第35話

 今日は目覚める前にマルに顔中を犬臭くされてしまった……まだまだだな俺も。

 システムメニューで学校の制服を装備して早着替えすると、最初に見たときは驚いて飛びのいたマルだが、もう慣れた様子で普通に尻尾を振っている。

 こちらをじっと見つめるマルに、いっそこいつとパーティーを組むのはどうだろうと考えてしまう。レベルアップして、言葉を理解できるくらい頭が良くなってくれればと妄想したが、こちらではレベルアップの当てもないし、それ以前に言葉が通じないのにどうやってパーティー加入の同意を取るのかが問題だった。

「残念」

 そう呟いてポンとマルの頭に手を載せると優しく撫でてから部屋を出た。



「おはよう」

「昨日はどうなった?」

 部室に入ると櫛木田が詰め寄ってくる……全く挨拶くらい返せよ。

「困った事が起きた」

「バレたのか?」

「いや、鈴中が居なかった。というよりも奴の部屋はき例さっぱり何も残っていない。もぬけの殻ってやつだった」

 もぬけの殻にしたのは俺だけどな。


「……お前、部屋を間違えたんじゃないのか?」

「一昨日の晩に、奴がその部屋に入るのをちゃんと確認してある」

 嘘だけどな。システムメニューのマップ機能に頼っただけで、張り込むなんてリスクを冒す真似はしない。。

「じゃあ、元々引越しする予定だったんじゃないのか?」

「その可能性も無い。一昨日の夜に確認した時は、窓辺に机があって、上にはデスクトップパソコンとディスプレイが置いてあったし、他にも戸棚とかも見えていた」

「そんなの、どうやって調べたんだ?」

「奴はカーテンを閉めないから、近くの公園の遊具の上に登って双眼鏡で確認した。ちなみに最大望遠で八十倍だ」

 倍率が高すぎて腹立つほど使い辛い物だった。

 二十から八十倍の間で倍率を調整出来るが、対眼レンズと対物レンズの距離が狭い小型双眼鏡には、そもそも二十倍でも倍率が高すぎる。

 低い倍率で見るものを探して、見つけたら倍率変更のレバーを操作して拡大するのだが、小学校の頃親に買って貰ったのだが数年たっても使いこなせていない。

 最低倍率は一ケタにして欲しいと思うのは俺の我儘ではないと思う。


「そうか、一昨日の晩には家具があったのに、昨日の晩にはもう家具が無かった……あいつ、昨日は学校に居たよな?」

「居たぞ。うちのクラスは昨日の五時限から剣道だったから」

 そう伴尾が答える。


「おかしいな……」

「だろう?」

 抜け抜けとそう答える俺は本当に嘘吐きだ。だが正直に話しても誰も幸せにはなれないなら、幾らでも喜んで嘘を吐こう……何よりも自分の幸せのために。


「何か事件に巻き込まれて死んでてくれないかな?」

 田村君。ドキッとする事は言わないでくれ!

「……今日は鈴中に張り付いて、奴が北條先生を脅した後に身柄を押さえる。間違いなく脅迫のネタを持ってるはずだから逆にこちらが脅迫してやるさ」

 そう言いながら、ポケットの中からMP3プレイヤーを取り出す。

 これも小学校の頃からの持ち物でかなり古い。メモリは内蔵のみで外部との接続はデータの入出力と充電様のUSBコネクターがあるだけで液晶画面もかなり小さいが、ワインのコルク栓を縦に半分に斬ったような形でサイズも小型なので使い道がある。


 プレイヤーの再生ボタンを押すと、今まで部室内での会話が再生される……余り明瞭では無いが話の内容が分からないほどではない。

 櫛木田に渡して音質を確認させた上で「こいつを鈴中のジャージの襟の裏に貼り付ける」と告げた。

「そんな事が出来るのか?」

 そう言いながら返してきたプレイヤーを受け取ると、システムメニューを開いた状態で、取り出した強力両面テープを切り取ってプレイヤーに貼り付けると、俺の右側に居る背中を向けていた一年生である斉藤の空手着の後ろ襟に貼り付けるとシステムメニューを解除した。

