第10話
「父の溜め息や一弥の舌打ちの音を聞くと、それに混じって、小さい頃に聞いた周りのざわめきが、耳の中で聞こえるんです」
心臓が痛くなって、不安になって、ただ泣きたくなる。これじゃいけない、これじゃいけないって、そればかりが頭に浮かんで……。
「まるで、小説の『トロッコ』ですね」
もうカラになった紙コップを両手で挟み込んで、彼はそれに視線を落とした。
「俺はあの話、読むと切なくなりますよ」
あっ、と思う。
「それは最後の、『ずっと線路が続いてる』って処ですか?」
それなら僕と一緒だ。僕はあの小説を読んだ時、自分を見てるようだと思った。主人公の男の子の気持ちが、痛い程解って……。
「ハズレ。違います」
フルフルと首を横に振った彼は、クスリと笑みを洩らした。
「暗くなった空に慌てた主人公は、急いでトロッコから降りて元来た線路を走って行くでしょ。いつまでも続いてるかのような、線路を必死で。その途中、走るのに重く感じたお菓子を、おじさん達から貰ったお菓子を、横の茂みに捨てる場面がある。
俺が切なくなるのはあの場面なんです。何気にくれたにせよ、もしおじさん達が次の日その茂みに捨てられたお菓子を見たら、どう思うんだろうって。人間って、切羽詰まったらそういう人の気遣いすらも捨てられるのかなって思ったら、悲しくなります」
驚いて顔を凝視する僕に、彼はさも可笑しそうに肩を震わせた。
「だって。どうって事ないでしょ? 暗くても一本路だし。家は逃げも隠れもしない。懸命に走ってれば、いつかはちゃんと着くんだから。そんなのは全然、どうって事ないです。捨てたお菓子の方が、大問題」
人差し指を突き立て、うんうんと頷く。
この人は不思議だ。
僕とはまったく違う考え方をするのに、その言葉はゆっくりと僕の心に染み込んでくる。
天使様のように、僕をあたたかく包んでくれる。
――どうしたら、なれるんですか? そんなふうに……。
僕の問いを見透かして、吐息と共にやさしい瞳が笑みを零す。
この人は、笑ってばかりだ。
「実はね。俺が人の気持ちの裏側を考えるようになったのは、ある出逢いのお陰なんです」
……そうだ。
彼は、彼の笑いはずっと、僕に何かを伝えようとしていた。
その時になって初めて、手が震えた。
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