第85話【3月13日その1】心の準備はできている


 わたしたちはそれを見て思わず歓声をあげた。

 箱に入っていたのは色とりどりのマカロンだった。単色のものだけでなく、マーブル模様などもある。

 見た目が綺麗なだけでなく、数が多いのも嬉しい。どれもおいしそうで目移りがしてしまう。


「バレンタインデーの時に、誰かさんが食い足りないと言っていたからな」


 結城先輩が笑いながらそんなことを言った。

 放課後の図書準備室。目の前のマカロンは結城先輩からのホワイトデーのお返しである。

 明日は土曜日で学校が休みだから、一日前倒しになったのだ。


「限度ってものがあるでしょうが、こんなに食べて太ったらどうしてくれるのよ?」


 食い意地が張っているように言われた早苗先輩が、悔しそうに反撃する。


「多かったら持って帰ればいいだろうが。おまえは絶対に文句を言わなきゃ死ぬ呪いにでもかかっているのか?」


「はあ!? あんたから喧嘩を売ってきたんでしょ!」


 いつものごとく始まった喧嘩に、わたしと亜子ちゃんが仲裁に入る。

 本当に毎回よく飽きないものだ。もっとも喧嘩するほど仲が良いとも言うから、ちょっと羨ましくもある。

 とにかくみんなで頂くことにした。

 わたしが手に取ったのはクリーム色のマカロンで、口に入れると柔らかい甘みが広がった。これはどうやらバナーヌのようだ。とてもおいしい。 

 高級そうだし、数も多いから結構な値段がしたのではないだろうか?

 結城先輩ひとりでゴディバと同じ金額を出したのだとすると申し訳なかった。


「それと、これは北条へのお返しだ」


 マカロンをひとつ食べ終えたところで、結城先輩が綺麗にラッピングされた包みを亜子ちゃんへと渡した。

 亜子ちゃんが個人的に渡したチョコのお返しだろう。


「みんなで食べたのに、わざわざすみません。でも嬉しいです」


 亜子ちゃんがはにかんだように微笑んだ。

 ちなみに結城先輩に個人的なチョコを渡したのは亜子ちゃんだけではない。わたしも告白といっしょに贈った。

 そのお返しが今ここで渡されないのは、事前に打診されたからだ。


 結城先輩から珍しく――というより初めてLINEがきて何事かと思ったら、ホワイトデーのお返しはいつ渡せばいいかという内容だった。

 わたしが結城先輩にチョコを渡したことは、亜子ちゃんは知っているが早苗先輩は知らない。抜け駆けをしたつもりはないが、図書準備室で受け取ると微妙な空気になりそうだった。

 

 部活の時間以外でと返事をすると、それなら休み時間に教室まで届けに行くと言うので慌てた。

 恐れ多いうえに、上級生にホワイトデーのお返しを持って来させたとなると、クラスメイトからどれほど囃し立てられるかわかったものではない。

 バレンタインデーの時と同じように、わたしがJRの駅まで行くことを申し出ると、それは申し訳ないから学校周辺で時間を潰していてくれと言われた。


 早苗先輩へのお返しもこの場で出てこないところをみると、わたしと同じようなやり取りがあったと推測する。

 なにしろ尾行したわたしは知っているが、早苗先輩も個人的なチョコは渡していないことになっている。やはり下校時に受け取るのだろう。

 わたしはそんなことを考えていたが、みんなはマカロンを食べつつ楽しそうに話をしていた。珍しく結城先輩も会話に加わっている。

 実はこんなにのんびりとした部活は久しぶりなのだ。最近はビブリオバトル漬けの毎日で、特訓と呼んでもよい日々を送っている。



 文芸部では新入生の勧誘活動としてビブリオバトルを主催することを決めた。

 しかし全員が経験のない素人である。

 ぐだぐだな発表をすると、逆効果で新入部員がゼロという可能性もあるため、わたしたちは必死に練習をしていた。

 まずは部員だけで発表と反省会を繰り返した。

 そして初めての実戦が昨日のことである。

 本当はもっと早くにやりたかったのだが、卒業式や霧乃宮高校の一般入試があったりと、なかなかスケジュールが取れなかったのだ。


 そして初めてのビブリオバトルは、成功したと言ってもよいと思う。

 聴講者にはみんなの友達と図書委員の人たちに協力を仰いだ。もっとも放課後開催だからそれぞれの部活があるし、塾などに行く人もいる。

 思ったように人数を確保できなくて困っていたのだが、会議室の使用を申請しに生徒会室に行ったらそれが解決した。

 使用目的を聞いた会長さんが「おもしろそうだな」と言い、執行部の人たちが全員で来てくれたのだ。

 もっとも会議室に集まった顔ぶれを見て、早苗先輩は顔を引き攣らせた。


「……聴講者のレベルがすっごい高くてやりづらいんだけど」


 あらためて言われるとたしかにそうだった。

 そもそも霧高生はみんな頭の回転が早く知識も豊富だ。その中でも優秀な人材が揃っている執行部と、本に詳しい図書委員。さらに曲者ぞろいの結城先輩のクラスメイトである。文化祭でお世話になった吉田さんや芹沢さんもいる。

 吉田さんなどは柔道着姿で、どう見ても部活を抜け出してきていた。ありがたいことだが、柔道部のエースがいいのだろうか?


