第83話【2月25日その2】一緒に見る景色


 書店をあとにしたわたしたちは、全国チェーンの新古書店へと来た。

 ずっと結城先輩について歩くのも迷惑だろうということで、ここでは別々に行動することになった。

 それでもわたしは結城先輩のことを目で追ってしまう。しかし先輩は海外作家の文庫棚をしばらく見ると、あっさりと店の外へと出てしまった。

 少し迷ったあと、わたしもその後を追う。


「早いな、有村。もういいのか?」


 わたしに気づいた結城先輩が声をかけてくる。


「積読がだいぶ溜まっているので買うのは控えようかと。結城先輩も随分と早いですね」

「ああ、俺は新古書店では絶版の本しか買わないようにしているんだ」


 予想していなかった答えに、わたしは目を瞬く。


「それは何故ですか?」

「古本を買っても、作者や出版社には一円も入らないからな」


 結城先輩は苦笑するが、わたしは笑えなかった。なぜなら自分が本を買う時にはまず新古書店で探すからだ。

 ベストセラーなどは供給が多いからだろう、驚くほど安い値段で手に入る。それに慣れると書店で新刊を買うのがもったいないとさえ思えてくる。

 そんな風に考えていた自分が恥ずかしく、情けなくなった。

 俯くわたしの様子から察したのだろう、結城先輩が優しい声をかけてくる。


「気にしなくていい。俺たちは学生なんだ、小遣いだって親からもらったものだ。節約するのはむしろ良いことだぞ。

 もし有村が罪悪感を覚えるのなら、社会人になってからは新刊を買うようにすればそれで十分だ」


 わたしは小さな声で「はい」と返事をすることしかできなかった。

 やっぱり結城先輩にはかなわない。先輩は自分のことだけでなく、広い視野で物事を考えている。


 そのまま結城先輩と話をしていると、しばらくしてから亜子ちゃんが、続いて早苗先輩が「ここにも鬼滅なかったー」と言いながら出てきた。

 次の目的地はわたしのリクエストで中央図書館に決まった。聞けば地元民である早苗先輩以外は、みんな行ったことがないという。


「ちょっと遠いからねえ」


 そう話す早苗先輩の案内で、わたしたちは歩き出した。




 到着した中央図書館はたしかに街の中心部からは少し離れていた。その代わり新しい建物で中も広かった。もっとも利用者は少なく閑散としている。


「まあ夕方だからね。昼間だと高齢者が結構利用してるよ。新聞や雑誌を読んでいる人がほとんどだけど。あとCDを聴ける席で落語を聞いたりとか」


 早苗先輩はさすがに詳しい。


「でも勉強をしている学生も少ないですね」


「国公立が今日から二次試験だっていうのもあるだろうけど、今の時期だと体調管理のほうが大切だからじゃないかな。インフルエンザや、最近だと新型肺炎も心配だしね。受験生以外はあたしたちといっしょで、テストが終わって羽を伸ばしているのかもよ」


