偶像と共に去りぬ
フィールドワーク専門の研究員を少し羨ましく感じたものだから、部署移動を申請したらすんなりと通った。
調査員として、自殺が行われた場所へ調査に行くことになる。
+ + +
以前読んだ手記……「蠅、砂、隠」だったか。その中で調査員が行ったのは、田舎の廃校だったか。私も行ってみたかった。おそらくあの手記が書かれてからほどなく経って、カルト教団による集団自殺事件と、自殺を先導した教祖の逮捕がニュースになったと思う。
人が死んだ場所には物語がある。
語られる寸前で途絶えてしまった物語。仮に途絶えずとも次のページですぐに完結するような、終わり間際のもどかしい小説。
そういうのを読んでいるみたいだ。
みたいだし、読み終わって、何も語りかけてくれなくなった物語が、弱々しく、余力だけでひっそりと続き、本当の幕を閉じていったような、最後まで読んでくれた人間にだけ与えられるボーナス要素めいた、そういう特殊な物語。
人にもまた、物語がある。
そしてその人の物語は、その人の死によって文字通り終幕として幕を閉じることで完結する。
研究所で電話越しに聞いて調査しているのは、人の物語のクライマックスシーンだ。研究員はクライマックスシーンからだいたい聞かされる。いきなり終盤の盛り上がるべきシーンに放り込まれ、物語を終わらせるかどうかの選択を迫られるのだ。物語を完結させ、本を閉じる。幕を下ろす。それが研究員の仕事だ。
人にも場所にも物語はあって、その場所で人の物語が終わっても、場所としての物語は続く。
私のような調査員の仕事は、本を閉じることではない。本を閉じることができる状態にまで、ページを進ませることにある。
+ + +
どうってことのない、普通のアパートだった。
鍵は開いていた。開いていなかったとしても、そのためのツールは持ってきている。問題はない。
玄関、廊下、電気は未だ通っている。
閉められたドアを開け、部屋の真ん中に吊られた体を発見する。
電話の通り、自殺者は研究所に電話をかけた後自殺。
天井からの首吊りにより、筋肉は弛緩、体の中にため込んでいたものはもう死体の近くにまき散らされている。視覚的には最悪の光景だ。首吊りはするもんじゃないといつも思う。防護マスクにより、それが発する悪臭は気にならないからいいとしても。
まだ若い女性だ。鬱血したその顔は、生きているとはいえない、マネキンに近い。
彼女の物語は終わり。既に本は閉じられている。
問題は場所だ。
天井には複数穴が空けられている。首を吊るための縄を吊す金具をいくつか打ち込んだらしい。よほどの試行錯誤があったと見て取れる。
床には老廃物と蹴られた椅子。動かさないようにそっと通り過ぎ、死体の後ろに周る。
化粧台の上に遺書が三通。
鏡は油性ペンか何かで真っ黒に塗られている。
病院への通院をしていたらしい。処方された薬はすべて無くなっている。錠剤シートの殻が積みあがっている。
ベッドにはぬいぐるみが三つ。どれもほころびている。所々、鋭利な刃物で切り裂いた様な跡がある。ベッドのシーツ、枕カバーの一部に赤黒く茶色い地溜まりの乾いた跡。
スマートフォンはどこにもない。しかし変な勘が働いたので、台所へ行き電子レンジを覗く。あった。データを取り出すのは絶望的といったところか。
ついでに冷蔵庫を開ける。空っぽだった。
冷凍庫を開けると、透明なビニールに入った粉のようなものが入っていた。更に冷凍庫を覗く。ビニール袋は更に二つあった。一つは何かゴツゴツした妙に軽く白い物体。おそらく遺骨か? もう一つはシャーベット状になった赤黒い液体のようなもの。おそらくは血液。
粉のようなものは遺灰かもしれない。
何の意図あってこんなところに?
