第四話 アイラの胸中

「お、おいしそう……」


 簡易的に作られたテーブルに色とりどりの料理が並べられている。

 そのどれもがアイラの鼻孔を優しくくすぐり、限界まで来ていた食欲をこれでもかと刺激した。

 また悲鳴を上げようとするお腹をキュッと押さえ、アイラはそそくさと席に付いた。


「すいません……なにからなにまでお世話になってしまって……」

「気にしないでくれ。買いすぎた食材を持て余してたところなんだ」

「本当にモウ。ちョっと稼ぐとスぐに散財するから気が気じゃないワ。まア……散財してもコイツはすぐに稼いでクるんだけどネ」

「へぇ……それは豪快というかなんというか……えっと──」


 彼の名前を呼ぼうとして、その言葉は宙に霧散する。

 ここに来てようやく、アイラは自分がこの青年の名前を聞いていないことに気が付いたのだ。


 聞くタイミングを失っていたのもあるし、ウルの存在があまりにも衝撃的だったのはあるが、恩人の名前も聞かず、加えて夕飯まで作ってもらうなんて虫が良すぎる。


 思い返せばアイラは、まだ自分から自己紹介すらしていないではないか。


 我ながら礼儀知らずにも程がある。

 だが話そうとすればするほど言葉というのは見つかなくなるもので、アイラが独り相撲を取っている間に青年の方から声が上がった。


「ああ、そういえば。まだ俺は名前を言っていなかったな。うーん……なあアイラ。右と左、どっちがいい?」


 奇妙な質問だった。

 アイラは少年の意図することが掴めないまま、ただ義務感の赴くままに思案した。


「右か……左か? えっと、じゃあ左でお願いします!」


 何故そのようなことを聞くのだろうという疑問は飲み下し、アイラはやや反射的に答えていた。

 ちなみに左を選んだのは、単純に青年がアイラから見て左側の席に着いていたからである。


「左か。じゃあ俺は、お前の前ではジークと名乗ろう。職業は、見ての通り記録者コードナーだ」


 階級ランクはC級の駆け出しだけどな、と。

 ジークと名乗る少年は苦笑交じりにに右手を差し出した。


 アイラはその手を、恐る恐るといった動作で握る。


 何故なら記録者とは、アイラが幼少から憧れて止まない、彼女の夢そのものだったから。


 先に予想した通り青年は記録者だったが……まさかC級だとは予想もしていなかった。

 魔物と記録者の階級は、その能力に比例して区分けされている。

 それは明確な強さ目安の数値として機能しており、記録者は自身の実力に見合った階級に位置づけされるのだ。


 C級と言えば、記録者の中で最も低い階級だ。

 CとBでは一つしか間がないし、工夫次第でどうとでもなると思う人も居るだろう。

 だが、記録者の階級分けはそんなに甘く付けられていない。

 そもそも記録者は、認定試験の段階で初期の階級が決められるのだ。


 故に彼らは初めから己が実力に見合った依頼を受けることが出来る、と言うわけだ。


 通常であれば、これは有り得ないことだった。

 しかし彼は、現にその一つ上の階級である恐剣狼を軽々と打倒している。

 そんな実力のある人物がC階級だなんて、本来であればある筈がなかった。


 思案するほど疑念は増えて行く。

 だが少々恥じらうように笑うジークに、嘘を吐いている様子は見受けられない。

 であればなにか他に理由があろうのだろう。


 例えば、なにかのっぴきならない事情で昇格が見送られている……とかだろうか?

 だとすればとんだお尋ね者だが、これまでのジークの言動からはどうしてもその像と結びつかなかった。


「それと今更なんだが……助けに行った時に驚かせて悪かったな。丁度水浴びしてて服を着てる余裕がなくてだな……」

「わっ、わぁあああああ!! 気にしないで……気にしないで下さい! 助けていただいただけでも本当にありがたいですし……!」


 忘れていた"あの事件"が再び脳裏に蘇る。

 気まずそうに目線を逸らすジークに、アイラは両手を振り回し、大慌てで彼の言葉を遮った。


「そうか。そう思ってくれるなら俺も助かるよ」

「はい! えっと……ジークさん!」

「さんは要らない。あと敬語も要らないぞ? というよりやめてくれ。敬語は苦手なんだ。見た感じ、年も同じくらいだし、な」

「は、はい! あっ。えっと……うん、分かった。よろしくね、ジーク」


 アイラの返答に、ジークは満足そうに頷いた。

 "アイラには"ということは他にも名乗っている名前があるのだろうか?