 なるほど。自分のことを棚に上げていた。

 わたしたちは静かに開架スペースを見て回る。

 その蔵書数は圧倒的だ。わたしの地元の図書館とは比べ物にならない。それでも誰も本は借りなかった。

 やっぱり立地が不便で、ここまで返却に来るのがネックとなる。

 エントランスまで戻ると、わたしはイベントカレンダーを見るために足を止めた。


「何か目当てのイベントでもあるの?」


 早苗先輩の質問に、わたしは曖昧な返事をしてスケジュールを見たが、思わず呻き声を漏らす。

 真っ白でほとんど予定が入っていないのだ。


「酷いなこれは。もっとも図書館も予算削減で、司書も職員も足りないらしいから仕方がないのかもしれないが」


 結城先輩も顔をしかめている。


「ビブリオバトルの予定がないかと期待していたのですが……」


 わたしが中央図書館に来たかった理由がそれだった。

 先月にビブリオバトルの話を聞いてから、動画も観たし『BISビブリオバトル部』も読んだ。するとますます、実際の様子を見たくなったのだ。


「ここでビブリオバトルをやったのは、あたしが聴講参加した二年前が最後じゃないかなあ。聴講者は来ても発表者が集まらないらしいんだよね」


 早苗先輩は自分のせいではないのに申し訳なさそうである。


「二年前ですか……。三ヶ月に一度ぐらいは開催しているのかと、勝手に思い込んでいました」




 わたしたちは図書館をあとにすると来た道を引き返す。行き先は決まっていないが、とりあえず街の中心部に戻ろうということになった。


「瑞希はそんなにビブリオバトルに興味があるの?」


 早苗先輩の問いかけに、わたしは頷いた。


「はい。やっぱり新入部員勧誘に有効だと思うんです。わたしたちでやるのは無理かもしれませんが……」


「なんで無理と決めつけるんだ? 発表者は四人いれば十分だろう?」


 わたしはその声に振り返る。

 結城先輩が怪訝そうな表情でこちらを見ていた。


「あの、ビブリオバトルをやるとしたら結城先輩も参加してくれるのですか?」


「当然じゃないか、文芸部の新入部員勧誘の一環なんだからな。……何をそんなに驚いているんだ?」


 驚きもする。結城先輩は他人に本を薦めない人だ。だからビブリオバトルなど、もってのほかだと決めつけていた。

 そして結城先輩が参加しないのなら、開催は無理だと思っていたのだ。

 もっともそう思っていたのはわたしだけではないらしい。早苗先輩も亜子ちゃんも驚きの表情を浮かべている。


「あたしも、あんたはやらないと思っていたんだけど。どういう風の吹き回し?」


 早苗先輩の言葉に、結城先輩は苦笑する。


「言った通りだよ。他所でやるビブリオバトルなら絶対に参加しないさ。だが文芸部主催で、ましてや新入部員勧誘のためならそうも言っていられないだろう」


「ありがとうございます!」


 わたしは勢いよく頭を下げた。

 結城先輩が参加してくれるなら絶対にうまくいくはずだ。しかし先輩は真剣な表情になってわたしを見た。


「喜ぶのは早いぞ。ビブリオバトルをやるとなったら、はっきり言って時間が足りない。一ヶ月そこらしかないんだからな。

 どんな競技でも経験者と素人の差は歴然だ。俺たちは本を読んではいるが、ビブリオバトルに関してはずぶの素人だ。稚拙な発表をしたら逆効果で、新入部員がゼロという可能性もある」


 結城先輩は脅しているわけではないのだろうが、わたしとしては急に不安になった。


「それじゃあ、どうしたらいいでしょうか?」


「経験を積むしかないな。明日から毎日、まずは部員だけで公式ルールに則った発表をやる。終わったらお互いの改善点を指摘し合う。ある程度さまになったら聴講者を集めて実戦だ、最低でも三回はやっておきたいところだな」


 思わず唾を飲み込んだ。具体的にやるべきことを言われると、たしかに険しい道のりに思える。


「もっとも、禁じ手がなくもない」


 結城先輩が皮肉気に笑う。

 わたしは早苗先輩、亜子ちゃんと顔を見合わせた。


「禁じ手とはなんでしょうか?」


「簡単だよ。台本を作って本番に臨むんだ。紹介する本も発表内容も相談をして決める。そして繰り返し発表の練習をする。聴講者を集めて本番を想定したリハーサルまでやれば完璧だな。要するに舞台といっしょだ」


「それは……」


 それはもうビブリオバトルとは呼べない。

 みんなはそれでいいのだろうか?

 わたしが隣を見ると、早苗先輩は冴えない表情で肩をすくめた。


「まあ、最終手段よね。ただ時間がないっていうのも、あたしたちが素人だっていうのもその通りだから、選択肢としてはありだとは思う」


 亜子ちゃんに視線を移すと、やはりその表情は曇っていた。


「できればそんなことはしたくはないけど……。ただ、わたしは人前で話すのが苦手だから、練習できるのはちょっとありがたいかも……」


 早苗先輩も亜子ちゃんも積極的に賛成ではないが、仕方がないとも思っているようだ。

 結城先輩は表情が消えた顔でわたしを見ていた。


「どうする、有村?」

「わたしは……」


 どうして結城先輩はこんな提案をしたのだろう?

 結城先輩らしくなかった。それともそこまで切羽詰まった状況なのだろうか?

 わたしが黙っていると、頭上から笑い声がした。

 顔を上げると結城先輩が笑っている。しかしその目は笑っていなかった。


「どうした有村。嫌なら嫌だとはっきり言えばいい。それとも俺の提案には反対できないのか?」


 結城先輩と目が合う。

 その瞬間、先輩が何を求めているのかがわかった。


「わたしは――、わたしは反対です! それはビブリオバトルとはいえません! そんなことをするぐらいなら、たとえ稚拙な発表でも正々堂々と勝負したほうがマシです。わたしは最初から新入生を騙すようなことはしたくありません!」


