マイファニーバレンタイン

その顔を、いつも、太陽の方に

むけていなさい。

貴方は、影を見る必要のない人なのだから

ヘレンケラーの言葉である。

昨日の小説の冒頭に書いてあった。

わかるようでわからない感じだが、なぜか胸に沁みた。


俺はジャズ屋のマスターだ。


昨日のライブは結局、お客さんは二人、

でも売り上げは割とあった。

一人の女の方が随分飲んでくれたおかげで売り上げは上がった。

カウンターにべたーと両腕を置き その上に顎を乗せ音楽に耳を預けていた。

セカンドステージの三曲目

バラードのマイファニーバレンタインの時に涙腺が壊れたかのように泣きだした。

「私 昨日、退院したの」

「お酒やめてたんやけど、飲まんとおられへんねん」

と俺に話しているようでいないような感じで

バーボンソーダ といった。

どこか悪かったの?と聞くと

頭を指差して笑った。

それから首を指差してシャツを開いてよく見えるようにしてくれた。

首には首輪のようなミミズ腫れの傷があった。

「失敗したの」

?なにをですか?

「自殺」

「旦那がね、家を買おうと私が一生懸命ためた貯金を全部競馬ですって 一文無しになったんよ」

「その上、女がおって、もうどーでもええわーと首つったんよ。でも死にきれんで強制入院になったんよ」

と言いながら 鼻水をつららのようにカウンターに垂らせながら話をしてくれた。

かける言葉も無いのだが ティッシュを渡しながら「大変やね?辛かったねー」と言うと

堰を切ったように詳しく教えてくれた。

仕事から帰ってみるとタンスが開いててその中に入れてた貯金通帳がなくなってて旦那を探し回っている途中にホテルから女と出てくる旦那と出会い、取っ組み合い、殴りつけたところで警察に止められて事情聴取され一人解放されてなんかアホらしくなって首を吊ったんやけどロープを掛けた木が細くて折れて落ちて気を失ってたところ病院に搬送されたと、洪水の様に話をされた。

「私の首 赤く腫れ上がってるでしょう?」

と服の襟を開きながら見せてくれた。

「ほんやなねー、赤く腫れ上がってるわ」

「これ、私の今の気持ちと同じやねん!赤く腫れ上がってるねん」

「それに触れたんよ、この人の唄が」

「傷口に触れて痛いから涙が止まらへん」


ティッシュの山がだんだんと大きくなってきた。

「痛みが取れるまで泣いたらええやん」と言うと又 鼻水を垂らしながら泣き出した。

結局ティッシュの箱全部使ってしまった。


買い置きしててよかったなあと思った。


ひとしきり泣いたらだいぶん落ち着いたみたいで優しい瞳になっていた。

「一人よがりな夢やったんやわ」

とグラスの中の氷を一つとって口に入れた。

俺は何にも言えず ティッシュを渡そうとすると

「もういいよ」と断られた。

「マスターゴメンな!唄の人も?」

ちょっとブラブラ歩いて家に帰るわ

と 弱々しくカウンターを立ち重い扉を開けて帰って行った。

ボーカルの女の子は

「大丈夫かな?」と言いながら譜面を片付け帰る用意をしだした。

誰かに届く、想いが届くと言うのは表現者にとってこの上ない喜びであるが、届いた相手の身の上話を直接聞くとなると少し話が変わってくる。

届いたのか届いてしまったのか?

複雑な気持ちだ。ボーカルの女の子もその辺りの気持ちが引っかかっているみたいで複雑な顔をしている。

色んな気持ちで生音を生ライブを聴きにお客さんはくるわけでその人らの胸に演奏で爪痕を残すというのは難しい話である。

ライブの難しさを又感じた夜だった。


難儀します。




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