 わざわざ二択にしたということは、少なくとも彼にはもう一つ名前があるように思える。

 しかし何故名前がいくつもあるのだろう?

 一つの謎を解決したと思った途端、再びアイラの脳裏は疑問で溢れた。

 少しの会話の間で現れた幾つもの疑問点にアイラが独り唸っていると、ジークの横でウルが不満げに声を荒げた。


「ムーっ! ナンでコイツとは普通二話すのに、ワタシは敬語のままナノ!」


 アイラとジークのやり取りを見て嫉妬したのだろうか。

 ウルは感情を隠しもせず憤慨している。


 可愛らしい怒声と共に、鼻と鼻がくっつきそうな程詰め寄られ、アイラは思わず押し殺したような悲鳴を上げた。

 視界を遮る蒼色の端で、ジークが頭を抱え、深い、深いため息を吐いたのが見えた。


「ひぃ!? じゃ、じゃあウルとも敬語はなしで話しま……話すね?」

「エヘヘ。やッパり友達って響きはいいわネ! 友達~友達~」


 白く透き通った肌を桃色に染め鼻歌を歌いながら、ウルは嬉しそうにはにかんだ。

 その様子はまるで幼子のようで、自然とアイラの頬も緩んでいく。


 しかし、彼女は何故そんなに友達……いや、同性の話し相手が欲しかったのだろうか。

 考えても分からないし、きっと聞いても答えは返ってこないだろう。

 アイラと彼らは、まだ出会ったばかりなのだから。

 いや、仮に長い付き合いだったとしてもそれを語って貰えるかは怪しいものだ。


 アイラは頭は少々足りないが間抜けではない。

 その疑問が彼女の本懐に触れることを、感覚的に悟っていた。


「私もまだちゃんと自己紹介してなかったから、私も。私の名前はアイラ。アイラ・テンペスト。種族はエルフです。このたびは助けていただき、本当にありがとうございました」


 椅子に座ったままなので座礼になってしまったが、アイラはようやく自己紹介を済ませ、ちゃんとお礼を言うことも出来た。

 燻(くす)ぶっていたモヤモヤが晴れたように、アイラの胸の内がスッと軽くなる。


「ああ、よろしくな。テンペストってのは性か? てことはアイラは貴族なのか?」

「あ、ううん。違うの。テンペストっていうのは……まあ苗字なんだけどね。私の村は全員が性をテンペストって名乗っているの。村の住人は皆家族だって村長が……もう、死んでしまったけれど」


 村長は村民を皆大事にしていた。

 村の子供が一人風邪を引けば汗をかきながら駆けつけ、治療にあたるくらいに。

 アイラも何度か世話になった覚えがあるが、本当に村人のことを想っていることが幼いながらも感じられるほど、髪を梳く彼の手のひらは暖かかった。


「そうか、いい村長なんだな。ちょっと、俺の知り合いに似ているかもしれない」


 きっとその知り合いの人を思い出しているのだろう。

 ジークの声はどこか懐かしむような色を含んでいた。


「さて、そろそろ飯にするか。早く食わないと飯が不味くなっちまう。一応ウルの分もあるけど、食べるか?」


 仕切り直すようにジークは言った。

 わざわざ聞くということは、精霊は普通の食事はしないのだろうか?


 それはそうかと、アイラは今しがた浮かんだ疑問に一人で納得を示す。

 そもそも人間と精霊は別の生き物なのだ。

 うろ覚えの話ではあるが、アイラは精霊は大気の魔力を自身の存在を維持するためのエネルギーとしているのだと記憶している。


 ウルほどの精霊でも、精霊である限りその根本は変わらないはずだ。

 ジークの問いに、難しい顔をしながらウルは顎の下に手を置いた。


「うーん……折角ダし食べようカシラ。サラやノーグの分ハ?」

「二人ともまだ寝てるよ。この間の消耗がまだ残ってるんだろ」

「ああ……なるほどネ。しょうがない、ワタシが二人の分も食べてアゲル!」


 新たに出た二人の名前に、アイラは目線だけで辺りを探る。

 しかし当然のごとくキャンプにはもう人は居ない。

 もしかしてジークの傍には、ウル以外の精霊が居たりするのだろうか。

 アイラは少し気になって口を開きかけたが、お腹がそれに対して慎ましく抗議の声を上げる。


 どうやらアイラの旺盛な好奇心も、食欲には勝てなかったようだ。


「それじゃあ食べようか。いただきます」

「「いただきます(マス)!」」


 苦笑交じりのジークの声に合わせて、アイラとウルは声を揃えて食事のあいさつをした。

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