 わたしの発言を聞いて結城先輩が微笑んだ。

 今度は本心からの笑みだとわかった。


「俺も同意見だよ。そんなことはしたくない。有村の言うように最初から嘘を付くと、後から偉そうなことを言っても説得力がないしな」


「じゃあなんで、こんな提案したのよ?」


 早苗先輩が腹立たしそうに尋ねるのに、結城先輩は軽く肩をすくめる。


「あくまで可能性の提示だよ。それで鈴木と北条はどうなんだ?」


 すると早苗先輩は不敵な笑みを浮かべた。


「やってやろうじゃない。みんながどんな本を紹介するのかも楽しみだしね」


 亜子ちゃんも顔を赤らめながらも力強く頷いた。


「わたしも大丈夫です。ひとりじゃなくて、みなさんといっしょですから」


「なら決まりだな、明日からさっそくやるぞ。練習の時からとっておきを紹介していると、本番までにネタ切れになるから気を付けろよ」


 結城先輩はそう言って笑ったが、たしかにそうだ。読書量の少ないわたしは、最初からハンデを背負っている。

 それでも不安よりも、楽しみのほうが大きかった。




 街の中心部に戻ってきたわたしたちは、アーケード街の入り口に佇んでいた。


「どうしよっか。お茶でもする?」


 早苗先輩の提案に、みんな無言で顔を見合わせる。そんなお金があるなら本を買うという価値観で一致している四人なのだ。

 もちろん誰かが希望すれば反対はしないが、自ら進んでそれを望む人間もいない。


「少し早いが解散でいいんじゃないか?」


 結城先輩の言葉にもみんな無言だ。

 明日からのビブリオバトルの準備もあるから、早く帰ったほうがいいのはたしかなのだが、まだ別れがたい気持ちもある。

 すると早苗先輩が手を打った。


「そうだ! 良いところがある。あそこに行こう!」


 早苗先輩は先に立って歩き出したが「すぐそこ」と言うだけで、何処に向かっているのかは教えてくれない。

 たしかに目的地にはすぐに着いた。しかし、立派な建物と石碑に彫られた名称を見て驚いてしまう。なんと県庁なのだ。

 早苗先輩は敷地どころか、建物の中にまでずんずんと入っていく。


「早苗先輩いいんですか?」

「平気だって。ほら、早く乗って」


 追い立てられるように、わたしたちはエレベーターへと乗り込んだ。

 到着したそこは最上階の展望ロビーだった。

 目の前には夕焼けに赤く染まる霧乃宮市が広がっている。


「だいぶ日が伸びたよね。夜景も綺麗なんだけど」


 説明書きによると、この展望ロビーは地上六十五メートル、二十一時まで開いているそうだ。

 みんなで窓の近くに立って、しばし無言で眺める。

 高層ビルがないので街が一望できた。霧乃宮高校も、先程までいた中央図書館もよく見える。


「しかし、県庁が街で一番高い建物っていうのはどうなんだ?」


 結城先輩が呆れたように言うのに、わたしたちも苦笑する。

 しばらくしてから、早苗先輩の家が見えるか確認しようということになった。反対側へと移動を始めたのだが、結城先輩だけはその場を動かない。

 早苗先輩と亜子ちゃんに先に行くように言ってわたしは引き返す。

 真剣に景色を見ている結城先輩に声をかけた。


「高いところがお好きですか?」

「なんとかと煙はって言うからな」


 結城先輩がそのなんとかなら、わたしの立場がない。

 少し迷ってから言葉を継いだ。


「さっきはありがとうございます」


 結城先輩が振り返った。


「ビブリオバトルのことなら礼はいらないぞ。俺も文芸部員なんだ、協力するのは当然だからな」


「違います。わたしに自分の意見を言うように誘導してくれたことです」


 結城先輩があんなことを言い出したのはそのためだ。

 先輩は「気づいていたか」と軽く笑う。


「有村は俺に遠慮しすぎている。そもそも最初から、ビブリオバトルをやるから全員参加だと言えばいいんだ。俺が他人に本を薦めないことを忖度する必要なんてない。気を遣うことと、言うべきことを言わないのは別なことだ。わかるな?」


「はい」


 わたしは神妙に頷いた。


「クリスマスのお薦め本交換会の時に、有村は俺と対等に語り合いたいと言ったよな。だったら俺のことを信奉するのはそろそろやめたほうがいい。そうしないと、いつまで経っても俺たちの関係は変わらないぞ」


 結城先輩の真剣な表情に、わたしも口元を引き締め頷いた。

 たしかにそうだ。もう一年になる。餌を待つ雛でいる時間は終わらせるべきだろう。自分が望んだことだ、羽ばたく時期なのだ。


「二人とも何してんのー?」


 早苗先輩が呼ぶ声に、振り返って手を振る。

 結城先輩は隣に立つと、あの優しい目でわたしを見た。


「急がなくていい。少しずつ変わっていけばいいんだ」

「はい!」


 わたしは返事をすると、結城先輩といっしょに歩き出した。


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