第5話 べっこう飴
冷たい雨だった。外で作業している村人はほとんどいない。ジナがまず向かったのは叔母の家である。
「ごめんくださーい!サナおばちゃんいるー?」
「はーい!あら、ジナかい。何だい」
伯母のサナは、母キナの姉だ。母は3姉妹で、この長姉が婿を取り稼業の漆器作りを継いでいる。
漆は素手で触ればかぶれる。ジナも幼い頃は、漆の木の前で厳しく注意されたものだ。そんな伯母の手はもちろんなのだが、それよりも先に塗ってあげたい人がいた。
「ラクおじちゃんの傷はどう?」
2日前街へ漆器を売りに行った帰り、野犬に襲われたのだ。同行した息子と二人、幸い腕を爪にやられただけで済んだが、父の方は仕事を休んでいるという。
「酷く膿んだりは無いからね、大丈夫だと思うんだけど…」
サナの顔が曇る。脳裏に浮かぶのはまだ記憶に新しい、ミナの死だった。
「上がらせてもらうね」
手ぬぐいを受け取ると、ジナは足と濡れた体を簡単に拭いた。
「ジナ!よく来てくれたな。聞いたぞぉ、ホノン家の連中、青ざめてたってな」
「もう広まっちゃったの?」
「小せぇ村なんだから仕方あるめぇ。しっかし、生意気な娘っ子だ」
言いながら、湿ったジナの頭をくしゃくしゃにした。
「お父ちゃんもお母ちゃんも怒ってるだろ?」
茶を淹れながら伯母が心配そうに顔を向ける。
「お母ちゃんは分かってくれたけど…お父ちゃんとは今夜話しする」
「サザには父親の役割と同時に、
「うん!ねぇおじちゃん、これ傷に良く効くクリーム。あたしが作ったんだよ。塗ってあげる」
「作った?すげぇな、
包帯を外した腕には、消毒作用のあるズズバの葉が傷口に当てられていた。鋭利な3本の爪で一掻き、赤黒く直線に走っている。
「痛い?しみる?」
傷口に触るのは、こちらの方が毛穴が逆立ってしまう。なるべく痛くさせないように、たっぷりとすくい軽くのせていく。
「いや、しみねぇよ。いい匂いだなぁ」
ズズバの葉もすうっとする匂いがするのだが、それと合わさると燃える傷口を鎮めるだけでなく、かったるい体に活力が巡るようである。
「これ塗ったらね、明日には魔法みたいに治っちゃうんだから。ユルゾの実の油にはね、傷を治す効果があるんだよ」
仕入れたばかりの知識を披露したくなるのは、仕方ないことである。
「サナおばちゃん、これ少し置いていくから、また塗ってあげてね」
エナンがくれた容器にクリームを少量移し替えて渡す。
「アタシが塗るのかい?」
「そうだよ。あかぎれとかひびにも効くんだから。おばちゃんにはおじちゃんが塗ってあげればいいんだよ」
「なに言ってやがる」
「よしとくれよ」
ジナの提案を二人同時に否定して、二人は顔を見合わせた。
「それより、傷に効くんならカダさんとこにも行ってやってよ」
「んだな、あそこも野犬にやられたからな。このところ毎晩だったが、そういや昨日は犬っころの奴、大人しかったな」
雨が降って、野犬が静かになって。やっぱりエナンの魔法じゃないか。
自分しか知らない秘密を見つけたような気になり、心が躍るようだった。
「わかった、カダさん家に行ってみるね」
「あ、ジナや、ちょい待ち」
サナが
「この間、街に行商に出て、うちの人が買ってきてくれたんだよ。どうだい」
「あー!べっこう飴!」
ボウ村では砂糖は貴重品であり、縁日や祭りで街からの行商人が来た時だけ食べられるから、特別なものなのだ。
「キラキラしてきれいだよね。おいしいぃー」
蜂蜜とはまた違った、濃厚でダイレクト、ストレートな甘さ。
「おなごってのはホントに甘ぇもんに目がねぇよな」
伯父の家には息子しかいない。だから、この飴は妻の為に買い求めたのだろう。
「優しいとこあるじゃん。塗ってあげてよっ」
「うるせぇ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます