第二話 白髪の少年と伝説の精霊
「アイラ。これを持っていきなさい」
「……なあに、これ」
燃え盛る劫火の中、私は震える声で母の声を聞いていた。
この後自らがどうなるのかをすべて理解してもなお、瞳の色は陰ることなく輝き、その声は芯を失っていない。
「大切な物よ。これを肌身離さず持っていなさい。必ず、あなたを助けてくれるわ」
母の手が私の頭を優しく撫でる。華奢で美しかったその手は血に塗(まみ)れ、撫でる手にはほとんど力が籠っていなかった。
「うん……分かった……」
頬を流れる涙は一向に止まらない。私はそれを拭うことを諦め、母から宝石(それ)を受け取った。
掌に握らされた豪奢な宝石は、炎の中で碧に美しく輝いていた。
♢
「う……ん……」
薄ぼけた視界に映るのは、見知らぬ場所だった。
いつの間にか眠ってしまっていたようで、ようやく景色を正常に映した視界の先には満天の星空があった。
ここはまだ森の中のようだが、アイラはこの場所には来たことがない。
曖昧な記憶と見知らぬ景色は、じわりじわりとアイラに不安と恐怖を募らせる。
アイラは不安に駆られるようにゆっくりと起き上がろうとして……突如現れた激痛に堪らず頭を抱えた。
長く、そして酷い頭痛だったが、アイラは痛いのを我慢して辺りを見渡した。
辺りは背の高い草が生い茂っており、アイラはそれらで身体を覆い隠すようしてに寝かされていたようだ。
(でも、どうして……?)
どうして今こんなところで寝てるのかを必死に思い出そうとしても、記憶が混濁していて全く思い出せない。
目が覚めたら知らない場所で寝ていて、記憶もあやふや。
アイラが今の状況について理解が進む程、彼女が抱く不安や恐怖は大きく膨らんでいく。
どうにか気を紛らわそうとして、アイラは自分の記憶を探ることにした。
「えっと確か……確か私は魔物に追われていたはず。それは滅多に現れない恐ろしい魔物で……頑張って逃げたけれど木の根っこに躓いて転んで……そしてその後私は魔物に……」
ひとつひとつ。スポンジに水が染み込んでいくように、アイラの思考に現実感と先刻起きた事件が戻ってくる。
炎に包まれた村、母と交わした最後の会話、必死で駆けた森の景色、巨大な魔物の大顎……そして、真っ白な何者かの姿。
「誰かに、助けられた……?」
ような気がする。
容姿についてはなぜかどう頑張っても思い出せなかったが、誰かに助けられた十実は確かだ。
しかしアイラにその後の記憶はほとんど無い。
あまりの恐怖に気絶してしまったのだろうか? それとも、あの時の大怪我で……
「はっ!? あ、あれ!?」
などと思考を巡らせて、アイラはようやく自身の身体に起こった異変に気が付いた。
大慌てでアイラは"両手"を使って全身にペタペタと触れる。だが、どこにもおかしなところはない。
「怪我が治ってる……?」
そうとしか考えられない。
その思考に至った途端、アイラの思考は半自動的に、今しがた手繰り寄せた記憶からあの時の痛みを引っ張り上げていた。
口いっぱいに広がった鉄の味、鉛のように重たい身体、ひしゃげて動かない左腕。
気がどうかしてしまいそうなほどの痛みは、確かにアイラが経験したものだ。
込み上げる嘔気を無理矢理飲み下し、アイラは再び己の身体に一切の外傷がないことを確認する。
やはり何かしらの手段で治癒を施されたようだ……ふむ。