「えっ、何処にやった?」

 櫛木田達にすれば、俺の手の中に会ったプレイヤーが突然消えたように見えたはずだ。

「チャチャーン!」

 自前で効果音を鳴らしながら斉藤を両手の人差し指で差す。


「えっ? マジ!」

 斉藤の後ろ襟に貼り付けられたプレイヤーを目にして驚きの声を上げる三人の顔を見るのは面白いが、別に凄い技術を使った訳でないから空しい。

「まあ、そういう事だから、俺に任せてくれ」

 そう告げて、さっさと着替えを始める。

「ちょっと待って、どうやった?」

「教えろよ!」

「あれか? 斉藤もグルなんだろ?」

 三人が食い下がってくるが「手品のネタを教える手品師なんているか!」と一喝した。

「結構居るだろ。大体、手品はネタじゃなくタネだし」

 ご尤もだが「これくらい出来なければ空手部の主将は務まらない」と言い訳にもならない事を言って強引に切り抜けた。



 空手部の本格的な練習が始まってから、今日の朝練で丁度一週間だ。だから……

「よし、今朝の練習はこの一週間の総仕上げだ。時間一杯ひたすら走れ!」

 そう来ると思ったよ。去年も一昨年もそうだったしな。


 一時間後、学校の敷地周辺には空手部一年生達の死骸──もとい、行き倒れ五体が転がっていた。

 人間性がちょっと歪んでしまうほどの特訓を受けた上級生達と違って、小学校の頃から陸上の長距離をやっていたわけでもなく、少し前までは小学生だった普通の元気な中学一年生に過ぎない彼らが一時間で十五キロメートル近くも走れるのはかなり凄い事だろう。

 追い込まれ死ぬ気になり限界以上の力を搾り出した人間は凄いものである。

「よ~し、お前ら一年生を立たせて走らせるぞ。バケツに水を汲んで来い!」

 ドSの悪魔が本領を発揮した。

 今日までのランニングは、目標地点で折り返して戻ってくる──潰れた一年生を背負わせて走らせる俺達への訓練だった──コースをたどっていたが、今日は学校の敷地の周りをひたすら周回するだけだったのは、バケツに水を汲んで来るのが難しいからに過ぎない。


「小林! 馬鹿かお前は。勢い良く水をぶっ掛けてどうする? ゆっくりと口と鼻に掛けてやれ!」

 ちょっと待て、そんな事をしたら! ドSだよ。本当にこの男はドSじゃない。超弩級Sだよ。

 こんなのと引き合いに出されて戦艦ドレッドノートとロイヤルネイビーに対して申し訳なくなるほどのSだ。


「よ~し仲元、ゆっくりだ……馬鹿、もう少し右だ……そうだ良いぞ」

 バケツに水を汲みに戻った小林を尻目に、丁度汲んで来たばかりの仲元の隣に立つと、その凶相に喜悦を浮かべながら細かく指示する。

 一年生は荒く呼吸をしているところに口や鼻に水をかけられて激しく咳き込む。

 仲元は後輩を相手にこんな事をさせられて、すまなさと悔しさに涙を浮かべている。

 だが仲元よ、お前のその表情すら大島にとっては大好物なんだよ。奴は人間の負の感情を糧として喰らう悪魔なのだから。


 朝練を終えて、シャワーと言う名の水浴びを済ませ、手早く朝飯の弁当を掻っ込むと職員室に向かった。

「失礼します」

 別に用は無いのだが、何食わぬ顔で中に入り辺りを見渡す。

「どうかしたのかね?」

 禿げ上がった頭部に撫肩で鳥の骨のように細く、そして短躯でどこか宇宙人のグレイを思わせるシルエットの教頭──中島が声を掛けてくる。そうなるようにこいつが入り口近くに来るタイミングを周辺マップで確認して入室したのだから当然だ。


「北條先生はいらっしゃいませんか?」

 そう尋ねながら教頭に歩み寄って一メートル以内の範囲に入れ、奴の肩越しに職員室を覗き込む素振りをする。

 ちなみに北條先生が職員室に居ない事も周辺マップで確認済みだ。

「北條君か、彼女は……どうやらいないようだな。何か用かね?」

「クラスの事でちょっと用が」

 そう言いながらシステムメニューを開く。まずはセーブしてから今朝台所から失敬しておいたゴム手袋をはめる。そしてMP3プレイヤーを取り出すとハンカチで拭いて指紋を拭うと教頭のスーツの胸ポケットに落とし込んだ。

 そうMP3プレイヤーは死んだ鈴中相手に盗聴するために持って来るはずが無い。教頭を盗聴するために持ってきたのだ。


 奴は胸ポケットにペンを挿すわけでも、ハンカチを飾るわけでもなく使っている様子が無いうえに、極端な細身で吊るしのスーツでは胸や胴回りに余裕があるので圧迫感で気づかれる可能性も低いはずだ。

「分かりました昼休みか放課後にでも話を聞いてもらいます。ありがとうごいました」

「そうか、ご苦労様」

 頭を下げて出口に向かう途中の棚の中に職員名簿を見つけ、システムメニューを開いて収納すると、【所持アイテム】から取り出し名簿の中の教頭の住所と電話番号を記憶する。

 最後に職員名簿を棚に戻すとシステムメニューを閉じて職員室を出る。思わずこぼれてくる笑みに口元を押さえて隠さなければならなかった。


 HRの時間。一瞬北條先生がこちらを見た。もしかしたら教頭から俺が職員室に行った事を聞いたのかもしれない。

「……そして五時間目からの男子の格技の時間ですが、鈴中先生が体調不良で休まれた為に自習になりました。六時間目は私も授業が無いので、数学で分からない事や授業内容に疑問があれば受け付けます」

