11 待ち受けていたのは

 宇宙空間に放り投げられたような、そんな喪失感に似た無重力を体験したのは、ほんの一瞬のこと。

 私はすぐに重力に捕らえられて、どこかの地面にぼとりと落ちた。


 ロード・ケインの魔法によって、私は強制的に空間転移をさせられた。

 それは明白だったけれど、不意を突かれた上に一方的だったせいで、即座に現状を理解することが難しかった。

 取り敢えず私は、『魔女の森』でないところに飛ばされたらしい。


 頭がくらくらして、目がチカチカして。

 ほんの少しの間だけれど、今の自分の状況が把握できない。

 取り敢えず生きてはいる。それに、手を繋ぎ合っているという感覚。それだけははっきりと知覚できた。


 そしてもう一つ。私は固い石のようなものの上に伏している。

 空間を超えて放り出された私が、なんだかひんやりした物の上に転がっているのだろうことは、何となくわかった。


「ア……アリスちゃん……!」


 少しずつ回復していく色々な感覚を実感しながら、私はゆっくりと体を起こして、繋いだ手の先に顔を向けた。

 するとそこにはスカイブルーの瞳が見えて、氷室さんがすぐ側にいてくれていることがわかった。

 ロード・ケインの魔法によって吹き飛ばされる直前、彼女は懸命に私の手を放さないでくれた。

 それが功を奏して、離れ離れにならずに済んだようだ。


「氷室さん……よかった……」

「ええ、よかった────アリスちゃん、怪我がないのなら、立って構えて」

「え────?」


 私と目が合った氷室さんは、安心したようにその瞳に安堵を浮かべた。

 しかしそれは瞬時に鋭く冷静なものに切り替わって、淡々とした口調に固くなった。

 その変化に戸惑いつつ、けれど自分が今どこかわからない所に飛ばされたのだという現状を思い出した。

 ロード・ケインによってどこかにやられたのなら、そこが私たちにとって安全な場所であるわけがない。


「ッ…………!」


 慌てて立ち上がり、周囲を見回して息を飲んだ。

 繋いだままの手を更に強く握って、氷室さんと背中合わせに身を寄せ合う。


 私たちは、大勢の魔法使いによって取り囲まれていた。

 シャツまで真っ黒なダークスーツに、サングラスという出で立ちは、恐らくロード・ケインの配下の魔女狩りたち。

 そんな彼らが、広間のような広い部屋の中で、私たちを取り囲んで並んでいた。


 強制的な空間転移でふらついていたとはいえ、こんな只中で寝転んでいたなんて。

 魔女狩りたちは今こそ私たち観察するようにじっとしているけれど、いつ襲いかかってくるかわからない。

 ロード・ケインの部下たちなら、その目的は私を捕らえることか、それとも命を奪うことか。

 どちらにしても、彼らが穏やかに私をお姫様として迎えるために用意された人たちだとは思えない。


「……氷室さん。危険のなのはわかってるけど。でも、戦うしかないね」

「ええ。でも、危険かどうかは関係ない。あなたは、私が守る。私はそのために戦う」

「ありがとう。でも氷室さん。私が、氷室さんを守るよ」


 取り囲む魔女狩りたちを見渡しながら、背中合わせてひっそりと言葉を交わす。

 その顔を見なくても、氷室さんが私のために全力を尽くそうとしてくれていることはわかる。

 でも相手は魔法使いで、そして魔女狩り。それにとても大勢だ。

 魔女の氷室さんでは部が悪すぎるし、私がしっかりする番だ。


「大丈夫だよ」


 心配そうな気配を向けてくる氷室さんに、私は小さく言葉を向けた。

 そして繋いでいた手を放し、手の中に『真理のつるぎ』を呼び寄せた。

 いつも通り、純白の剣はどこからともなく実体を現し、手の中にするりと馴染んで収まった。


 それに合わせて、体の中に力を駆け巡らせる。

 実際魔力を走らせてみても、やっぱり力を使うことによる、ドルミーレの圧迫感は感じなかった。

 今の私には、力を使うことへと弊害や抵抗が全くない。

 この『始まりの力』は、内包する魔力は、全て滑らかに私の全身を巡り、膨れ上がっている。


「私は花園 アリス。『まほうつかいの国』の姫。長らく国を空けていたけれど、まだそれは変わっていないはず。一応聞きます。私はお城へと戻たい。あなたたちは、それを助けてくれる人たちですか?」


