けた。
「僕が君らの年の頃、宇宙人はいて、いまにも地球に侵略してくるんじゃないか、なんて想像をたくましくしていたこともあった。そうすれば人類も一致団結できて、もっとよりよい方向に進めるんじゃないかってね」
赤沼さんは恥ずかしそうに言った。
「でも色々あってこの歳まで生き延びてしまって、この考え方はどうにも具合が悪くなってきた。だから――僕は、宇宙人は存在していないから来ない、という立場をとる。この星の人類が唯一の知的生命なのではないか、という立場だ。宇宙人の侵略を待っていてもしょうがない。自分たちでどうにかするしかない」
「それは――なんだか寂しくないですか?」
「そうだね。でもきっと君たちはそれがどういうことなのか知っているし、だからこそ写真は見ないほうがいいこともわかっている」
「そうなんでしょうか」
「どうでもいいよ、そんなこと」
薫が椅子を蹴立てる。
「帰ろ、衛」
ああ胸が苦しくなるほど、美しい声だった。薫がボクを見て笑っている。窓から差し込む西日を背後に従えて、薫の、傷心の象徴としての金色の髪が燃えあがるようだった。
「うん、帰ろう」
「さようなら」薫が言った。本当にいい声だった。
「さようなら」ボクも言った。
むせ返るような黄金色の光の中、ボクたちは硬貨をいくつかテーブルに投げ出し、連れ立って喫茶店を出た。つないだ手がはなれる、その時が来るまでボクは大丈夫だ。そう強く思った。
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