 そうして開催されたビブリオバトル、チャンプ本を紹介したのは結城先輩だった。これはさすがの貫禄というものだろう。

 その後の総評では結城先輩から「鈴木はまくし立てすぎる。もう少し落ち着いて話すように」「北条はもっと自信を持っていい」というアドバイスがされた。

 ちなみに早苗先輩の結城先輩評は「もっと感情を込めなさいよ」というものだった。しかしわたしが思うに、結城先輩はわざと抑制した話し方をしていた。その方が下手に声を張るよりも、聴講者は熱心に聞き取ろうとするのだ。


 そしてわたしはというと、信じられないことにみんなから褒められた。

 わたしにはビブリオバトルの――というより人に伝える才能があるという。

 これは部員だけでなく聴講者からも言われたことだった。嬉しいが同時にプレッシャーを感じてしまう。

 そして来週には次回の開催を予定していた。

 今日の聴講者は次も来てくれるというし、中には本番の新入生勧誘ビブリオバトルにも参加したいと申し出てくれた人もいた。

 そんなわけで初めてのビブリオバトルの成功を祝して、ホワイトデーの今日ぐらいは久しぶりにのんびりしようとオフ日となったのだ。



 結局、少し余ったマカロンは女性陣で分けあって持ち帰ることにした。

 鍵を閉めて図書準備室を出る。

 一階で先輩たちと別れて昇降口を出たところで、わたしは亜子ちゃんに声をかけた。


「ごめん。先に帰っててもらえる?」


 亜子ちゃんは事情を聞かなくてもわかったのだろう。微笑んで見送ってくれた。

 今回は直接校門へは行かずに自転車置き場へと向かう。そこには予想通り自転車を出している早苗先輩と、それを待つ結城先輩の姿があった。

 そのまま連れ立って校門から外へと出たので、わたしも一ヶ月前と同じように隠れながら後を付いていく。

 結城先輩は学校周辺で時間を潰していてくれと言ったが、この長い距離を往復させるのは申し訳ない。わたしがJRの駅まで行けば済むことだ。


 大通りへと出たところで、結城先輩が鞄からラッピングされた包みを取り出し、早苗先輩へと手渡した。もちろんホワイトデーのお返しだろう。

 そこでまたお馴染みのやり取りがあった。早苗先輩がまくし立て、結城先輩が笑っている。

 やっぱり楽しそうで羨ましい。


 先輩たちは今日も駅前までいっしょだった。

 そこでさらに少し会話をしてから、早苗先輩が自転車に乗って立ち去る。バレンタインデーにも見た光景だ。

 この前と違うのは、結城先輩がペデストリアンデッキの階段を上らずに、こちらへと引き返してきたことだ。

 わたしも隠れていた建物の陰から体を出す。

 結城先輩がこちらに気づいて、手を上げて近づいてきた。


「なんだ、わざわざ来たのか?」

「すみません。待っていても落ち着かないので」


 結城先輩はそれに苦笑すると、鞄からラッピングされた包みを取り出す。

 さっき早苗先輩に渡した物と、見た目的には変わりがない気がした。


「先に渡しておく」

「ありがとうございます」


 お礼を言ったものの、その言葉に引っかかった。

 先にとはどういう意味だろう?


「話があるんだ。私鉄の駅まで送って行こう」


 そう言うと結城先輩は先に立って歩きだした。

 わたしはしばし硬直したあと、慌てて先輩を追いかける。この予想外の展開に激しく動揺していた。

 結城先輩の話というのは、単なる世間話ではないだろう。

 お返しを渡した直後で、さらに先輩はバレンタインデーの時にわざわざホワイトデーのお返しの法則を確認している。

 つまり、話というのは告白の返事に違いない。


 わたしは一気に緊張してきた。

 この一ヶ月、お返しの中身については嫌というほど考えていた。

 さすがに『嫌い』のマシュマロはないと思う。もしマシュマロだったらショックで寝込んでしまうだろう。


 お返しは九十九パーセント『友達でいよう』のクッキーだと予想していた。振られたことになるわけだが、そこまでショックではない。妥当な結果だ。

 次に会った時に笑顔で「今後もよろしくお願いします」と言える自信もある。

 夜中に布団の中で、少し泣くぐらいはあるかもしれないけど……。


 そして、もし残り一パーセント『好き』のキャンディだったら。……正直どうすればいいのかわからない。

 結城先輩とまともに顔を合わせることすらできない気がする。

 しかし、わざわざ話があるということは、それはやっぱり――


「有村は――」

「ひゃい!」


 いきなり呼びかけられて、裏返った声が出てしまった。


「す、すみません。はい、なんでしょう?」


 落ち着け、わたし。シミュレートは散々してきた。「すまない。有村のことは後輩としか見ていないんだ」これなら笑顔で「今後もよろしくお願いします」だ。

 もし、もしも「俺も有村が好きだ。付き合ってくれないか」だった場合には、……なんと返事をすればよいのだろう?

「ありがとうございます」は返事になっていない気がする。尋ねられているのだから「よろしくお願いします」だろうか? うん、それでいいと思う。

「後輩としか」なら「今後もよろしくお願いします」

「付き合ってくれ」なら「よろしくお願いします」

 なるほど「今後も」を付けるか、付けないかが重要なのだ。

 よし、大丈夫! 心の準備はできている。


 結城先輩がこちらを見てくるのに、わたしも視線を合わせた。

 先輩の口がゆっくりと開く。


「有村は、作家になるつもりなのか?」


 まったく予想していなかった言葉に、わたしの思考と体は完全に動きを止めた。


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