精霊と出会った僕が妖魔と戦おうと思った理由(僕の事情と彼女の事情)

ワイルドベリー

第1話 出会い

 この日、僕は学校からの帰り道を急いでいた。

 朝の快晴が嘘のように、空一面に鉛色の雲が立ち込め、いつもの街の風景がグレーがかって、今にも雨を溢れ出すかのように見える。


 当然の如く、朝の快晴の空に騙された僕は、傘を持たずに家を出てきた。


 そして案の定、帰宅路の半ばまで来たあたりで、鉛色から烏の羽の様な黒い色に姿を変えた雲が、大粒の雨をアスファルトに向け叩きつけ始めた。


 僕は、背負っていた通学バッグを頭の上に持っていき、気休めの雨よけにして全力疾走することにした。


 十分ぐらいも走っただろうか。左右に建ち並ぶお店が疎らになり、周りの人も殆んどいない所まできた時。


 突然、頭上の空に無数の閃光が走り、ジ、ジジッと音を立てた。


「ん? 雷かな?」


 そう呟いた次の瞬間だった!


 ドォーン!


 という音を残して、僕の目に映る色彩を全て消し去り、遠近感の無い真っ白な世界が僕の目を覆った。


 しばらくして、僕の目に色彩が戻り始める。


「痛っぁぁぁぁぁぁぁーーーー!!」


 頭のてっぺんから、何かで貫かれた様な物凄い痛みを僕の体が訴えかけてくる。


「おい。お前! 大丈夫か?」


 目の前にいる女の子が、僕のことを心配そうに見ている。


 その女の子の姿というのが奇抜で紅い髪に紅い瞳、紅いパーカーに紅いハーフパンツ、足には紅いローブーツと、上から下まで紅色で覆い尽くされている。

 その奇抜な姿に思わず僕は、勝手な想像してしまった。


 うん。そうだ!

 僕はさっきの雷に打たれて死んだんだ。そして目の前にいる女の子は死神で、ん? 死神にしては奇抜な格好をしてるなあ。


 僕はもう一度、女の子の姿を上から下まで見直してみる。なんか、全てが紅い。ま、まあ、こんな死神もいるのかも?

 とりあえず自分の生死を確認するため、ベタな方法だが、ほっぺたをつねってみる。痛くなかったら死んだという事で。


 せーの。ギュッ。


「痛たたたたっ!」


 痛いって事は死んでない? これって現実? それじゃあ、目の前にいるこの子は?


