027『和泉田さくら:禊』


「ごめんくださいまし!」

 多賀谷の自宅の玄関に女性の声が響いた。


「遠慮なく入ってください」多賀谷が襟を正し丁寧に答える。


 居間に上がってきたのは、三十代半ばの線の細い薄紫の小紋を着こなした小柄な女性であった。頭髪はショートヘア、小顔できりりと引き締まったハンサム顔で、線が細いにもかかわらず受ける印象は女武将である……。

 ――恐らくこの人が勝負を挑んで来たら受けなかっただろう……多分負ける。それ程物腰に一分の隙も無い。


 その女性は抱えた荷物を床に置き、流れる動作で床に伏して三つ指を付いた。

「私、和泉田さくらと申します。元亭主の十吾がいつもお世話になっています」

「いえ、こちらこそ」

 この人が西沢渓谷温泉のご主人である和泉田十吾さんの元妻だった……。


 多賀谷が耳打ちするように小声で説明を始める。

「この村で、記憶を引き継げるのは、マヒト様と世話役であるこのさくらさんと俺だけだ……」

 ――何? と言う事はこの二人を説得で来さえすれば……。



「ところで、秋穂。今どげん話になっとると」

 さくらさんはテーブルで私の左へと正座で座り、伏せてあった湯呑に手酌でお酒を注ぎながら多賀谷へと尋ねた。

「俺は明日でこの村を終わりにするつもりでいる。さくら姉」多賀谷が少し遠慮がちに答える。

「ほう」さくらさんが目を細める。「意味はわかっとると」そして湯呑に注いだお酒をクイッと水の様に飲み干す。

「ああ、分かってるつもりだ……。だけど、このままずるずると引き延ばすのはマヒト様の為にもならない」言い訳の様に話す多賀谷。


「しゃーしか!(うざい)、お前がどう思うとるかやろうが! マヒト様の所為にすなっ!」さくらさんが多賀谷を睨み付ける。

「うぐっ……」

「そげんこつたい、話もようまとめられん。どうするつもりやったと。村ん衆騙して終わりにするつもりやったと。そげんこつあたいが許さへん!」

「……」

「皆でようよう話し合うて、決めねばならんこつやろが! こん馬鹿ちんが! そうやって…………」

「……」


 私とセイラは只々黙って見守るしかなかった……。

 ――十吾さん……。よく、再婚までしてここに戻って来たな! 私なら絶対に戻ってこない……。十吾さんが此方に合流しない理由が良く判った……。


 その後、子犬の様になった多賀谷はもう一度本殿へ村人を説得に向かった。

 残されたのは、私とセイラと十吾さんの元妻さくらさんである。

 さくらさんは自身の持ってきた荷物から、鳥の天婦羅と出汁巻き卵を皿へと装いテーブルに並べた。


「あの、さくらさん私たちはこれから何をすればいいのでしょう」私は思い切って尋ねてみた。

「いえ、特に何も。浅見殿にはマヒト様のご意思を伝えられた時点で既にお役目は終わっておりますゆえ、後は私と秋穂にお任せください」

「そうですか……」

 ――何とも釈然としない結末である。しかし、これ以上私に出来る事などあまり無いだろうこともまた事実なのだ……。後はこの二人に任せて静観する事としよう。


「心配されんでもよかです。この事は元々私と秋穂で決めておった事ですから……」私の様子を見たさくらさんが静かに話し始める。


 この二人は以前からもしマヒト様が御意思を示された場合は、速やかに行動に移れるようあらかじめ打ち合わせをしていたそうである。村人の説得方法。未練を残さぬ去り方。マヒト様への挨拶等。既にいくつものパターンで話し合われていたようだ。そして、事が起こった場合には多賀谷が村人を説得し、さくらさんがマヒト様を説得する。そのように既に話し合いで決まっていたそうである。


 ――だったら先程の多賀谷との喧嘩は何だったのか?

 と、思わなくは無いのだが、恐らくそれは奴の中にまだわだかまりの様な物が残っていたせいだろう……。本当に迷惑な奴だ……。


「ただ、この世に未練を残したまま、黄泉路へ向かう事になってしまうのは誠に残念でなりません」さくらさんは伏目がちにそう言った。

「その未練と言うのは何ですか?」

「それは、やはりこの村の事です。マヒト様の作られたこん村はあまりに居心地が良すぎ、誰も離れようとはしませんでした。本来であれば満足した者から順次幽世(かくりよ)に送りたいとマヒト様もお考えであったのですが、結局それもかなわずあのお方のお力で、送り出していただく他、無いようです……」


 〝禊〟 という言葉がある。 本来は身に罪や穢れのある者が川や海の水でからだを洗い清めることを指すのだが、黄泉路に着く者にとってはこの世の未練も穢れになるそうである。

 なので、さくらさんによれば、その禊を行い村の皆の記憶を一人ずつ魂の一部を削ぎ取って、マヒトに消してもらう必要があるそうだ。


 これまでの約八十年にも渡る楽しかった記憶……。村の人たちにとってはたった一日の記憶なのだが、当のマヒトにとってはそれは、長きにわたり積み重なってきた重たいものなのである……その一部を削ぎ落す。未練さえなければ消さなくても良い記憶。それをこの村を共に作り上げた自らの手で消さなくてはいけない……それこそが、マヒトがこれまで決断を下せなかった理由なのだそうだ。


「……ですが、それをお願いせねばならないのです……」そう言ってさくらさんは悔しそうに表情をゆがめた。

「だったら、もしこの村が無くなれば、未練は無くなると言う事ですか?」私は問いかける。

「そうですね、ですが……」

「その方法がある事は知っていますよね」

「ええ、存じております。ですが、その事で村人が犠牲になったり、マヒト様のお手を煩わすのなら本末転倒。そうであるのなら最初からマヒト様にお願いして皆を送り出した方が良いと考えました」

「でしたら、私が一人であのダムの連中を何とかするのでしたら問題ないと言う訳ですね」

「お一人で、本当にそのようなことが出来るのですか?」

「まあ、多分ですけど……最悪マヒト様にアマヌシャをお借りする事になるかもしれませんが、恐らく成功します」


 そう言って私は自信を持って微笑んだ。

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