「あれ、これって……?」
本当に身体に異常が無いかを確かめようと立ち上がってようやく、アイラは寝ていた場所が地面の固さとは違い、とても柔らかいもので出来ていることに気付いた。
手に持って調べてみると、それは真綿の詰まった布、所謂布団と同質のものだった。
どうやらアイラは地面でなく、寝袋に寝かされていたらしい。
付け加えると、この柔らかい感触は恐らくかなりの高級品のそれだ。
ということはだ。
アイラは誰かに助けられたが何かの拍子に気絶し、その後安全な場所まで運ばれたということになる。
うん、多分、そのはずだ。
押し寄せる羞恥から逃げるように顔を覆う。
ひとしきり悶えて、アイラはようやく感覚が戻ってきた四肢に力を込め、ゆっくりと立ち上がった。
「お礼を言わないと……」
パニックから解放されつつあるのか、アイラには通常の思考が戻りつつあった。
命の恩人を探すべく辺りの景色を見回すが、広がるのは暗い森ばかりで、助けてくれた人らしき影は近くには見当たらない。
安全な場所に寝かせてもうこの場所を離れたのだろうか。
もしそうなら探しようがないが……その疑念が杞憂であることは考えるまでもないだろうと結論付ける。
(流石に寝具を置きっぱなしで移動はしないよね。高級だし。ふかふかだし)
湧いてくる寝袋への謎の信頼感を勇気に変え、アイラは自身の風の加護を使って自分の周囲に風を送った。
それはアイラが持つ唯一の索敵方法である。
辺りに加護を纏った風を送りその風から伝わる違和感を耳で探るのだ。
エルフの聴力は生まれ持って優れており、更に鍛えれば場数キロル先の音まで聞き分けられるそうだ。
今のアイラはエルフとしてはまだ未熟で、半径数十メドル程度しか──疲労困憊の今だと数メドル程度とそれより短い──探れないが、使わないよりはずっといい。
歩きながらそれを繰り返し、ようやく待っていた違和感がやってきた。
違和感、それは男女二人の声だった。
ようやくとは言うが、最初に違和感があった方向と逆方向に歩き出したため、発見が遅れただけである。
声の主は、寝袋とさほど遠くない場所に居たのだ。
初めから耳に頼って探せばすぐに見つけられただろうにと、目撃者が居なかったことにアイラはひとまず安堵の溜息をつく。
こんな痴態はエルフの名折れでしかない。
違和感。
もとい声のする方へと進んでいくと、やがて遠耳でよく聞き取れなかった会話も、次第に明瞭に聞き取れてくる。
「だから! あそこでうかうかと着替えてたら間に合わなかったんだって!」
「そうかもしレないけド! ソレでも全裸で女ノ子の前に行くってどンナ神経してるのヨ! しかもその後、お腹殴ッて気絶させてるシ!」
(息を吸って……吐いて……よし、大丈夫。ワタシハナニモオボエテナイ)
一瞬記憶の混濁があったが、アイラはすぐに声の主の観察へと戻る。
踝(くるぶし)まで伸びる白髪を揺らしながら、見覚えのある人影が声を荒げている。
黒いボロボロのマントのようなものに身を包んだその人は、声から察するに男の人だろう。
彼を見ると何故か腹部が痛みを訴えてくるが、今は考えない事にする。
言い争っている相手は……女の人の声はするが姿が見当たらない。
きっと青年が影になっているのだろう。
だが、あの人は本当にこの寝袋の持ち主だろうか?
