004勇者の最強証明

 宰相と勇者の思惑が大きくすれ違ったまま始まった戦闘訓練は、ただの蹂躙劇の様相を呈していた。

 ゆっくりと露骨に距離を詰めるルシルを相手に棒立ちで居られるはずもなく、殺意高めの単体魔法が津波のように押し寄せた。


(確かに俺は『殺す気で来い』とは言ったが、そう簡単に切り替えられるものかね?)


 勇者が強く踏み込めば固い地面がめくれ、腕を振るえば人が吹き飛ぶ。

 全方位から撃ち込まれる魔法はどういうわけか無傷で防がれ、いっそ弾かれて攻撃に利用された。

 囲まれて殺到する槍衾や剣戟をくぐり抜け、武器を合わせるだけで転がされていく。


 近衛たちは全力で『殺し』に掛かっているが、ルシルからするとこれはあくまでも訓練の延長だ。

 だから・・・ルシルは傷の一つも付けてやらない・・・・・・・

 そう、死屍累々に転がる者たちは丁寧に一人ひとり意識を刈り取られているだけで、後遺症を残さないように骨折に至らぬ打ち身程度に抑えられている。

 すぐに仕事に復帰できるように、だ。


 それがどれほど隔絶した絶技であるか。

 見学に訪れた文官たちにまで伝播するほどの圧倒的な戦力差を理解させる。

 敵対するなどもってのほか、目を付けられただけで降伏を願い出ねばならない。



 ――勇者はいつでもオーランドを落とせる



 言外に示される現実は、痛いほどに各自の心に傷を作る。

 追放の事実を知るごく少数の彼らには、この訓練が『ちょっかいを出すなら覚悟しろ』と聞こえていた。


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 不本意ながら王城を出た勇者ルシル=フィーレは、その足で魔王討伐に浮かれる王都を後にした。

 急ぐ用もなく、挨拶をしたい相手もいたが、王の暴挙を考えると自分に会うだけで目を付けられかねない。

 後で手紙でも送ればいいか、と軽く考えてもいた。

 訓練と称して少しばかり『かわいがり』もしたが、そちらは完全に善意なのでノーカウントとしてほしいものだ。

 ただ、


「城門や王都を出るときに兵士に捕まったのは面倒だったな」


 ルシルがぼやくように、普通に通り過ぎようとした関所では、一々きちんと止められた。

 身分証が勇者のものであったし、何よりルシルの顔は王都だとかなり知られている方だ。

 勇者の肩書きを確認した兵士たちは、一様に挨拶や握手を求め、さらには上司を呼んで厚遇までしてくれようとした。

 それが連続で二度もあれば、いくら厚意からくるものとはいえどもルシルも辟易してしまう。

 次からはケルヴィンが用意してくれた、勇者の肩書きの外れた身分証を利用することにしようと心に決める。


「んー……あちこちに遠征してたときはともかく、帰路はゆっくりしすぎたな。

 カンを取り戻すのもそうだが、人に逢うといちいち足を止められるのも困るか……」


 特に先を急ぐわけでもないが、ケルヴィンが話した『表向きの建前』も事実ではある。

 これ以上面倒ごとに巻き込まれるのは大変と、貰った地図を広げて考える。


「よっし、決めた。どうせ行き先はサバイバルだし真っ直ぐ行くか。縛りは緩めで」


 テクテクと歩いていたルシルは、ととん、と軽く跳んで身体の具合を確認し、街道を外れて速度を上げる。

 街道に近しいだけあって、まずはなだらかな凹凸のある草原だ。

 未舗装でもルシルの行く手を阻むことはできず、歩幅も大きく軽い調子で突っ切っていく。

 すぐ先にある森に入ってしまえば、誰からの視線も浴びずに進んでいけることだろう。


 そう、追っ手を・・・・撒くよう・・・・に。


 他国のスカウトマンか、それともオーランドの暗殺者か……どちらにしても干渉不可の密約を交わしている以上、相手にするだけ無駄である。

 妙な嫌疑を掛けられて本気で出兵されても困るだけだ。

 ルシルにはせっかく救ったオーランドと正面切って敵対する覚悟も思いもないのだから。


 思い返せば王城を出てからずっと後を着けてきた者たち・・が居たのが分かる。

 気付くのが随分遅れてしまったのはルシルの不覚だった。

 殺意が無かったのでただの様子見だろうとは思うが、王都を抜けるまでルシルの警戒から外れるなど並ではないと同時に、彼のカンが鈍っていることの証明だ。


 散漫な意識を叩き直すため、根や草が茂る森では樹上こそが正規の道とばかりに枝葉を蹴ってルシルは地図上を真っ直ぐ・・・・進む。

 道のりからすると五分の一以下の距離にまで縮まるので、かなりのショートカットになる。


「これで追いついてこれるようなら少し相手してあげようかね」


 ルシルは着地した枝葉の一部を綺麗に踏み折り先へと進む。

 痕跡を残すかのような所作だが、折れた枝など何処にでもあるし、差異に気付いたところで意味は無い。

 そんなものを探している時間でルシルは悠々追っ手を振り切れるのだから。


 道なき道を同行者も連れずに駆ける現役勇者に追いつける者など居ない。

 たとえ本人にとってジョギング程度の軽い運動でさえ、他者の全力を上回るからこそルシルは勇者足りえるのだから。


「森が続くかと思ったらいきなり崖かよ。この地図いい加減だな?」


 しばらく走った先にある崖を見ての感想だが、未開拓地の地図などそんなものだ。

 詳細な地図は戦争にも使われるのでトップシークレットでもある。

 それに元々地図すらない魔族領を駆けたのだから愚痴ですらない。


「結構広い崖だな。崩すか直接登るか……地形変えるのはメルヴィ行ってからで良いか」


 崖傍にあった土に埋まる岩に膝を畳んで着地を決め、前への推進力を直上へと変えて跳ぶ。


「おっと、足りなかったか。やっぱり鈍ってるなー」


 崖に手を掛け、最後の高さ調整を施し軽々超えていく。

 現実離れした光景に、もしも目撃者が居れば手品か曲芸に違いないと思うだろうが、全てはルシルの体術ちからわざだった。


「この調子なら一週間もあれば到着するかな?

 問題は速度的に言って、ちょうどいい場所に宿場町が無いことなんだよなぁ」


 地図を片手に跳ね回る勇者はそんなぼやきと共に前を見る。

 まだまだ道中は長そうなので、その場その場で考えればいいかと脳筋な感じで突き進んだ。


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 暗くなる時間に近くに宿場町があれば泊まるつもりだったが、結局ルシルは何処にも一泊もしなかった。

 間にあった川では水を浴び、山なら適当な鉱物を拾って持ち帰り、崖はハードルのように越え、谷では幅跳びを楽しんだ。

 それもこれも移動に思考を費やすためで、あの愚王への怒りを冷やすためでもあり、数日もすれば『いい汗かいたなぁ』と額をぬぐう程度に収まっていた。


 それに道中の大半は実りの多い森のため、水にも食にも屋根にも困ることは無かった。

 もちろん、何倍もかかる行程を短縮できたことも含めて好意的に感じていたし、戦果を持ち帰る度に肩肘張った貴族社会に巻き込まれていたルシルは実に野生を満喫していた。


 そうしてメルヴィ諸島最寄りのベルンという港町に四日という驚異的な短期間で到着する。

 勇者に祭り上げられてからは遊ぶ時間も取れなかったルシルは、


「港町って遠征に通過するくらいしか無いけど、いろいろなモノが置いてあるな」


 ようやく人里に戻ってきた実感を得て、感心しながら街中を歩きだした。

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