第42話

「失礼しまーす。」


俺は勢いよく保健室のスライドドアを開いた。この世界が死後の世界かどうかはよく分かっていないが、少なくともこの世界の時間は着実に進んでいるらしく、教室でぼんやり待っている訳にも行かなかった。というか実際10分くらい座って待ってたんだけど何のイベントも起きなかったからね。


「・・・あれ、居ないのかな。」


保健室に長濱先生の姿はなかった。いつもと同じ保健室のはずなのに、なんだか少しだけ、新鮮な空気を感じた。整理された机と保険用具、奥の小机にコーヒーの袋が山積みになっている。隣には未開封のガムシロップのお徳用パックが埃を被っていた。


長濱先生らしくねえなあ、と思った。だって先生は整理整頓なんて二の次だし、コーヒーは『先生』の体を装うために来客用でしか飲まない人だ。あんなに山積みにコーヒー買うなんて、見栄を張ろうにも既にバレバレだと思う。


ぼんやりと、長濱先生の姿が浮かぶ。この世界が死後の世界なのだとすれば長濱先生には会えないのかな、と思った。


ん?いや待てよ?


この世界が死後の世界なのだとしたらあのギャル橿原に会うのもおかしくないか?彼女は死んでなんかいないし、元の世界でも、変革後の世界でも生きているはずだ。てかそもそも俺が死んでいるという確証もないわけだし。


で、あれば、だ。


長濱先生に会える!!!バンザイ!!!生きがい!!!三唱!!!!!


一人保健室で大袈裟に舞い上がる俺がそこに居た。滑稽の極み。


まあ俺が黒服に刺された後、シオンがどうなったかというのは心配ではあるけれど。こんな風にふざけていられるうちは、俺は『俺の死』を認めたりしないだろう。


ともかくやはりここは頼りがいのある長濱先生に事情を話してみるとしよう。どうなるかは分からないが、この世界でのんびり遊んでいる時間は俺には残っていない。


「戻りたい」常にそう念じていないと、一瞬でも気を抜けばこの世界を日常だと錯覚して、二度と元の世界に戻れないような気分だった。その元の世界も「変革後の世界」なわけで、元の元の世界に戻さないといけないわけだけど・・・つーかややこしいな。世界何個あるんだよまったく。


俺は思考を巡らしながら、保健室の中を見て回った。そんなに大きい部屋ではないが、生徒用のベッドが3床等間隔に置かれている。俺がここを最後に使ったのはいつだったけな・・・さび付いた記憶を掘り起こす。ぼんやりと、ほんとうにぼんやりと、ベッドに横たわり、怠惰を貪る俺が浮かび上がってきた。


長濱先生と仲良くなる以前の話だ。

俺にとって、日常は苦痛だった。別にいじめられていたわけでもないし、人間関係が拗れていたわけでもない。というか友達いないんだから拗らすものがなかった。


だから苦痛というよりは、虚無と言うべきか。


そういうわけで、俺にとって保健室は安息の地で、避難所だった。仮病で保健室のベッドに潜り込み、時が流れるのをひたすら待った。それしか出来なかった。


「君、いっつもベッドで寝てるフリしてるけど、どうかしたの?」


長濱先生の見た目の幼さとは裏腹に艶めかしい声が蘇る。ベッドで狸寝入りしていた俺はあまりの妖艶さに飛び上がって起きてしまったのを覚えている。


今思えば、あれが俺と長濱先生の出会いだったのかもしれない。

って、え、いやなにこれ結婚式の余興みたいになってない?「二人の馴れ初め」みたいになってない?違うからね?


濃紺色の光が窓から斜めに差し込む。空気が照らされて細かい粒子をきらめかせていた。そのせいかは定かではないが、なんだかノスタルジーに浸りたくなってしまった。そういうわけだ。




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