この寝袋は素人目から見てもかなり高額な品だと分かる。寝袋と青年の衣類を見比べても、所有者と所持品が合致しない。
会話を聞く限り私を助けたのはこの人たちで間違いないのは確かだ。
きっと青年は衣服に頓着ない性格なのだろう。
横着に青年の価値観を設定し、このまま隠れていては埒が明かないと、アイラは勇気を振り絞って声を発した。
「あ、あの……」
「し、死んでしまったらそれまでだろ!」
「ぐ……で、でモ! 助ケタのに変態ト勘違いサれたら全く無意味じゃなイ!」
しかし怒声を張り上げる彼らの耳には届かなかった。
ならばと。
アイラは一つ深呼吸をし、大きく肺を膨らませた。
すうぅぅ……と吸って──
「すいません──っ!」
会話を遮るアイラの大声に、少し驚いた様子で青年が振り向く。
今になって考えれば、普通に出ていくなど他にやり方はあったなと、アイラは彼を驚かせてしまったことに対し少し反省をする。
アイラの大声に青年が振り返って、その全貌が顕になる。
初めて見た印象通り、やはり白く映える髪の毛はめちゃくちゃ長い。
一応手入れはしているのか、前髪は目にかからないよう避けてあった。
青年について外見から得られる情報はこの程度だった。
簡素だが防具を身に着けているのを見ると、彼は恐らく
彼の種族は、パッと見る限りではヒューマンに近い。
そうだと言い切れないのは、青年の肌が異様に白かったことと、彼の持つ瞳が左右で紫紺と紅蓮と色が違ったからだ。
だが左右で瞳の色が違う種族なんて、アイラは聞いたこともなかった。
もしかしたら、彼が特異なヒューマン種なのかもしれない。
ごく稀にだが、少し特徴の違う子が生まれるという話をアイラは昔、どこかで聞いた憶えがあった。
さてと、アイラは一度思考を整理する。
ここには青年ともう一人、女の人の声が聞こえていたはずだ。
故にアイラは先程から彼の辺りを目線で探っているのだが……どれだけ少年の背後に目をやっても、見えるのは青年の姿だけだった。
「ああ、お前か。よかった、目が覚めたのか」
「は、はい。えっと……助けていただきありがとうございましたっ!」
アイラが勢いよく礼をすると、青年は面食らったように瞳を少し見開いた。
「あ、頭を上げてくれ。別に大したことはしていない。ちょっと魔物を倒しただけで……」
先の喧嘩腰の声音とは違い、今の青年の声音からは覇気が感じられなかった。
アイラがこれまでとのギャップに戸惑っていると、虚空から件の女性の声が聞こえた。
「なァにオドオドしちゃってるのヨ! アンタはハこの子の命を助けたンダからシゃんとしてなサイ!」
また女の人の声が聞こえた。
だがどう目を凝らしても、アイラにはその姿が見えない。
もしかしてこれが噂の幽霊なのでは?
と、アイラが思考を巡らしている間にも、一人となにかの会話は進んでいく。
「んーそうか? じゃあ、えっと……どうすればいいんだ?」
「ハあ……もういイわヨ。アンタはナンで普段はそうモ抜けてるのカシら?」
女の声が呆れたようにため息をつく。
会話の様子を見ていると、どうやら青年には声の主の姿が見えているようだ。
こうなればもう止める手立てはなく、とうとうアイラの恐怖心は好奇心に塗り替えられていた。
気付けばアイラは、乗り出すように虚空の声に向かって問いかけていた。
「あの、そこに誰か居るんですか?」
「ん? あれ、お前実体化してないのか?」
「あ……忘レてタ。とイうか貴方、ワタシの声ガ聞こえてるノ?」
「え? は、はい! でも姿が見えなくて……」
声の主の口ぶりから察すると、普通ならば声も聞こえないらしい。
好奇心が沸き立つように熱を持ち、心持ちアイラの両頬には紅が刺していた。
「フーン。精霊トの親和性が高いのかシラ。えっと……ほら、こレで見えるでショ?」
突然青年の隣の空間が青白く輝いた。
余りの眩しさに私は思わず顔を覆い隠す。
やがて青白い輝きが収まると、そこには青いドレスを纏った美しい女性が優雅に降り立ち、上品にスカートを摘んでお辞儀をした。
「ワタシは水の大精霊。ウンディーネのウル。よろしくネ、アイラ」
「う、ウンディーネ!?」
ウンディーネと言えば様々な物語に登場する、超がつくほど有名な精霊だった筈。
恐らくこの世界において、その種を知らない人間は皆無だろう。
アイラの大好きな著名の伝記にも登場する、大精霊の一体だ。
伝記の中でウンディーネは、なにもないところに川を生み出したり、極悪人が棲むアジトを丸ごと水の檻に沈めたりと、天災レベルの魔法を使うと描かれていた。
故にアイラはウンディーネを恐ろしい容姿で想像していたのだが、目の前の女性の物腰は非常に柔らかく、声音も柔和で親しみがあった。
その事実も相まって、アイラは憧れの物語の精霊が実在がにわかには信じられなかったのだが、ウンディーネを名乗る女性に嘘を言っている気配は欠片もない。
今までの会話と光景を前にして、信じないわけにもいかないだろう。
しかし彼女はそれ以外にもう一つ、気になることを言っていた。
「あの……どうして私の名前を知っているんですか?」
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