 私から溢れる力に息を呑み、皆一様にたじろぐ魔女狩りたち。

 それを確認してから、私は努めて堂々と、けれど平和的に周囲の魔法使いたちに呼びかけた。

 戦闘にならないに越したことはないし、もしかしたら純粋に、私をお城に連れて行ってくれるかもしれないから。

 しかし、魔女狩りたちから返ってきたのは、芳しい反応ではなかった。


「アリス姫殿下。私たちはロード・ケインの命の元、あなた様を魔女狩りの本部へとお連れ致します。拒まれるようであれば、強制して構わないと、そう仰せつかっております」


 集団の中から、一人の男性の声が飛んできた。

 感情を押し殺したような、とても機械的な言葉。

 けれどそれだけで、この人たちが私にとって友好的な存在ではないという証明には十分だった。


「私にその意思はありません。行くとしても、それは一度玉座に戻って、私の存在を国に示してからです。それからであれば、私の方から喜んで魔女狩りの皆さんとお話しますよ」

「なりません。姫殿下には真っ直ぐお越し頂くよう、そう命じられております」

「……それは、私と戦うことになってもですか?」


 少し大袈裟に剣を構えて見せて、静かに尋ねる。

 それに対する返答は沈黙だったけれど、でもそれは萎縮によるものではない。

 力を取り戻し、所謂最強の力を持つ私を、屈服させて連れ帰る覚悟をこの人たちはしている。


『真理のつるぎ』と私の力があれば、大抵の魔法使いの攻撃は、私には通用しないだろうに。

 いや、強く特殊な力を持っているとはいえ、私はまだまだ未熟だし、だからこそこうやってロード・ケインに好きにされた。

 それを踏まえれば、大勢で攻め込まれて、氷室さんを守りながら逃げ果せることはできるのかな。

 魔女狩りたちの無言の自信が、静かに私に不安を募らせた。


「わかりました。なら私は、精一杯抵抗します。あなたたちの思い通りになるつもりはありませんから……!」


 相手が強い意志で向かってくるのなら、私も全力で相対さなきゃいけない。

 自分の力を過信して、舐めてかかれるほどまだ私に余裕はないんだから。


 私は剣をしっかりと握り直し、そして背中で氷室さんをしっかりと感じながら、いつ飛びかかってこられても良いように身構えた。その時────


「あなたなら、そう言うと思ったよ」


 静まり返った声がシンと響き渡り、その瞬間、私の目の前の集団がサッと割れ、道を作った。

 そうやって視界が開けたことで、私は今自分がどこにいるのかを理解した。


 ここは城だ。城の中の、玉座の間だ。

 でも王都にある、国の中枢たる城と、その玉座ではない。

 ここはもう一つの城。国の西にある、お花畑の中にある城。

 私が昔、旅の拠点にしたあの、ドルミーレの城だ。


 私の目の前が開け、その先にある玉座が目に入った。

 そしてその前に立つ、黒いローブに身を包んだ人の姿も。


 フードをすっぽりと被って顔を隠した魔法使いが、道が開けた集団の先、玉座の前から私を真っ直ぐ見つめていた。


「知ってるよ。封印が解けて力を取り戻したんでしょ? なら、そこらの魔法使いじゃそうそう太刀打ちできない。でも、私ならどうかな」


 少し距離があるし、それにフードを深く被っているから、顔は全く見て取れない。

 けれど、でも。私にはそれが誰なのかすぐにわかった。

 その声を、私は、今の私は絶対に聞き間違えない。


「アリアッ…………!」


 感情が炸裂して、せき止めるものもなく叫びが飛び出た。

 離れていても、顔が見えなくても、私にはわかる。

 そこにいる親友を、私がわからないなんてことはないんだから。


 でも、私がそうして声を上げてもその人は────アリアは返事をしなかった。

 呼び掛けに応えることも、フードを剥いで顔を見せることも、なにもしない。

 まるで、私が見えていないような、いや、私を私として見ないようにしているような、そんな不自然な態度。


「私があなたを連れ帰るよ、アリス」


 フードを深く被り直して、ただ、それしか言わない。

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