森林火災
暴徒のうちの誰かが松明を掲げた。膠着状態は続き、タエたちの乱戦は夜に差し掛かっている。敵がよく見えた方が戦いやすいという理由なのだろう、群衆は次々に、区内の森林から枝や枯れ葉を持ってこさせ、石をすり合わせて火を作った。しかし、その炎はすぐに引火した。ある者の髪の毛に、ある者の衣服に燃え移り、密集して気勢をあげる人々はたちまち蒸し焼きになっていく。
火をつけて明りになりうる木には限りがある。火が強くともすぐに燃え落ちる枝では意味がなく、かといって火が弱すぎても使い物にならない。しかし、森というものをないがしろにしその知識を得てこなかった人間たちには、ある種類の松を使えばいいということを知る由もなかった。
火は森からもあがった。火を枝に移す作業で手間取ったのだろうか。いずれにしろ、暖をとるために火
「自業自得だ、俺たちをないがしろにしていいように使ってきたのだから」
と思わないこともなかったが、やはり火だるまになって焼かれていく人間を見るのはいい気分ではない。それに厄介なことに――髪の焦げた嫌な臭いがした。
「消火なんて専門外なんだがな……俺は敵に火を噴かせて地に落とすことしかしてこなかった」
意識せずタエの口角は自嘲気味にあがる。そして無意識に神の振り下ろす杖を避ける。そして、あくまでも髪の燃える臭いを嗅ぎたくないからだと言い聞かせて、タエは燃える市民の救助を決断した。
とはいえ、今は戦闘中である。戦いながら消火もするなんてのは、腕があと三本ほしいくらいの作業量である。
「……チッ、仕方ない」
トランスフォーム、すなわち機体の形を空中で変化させる特殊能力を、タエはメゾンより授かった。
「くっそおおおおおおおおおおおおおおお!」
ヒト型、戦闘機型、飛竜型、恐竜型に変化してきたタエの、究極の型は、水を吐く青龍の姿に似たものだったが、タエにその認識はない。ただ眼下の群衆に大量の水を吹きかけてやりたいと強く念じただけのことだった。
白く長い髭が地面を撫でた。タエはざわつく群衆に構うことなく、一閃の水を細く長く投じた。弱弱しく頼りない放水だったが、それは確かに火だるまになっている人間の身体にまとわりつく炎の勢いを削ぎ、そして人々の感情を徐々に冷静にしていった。
群衆の興奮状態は、嘘のように鎮まった。そして、タエが放水している間、破壊神に背を向けていたにも関わらず、神は何も仕掛けてこなかった。
「ハア、ハア……ッ、ハアッ」
呪いでも解かれたようにタエは身一つになった。何もかもを身の内で燃やし尽くしたかのように、筋肉の端々に力が入らず、息さえも絶え絶えといった風だ。
「落ち、る――……」
いつだって地面は万人に平等だ。弱い者は早くに地に自らの血を吸わせることになるが、強い者もいずれは死ぬ。そうして皆大地に帰っていくのだろう。今までの数え切れないほどの人間を殺してきた、無敗の自分でさえ、こうして力尽きるのだと何やら不思議な気分だった。――しかし。
「……あんた、大丈夫か…………?」
タエは名前も知らぬ男に抱きかかえられていた。そこそこの高所から落下したつもりだった。衝撃をもろに受けた男もただでは済んでいないだろうに、なぜ自分を気遣える?
ああやはり口から血を垂らして、今にも死にそうな顔をしているではないか。
「俺は……大丈夫だ。おっさんこそ、」
男は不自然に身体から力を抜き、唇に血を一筋垂らして事切れた。タエは地面に叩きつけられた。しかし、衝撃の逃がし方は身体でわかっている。スラムでタエを生き延びさせた技だ。
「おっさん…………」
名もまだ知らぬ人間が、死んだ。今まで敵を殺すことに何の疑いも抱かなかったタエが、敵の死を初めて偲んだ瞬間だった。
そして、森の火は延焼を続ける。
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