「痛いけどなんとか大丈夫みたい。ところで、君、誰?」

「し、失礼な奴だな! そういう事を女の子に聞く前にまず自分の自己紹介をしろよな!」


 目の前で頬を膨らませている女の子の言うことも、もっともだと思い自己紹介を始める。


「えーと、僕はあたらし 未來みらい、高校一年生、趣味は読書、特技は特に無いかな」


 何だか新学年になった時の、クラスでする自己紹介の様な間の抜けた自己紹介になったが、その女の子は納得した顔で聞いて、僕の言葉の後を続けた。


「髪は長くも短くも無く普通、顔もさして特徴も無く普通、身長も170センチくらいで普通、全てが普通で何の面白みも無いよな」

「ちょっと! 酷い言い様だよね!」


 僕が抗議すると、その女の子は頭の後ろで両手を組み笑いながら言う。


「だって、本当の事だろ?」

「まぁ、それはそうだけど…………」


彼女の言うとおり、確かに僕にはこれと言って人に誇れる部分は無い。


「それならいいじゃないか」


 でも、でもだよ。うぅ……何か違うような気がする。


「そんじゃまあ、次は私の自己紹介といきますか! あたしの名前は紅緋べにひ。人では無くて精霊だ」

「人では無い……精霊……?」


「アリシア様に未來がいる世界に行って一緒に戦う様に言われてやって来た」

「僕のいる世界……戦う……?」


「それで私らはこれから起こるこの世界の崩壊を阻止する為に…………」


 紅緋はスラスラと説明をしているのだけど、話についていけなくなった僕は彼女の言葉を制した。


「ちょっ、ちょっと待って!」

「ん? 何?」


「僕には君の言っている事が、少しも理解出来ないんだけど」

「どこが理解出来ないんだ?」


「どこって……最初から全てだよ。君の名前が紅緋って言うのは分かった。その後の精霊ってのは何なの?」

「精霊を説明しろって言うのか? なかなか難しい事を言うんだな。未來は……」


 紅緋は可愛い顔の眉間にシワを寄せて、少し考えてから答えた。


「言葉じゃ説明しにくいから、とりあえずこれを見て!」


 紅緋は片足でポンと地面を蹴って軽く跳ねる。瞬間、彼女の姿がその場から消えて無くなった。


「え、なっ、何? 紅緋? どこへ行ったの?」


 僕は辺りをキョロキョロ見廻してみたが、やはり何処にも紅緋の姿は無かった。


「どこ見てんだよ! こっちだよ! こっち!」


 紅緋の声が僕の手の方から聞こえる。よく見ると、僕の右手の中指に見覚えのない紅色の指輪がはまっている。


「べ、紅緋なの?」

「そうだよ。紅の指輪の精霊。ま、とりあえずこれじゃ話づらいから……」


 そう言うと、指輪が瞬く間に消えて、目の前に現れた紅緋のローブーツが軽やかに地面を捉えた。


「まぁ、こんな感じ。いつもは未來の指輪になっているけど、有事の際には本来の姿に戻って戦うってことね」

「ちょっと待って! 戦うって誰と戦うの? って言うか、そもそも現実味が全く無いんだけど…………」


 続けて話そうとした僕の言葉を、紅緋が遮った。


「静かに! 想定したよりも少し早かったわね!」


 紅緋が険しい顔をして空の一点を見つめている。紅緋が見つめている空間を、紙袋を破く様にして僕の体の倍はあろうかという蜘蛛のような生物が這い出してきた。


 その生物は頭胸部と腹部に分かれていて、頭胸部からは4対の歩脚と1対の触肢、口からは鎌状の鋏角が出ている。


腹部は赤、黒、黄色の3色の体毛で覆われて、背中の部分にはその体毛によってまるで人の叫んでいる顔の様な模様を浮かびあがらせている。


「な、何なのあれ!」

「だから! さっき言ったでしょ! あれがあたし達が戦う妖魔ようま。まあ、下っ端の妖魔だけどね」


 そう言うと右手のひらに炎のようなものを出した。


 僕はあまりの異様な光景に身動きさえ出来なかったのだが、一つの疑問が脳裏をよぎった。


 街外れではあるが此処はまだ人通りもある。周りにはスーツ姿のサラリーマンらしき男性や、制服を着た女子高生、ランドセルを背負った小学生など、数人が歩いているのだが、全くこちらを気にする様子がない。誰もこの光景を見て騒ぎ出す人もいないのだ。

 一体どうなっているのかと、あたりを見回して見てみると、まるで時間が止まっているかのように人が動いていない。

 いや! 微かだが動いている。スーパースローの動画を見ているかのようだ。


「何ボーッとしてるんだ! 下っ端の妖魔とはいえ咬まれると精神を支配されるぞ!」

「ええっ! そうなの⁉︎」


 僕は慌てて物陰に隠れる。


「さてと、右手も暖まってきたし、そろそろかな」


 そう言った紅緋の右手にあった炎が、まるで短剣のように大きくなっている。その炎の短剣を逆手に持ち替えて、蜘蛛の妖魔に向かって地面を蹴って飛び上がる。


「ハアァァァァッ!」


 紅緋はその勢いのままに、妖魔に体ごと突進して行く。蜘蛛の妖魔は紅緋を待ち構えるように口を開けて大きな鋏角を剥き出しにする。


「紅緋! そのまま進むと咬まれるよ!」

「分かってる! ありがと!」


 僕の声に応じた紅緋は、蜘蛛の妖魔の鋏角の射程に入る瞬間に、足で空中を二度蹴り腰の辺りを中心にして回転する。

 そしてそのまま真下にある蜘蛛の妖魔の頭に炎の短剣を突き立てる。


 肉が焼き焦げる様な異臭と共に、紅緋の炎の短剣が妖魔の頭にめり込んでいく。


「唸れ! 炎紅刃!」


 紅緋がそう叫ぶと、短剣の炎は蜘蛛の妖魔の体を包み込み全てを焼き尽くした。


「……っと!」


 蜘蛛の妖魔を倒した紅緋は、空中で一回転して身軽に着地する。


「大丈夫? 紅緋?」

「どうってこと無いさ。あんなの軽く倒せるよ」


 自信満々の笑顔で答える紅緋に、僕はさっきの疑問をぶつけてみた。


「何だか周りの人達の様子がおかしいんだけど、動きが遅いし、こちらの事に気がついて無いようだし」


「あぁ、その事か。私ら精霊がこの姿になっている時と、妖魔が出た時、時間の進むスピードが変わるんだ。因みにこちらの時間の進むスピードは、通常時間の一秒が二時間になるから他の人達には速くてあたしらの姿すら見えないと思うよ」