もう一度寝室であろうベッドの前に戻る。
そして壁を見る。
ここまで、自殺現場としてはそんなに変わらない状況だった。電子機器や記録物の処分、遺書。
だが冷凍庫の遺骨。遺灰、血液。これは奇妙だ。
そして何よりも奇妙なのは。
締め切られたクローゼットの扉に張り付けられた、大量の紙・印刷物・新聞記事・手紙……。
死ぬ間際に彼女が作ったアートかと思うようなそれは、それはそれは丁寧に張り付けられている。
スポーツ新聞のセンセーショナルな見出しの載った一面。
白黒の写真とともに添えられた週刊誌のスキャンダル報道記事。
全国新聞の芸能欄にて笑顔で映る写真。
SNSにて発信されたメッセージを印刷したらしき紙が数十枚。
かわいらしいデザインの紙に直筆で書かれた手紙が五通。うち一枚は半分に破られた形跡が、テープで修復されていることからわかる。
インターネットの書き込みサイトにて書かれたと思われる内容を印刷した紙が更に十数枚。
ファッション雑誌のコーディネートモデルとして映った写真のページ数十枚。
クローゼットの扉からはみ出し、壁や一部天井にまで、紙は貼られていた。
電話を取った研究者の通話内容を今一度確認する。
「人気アイドルが突然の自殺を図りこのを世を去ったため、生きる気力を一気になくしたので自殺します」
アイドルの訃報を知らせる新聞、週刊誌。
張り出されたSNSの内容は、死んだアイドルが生前利用していた頃のもの。
五通の手紙はファンレターか、或いはその返信か。手紙によって筆跡が微妙に違うので、おそらくはアイドルからの返信の手紙も含まれていると考えられる。
書き込みサイトには、死亡したアイドルに対する罵詈雑言と追悼の言葉が入り交じっている。
生前の面影を残したファッション雑誌の切り抜き。
ゆっくりと扉を開けて、クローゼットの中を見る。
そのアイドルが所属していたグループのCD・ブルーレイBOX・グッズ・積み上げられた写真集・チラシ。
そして今時珍しくスクラップブック。雑誌や新聞から取り上げられた箇所だけが切り抜かれて貼られている。数十冊はある。
そして、最後に目に留まったのは、小さな箱。写真集よりも小さい。南京錠のついた、厳重に管理されている箱、というよりはアタッシュケースだ。
ピッキングツールが役に立った。開ける。
現像された写真が入っていた。
映っているのは自殺したアイドルの生前の姿。
街中。カフェ。事務所入り口。タクシーに乗る直前。学校。校舎内。教室。テレビ局前。自宅付近。自宅入り口。自宅全体。電気のついた部屋の窓。開けられたカーテン。机に座る。ベッドに横たわる。
枚数にしておよそ数百。
写真だけではなかった。
一本の髪の毛。
欠けた爪。
吸い殻。
おそらくすべて、そのアイドルのものだ。
思わず首を吊って事切れている死体の方を向く。
とんでもない人間だった。
自分なりの愛の満たし方だったのだろう。
三通の遺書を確認する。
一通目は家族と友人に向けて。謝罪と感謝と愛の言葉。
二通目はこの部屋を訪れた人間に対して。謝罪の言葉。
三通目は、自殺したアイドルへ。この遺書が一番長い。
謝罪と愛と憐憫と苦悩。根底にこの感情が綴られており、それ以降はずっと、そのアイドルに対する愛の言葉が続く。あなたなしでは。神様は残酷。二人きりの世界で。外の世界は酷い。みんな敵。インターネットも敵。神様だって当然敵。この世の罪全部背負ってあなたを愛したい。世界の果てで会おうね。あなたは私のすべてだから。
二人ぼっちの世界であなたといたい。
かみさま、おねがい。
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遺書は元の位置に戻した。
調査は完了した。
研究所は了解し、すぐに戻るようにと要請されたため、家を出る。鍵は念のため閉める。自殺なのだから密室殺人にはならない。大丈夫。
この季節ならば、異臭騒ぎがするまでにはそれほどかからないはずだ。
あとは近隣住民が通報し、警察がやってきて事件が発覚し、記者が調査したものが伝播する。
自殺現場の物語を終わらせ、本を閉じるのは、現場検証を行い、捜査を取り仕切る警察の役割だ。その時点で物語は完結したようなものだ。少なくとも研究所はそのように扱う。
たぶん今回は違うだろう。
記者が閉じかけの本に栞か何かを差し込んで、ページを書き足そうとするかもしれない。
冷凍庫の中の、例の異物とともに。
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