 体調不良ね。まあ無断欠勤で連絡がつかないとは生徒には言えないよな。


 昼休みの時間。

 職員室のある二階の階段脇で待機する。周辺マップで教頭の動きを監視し、奴が職員室を出たのを確認すると接近する。丁度奴の後ろから追う形になったので、爪先から着地して踵を床に着けずに蹴り出すようにして足音を殺して接近してシステムメニューを開いて、ゴム手袋をすると奴の胸ポケットからMP3プレイヤーを回収して、録音状態のままになっている事を確認する。


 システムメニューの時間停止状態でのネット環境の使用は不可能だった。時間が停止している外部のサーバーとのデータのやり取りが出来ないためだ。しかし電源を外部に頼らないバッテリー使用でオフラインで動く機器なら、この時間停止空間でも使用は出来る。。

 録音内容の確認をしないのは、無駄にバッテリーを消費させないためと録音時間が途切れさせて、発見時に学校で昼休みに仕掛けられたと見破られない為だ。


 MP3プレイヤーを胸ポケットに再び忍ばせると、スーツの内ポケットから教頭の携帯電話を取り出す。いわゆるガラケーだが俺のもガラケーだから馬鹿にする気は無い。家の親の方針はスマホは高校生になってかららしい。

 まだ、鈴中のスマホやパソコンの中を確認していないので、ついでだから教頭の携帯のメールを確認するがロックが掛かっていた。しかも指紋認証機能付きの機種だ。鈴中と違ってセキュリティーには細心の注意を払っているようだ。

 余程後ろ暗い事があるのだろうと決め付ける一方で、どんなに注意を払っても、俺になら破る方法はある事に気付いた……今は無理だけど。

 だが俺の手元にはセキュリティーが杜撰な鈴中のスマホがあるので、そちらのメールを確認してみた。


「この糞爺が!」

 思わず叫ぶ。システムメニューを開いているので遠慮なく怒りを爆発させて叫ぶ。

 北條先生に付き纏っていたのは鈴中だが、奴が北條先生に興味を持っていた訳ではないようだ。やはりロリコンが大人な魅力を持つ北條先生に興味を持つ事自体がおかしかったのだ。


 メールの文面には明確に書かれていないが、教頭は北條先生への恨みを持っているようだ。多分セクハラでもして拒絶されての逆恨みだろう。

 狒々爺が北條先生にセクハラしていると考えるだけで脳みそが吹っ飛びそうなほど怒りがこみあげる。


 教頭は教え子に手を出している鈴中を脅し、自分の手足として使っていたというのが真実のようで、弱みを握られていたから鈴中は教頭を恐れていた……そういう事なのだろう。

 動機はともかく鈴中の犯行を知りながら、放置して自分の利益にしていた教頭は鈴中と同罪と言っていいだろう。


 殺すとまでは言わないが、死んで欲しくないとは思わない……懲戒免職に持ち込むように誘導しよう。五十代も半ばで教師を懲戒免職では、さぞかし素敵な老後の生活が待っているはずだ。

 本人はともかく家族が可哀想だという気持ちが無い訳ではないが、そもそも懲戒免職に価するどころか逮捕されて有罪になるだけの事はしているのだ。

 警察沙汰にしないだけでも奴の家族からは感謝されてもおかしくは無いので、気にする津つもりもない。


 鈴中の被害者達のメールアドレスを確認してみたが西村の名前は無い。だがローマ字で表記された女性の下の名前らしいものが十三名分あった。多分これが被害者達の名前なのだろうが、西村先輩の下の名前が分からないので、どれが彼女のアドレスかは分からなかった。


 携帯電話を教頭の胸の内ポケットに戻し、システムメニューは解除する。

 時間が動き出すと同時に俺は歩を緩めて教頭を先に歩かせると、トイレに入る奴の横を通り抜けて立ち去った。


 教室に戻ると、紫村を始めとする空手部の三年生が来ていた。

「やあ。高城君待ってたよ」

 何処までも爽やかに声を掛けてくるイケメン紫村にクラスの女子達がざわめき、半数が頬を赤らめて、目を潤ませている……腐ってやがるのだ。

 紫村がそっちの人間である事は密かに有名だ……うん、日本語として変なのは分かってるけど、他に上手い表現が思い浮かばない。

 ある意味近寄りがたいのは、他の空手部部員とは同じなのだが、明らかに態度の質が違う……羨ましくないから俺とのカップリングで薄い本出すなよ。

「ちょっと付き合ってもらえるかな?」

「ああ」

 俺がそう答えると背後で「きゃー」と小さい悲鳴が起こる。レベルアップで向上した聴力は「ケイxタカ……アリね」「何言ってるのタカxケイでしょ」「その二人の仲に嫉妬した残りの三年生部員の三人が卑劣な罠を仕掛けるの」「今年の夏は行ける!」という不穏な発言をしっかりと捉えていた……こいつらの企みは闇に葬らなければ。何としても……それにしてもタカxケイとケイxタカの違いって何なの? 名前の順番の前後で何か問題があるんですか?

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