「そうなのか……それでみんなは紅緋や妖魔の存在に気づかないってことか」

「うん。そして気づかないままに妖魔に精神を支配される」


「えーっ! そうなの?」

「こっちの言葉で魔が差すっていうのがあるでしょ。全てがそうだとは言えないんだけど、妖魔に精神を支配されている事が多いんだよ」


「そうなんだ。でも妖魔が原因で事件、事故が起きるとしたら怖い話だね」

「まあ、そうならない為に私と未來が一緒に妖魔を退治するってこと」


「えーっ、僕も一緒なの?」

「もちろんそうだよ」


「ちょ、ちょっと待て! そこで何で僕と紅緋なの? 紅緋ひとりでもいいし、他の誰かでもいいんじゃない?」

「んーー。そういう訳にいかないのよね」


 紅緋はいたずらっ子のような顔でニヤリと笑う。


「だって、もう、契約しちゃったじゃん」

「はい?」


 契約? そんなものした覚えは無いぞ! 契約書なる用紙を見たこともないし、契約となる行為もした覚えがない!


「何言ってんだよ! 僕は君と契約なんてしてないよ!」

「そうかなぁ? 私と会う前に何が起こったかよく考えてみて?」


「何が起こったかって、えーと、たしか、空が曇ってて、雨が降ってきて、急に雷が僕の頭を直撃して…………」

「はい! そこでストップ!」


 紅緋は僕の言葉を止める。


「その時に上を見て空の様子を確認した?」

「通学バックを頭に乗せてたから確認なんてしてないよ」

「やっぱりそうか〜」


 紅緋は困った顔をして頭を抱える。


「そういう事もあるんじゃないかなって思ってたんだよね」


 えっ? そういう事ってどんな事?

 僕が不思議そうな顔をしているのを見て、紅緋は複雑な笑顔を浮かべながら話を続けた。


「頭に雷が落ちてきたって感じる前に、何か頭上で光り輝いているのを感じなかった?」


 あ、ああ。そういえば、何かしきりに空がピカピカ光っていたよな。


「稲光りならしてたような気がするけど……」

「それだよ! それ! 光の契約書だよ」


「光の契約書?」

「そう。未來がその時に上を向いていれば、書いてある内容が分かったのになぁ。精霊との人間界における共存関係と、利害に関する内容の契約書だったかなぁ? う〜ん、よく覚えてないや」


 なんだそれ、契約した本人が分かって無いんじゃ意味ないじゃん!


「じゃあ、その契約は無かったという事で」

「残念! もう契約は結ばれてるんだよね」


「なんで?」

「その契約書の最後に書かれてあったんだけど、承諾する際には頭を垂れる。拒否する際には拳を空に突き出す。ってね」


 はぁ〜〜っ?! 雨が降ってて通学バックを頭に乗せてうつむいて走っていただけなのに、それが承諾したと見なされたってことなのか?


「えーっ! それって詐欺みたいなもんだよね。今すぐに契約の破棄を!」

「ダメーーーー!!」


 紅緋は顔の前で手をクロスしてバツをつくる。そして、歯をむき出しにしてニカーッて笑っている。


 ムカつく顔しやがって! ガキかよ!

 見た目が可愛いだけに余計に腹が立つ。


「で、契約が破棄出来ないってことは、僕はどうすればいいのかな?」

「それはもちろん! 私と一緒に妖魔を倒す!」

「はぁ……」


 なんだか、厄介な事になってきたぞ。


「嫌なの?」

「まあね」


「でも、そうする事がみんなを助けて、救うことになるんだよ〜。それを見て見ぬふりをするなんて、人の風上にも置けない奴ってことになるわよね〜」


 まあ、確かに知ってしまった事実だから、しょうがないっちゃしょうがないんだろうけど。


「あんまり気張らずに、気楽にやればいいのよ」

「はあ……」


「というわけで、これからよろしく!」


 そう言って紅緋は右手を差し出す。

 なんか変なのに巻き込まれちゃったな。


 僕は差し出された右手を見て、さっき炎の短剣が出現していた事を思い出した。


「えーと、紅緋の手を握って火傷なんてしないよね?」

「しないよ! 失礼な奴だな!」


 少し拗ねたような顔をしている紅緋に、僕は笑いながらその手をしっかりと握り返して言った。


「こちらこそよろしく!」

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