98 もういい

「馬鹿にしないで!」


 気がつけば、私は大声を張り上げていた。

 心がぐらぐらと沸騰して、頭が真っ白になって。

 そしてどうしようもなく、悲しみに満ち溢れていた。


「そんなこと……そんなこと今更言って、それで何もかも元通りになるとでも思っているの!? 私は、もうあなたたちを信じることなんてできないわ!」


 何も含むもののない、二人の純粋な謝罪。

 だからこそ、より一層に私の心の傷を抉った。


 きっと彼女たちは、私を謀ったつもりはなのだろうし、裏切るつもりだって毛頭なかったのだろう。

 しかしそれでも、確かに二人は私に対して恐れ慄き、及び腰になった。

 それはつまり、彼女たちの気持ちや考え以前に、本能的に、反射的に私を恐れたということだ。

 彼女たちが今どんなにその気持ちを訴えたところで、それが本心であればあるほど、彼女たち自身が制御できない本能の存在が恐ろしくなる。


 ヒトは生物であるが故に、生存の本能には逆らえない。

 ホーリーもイヴニングも、一個の生命として、私という存在に恐れをなしたのだ。

 彼女たち自身がどう思っていようとも。

 どんなに心で繋がりを結んでも、意思が及ばないものが、簡単に絆を断ち切ってしまう。

 そんなものに、一体どれほどの価値があるのだろうか。


「そんな言葉は不要よ。もういいの。あなたたちが何を思おうと、ヒトビトにとって私が害悪になることは事実なのだから。どんなに今、あなたたちが反省をしていようとも、いずれまた私を恐れる時が来るわ」


 そう言葉にしてみると、心がするすると萎んでいくのがわかった。

 一瞬湧き上がった怒りは急激に掻き消え、それによって生まれた空白が、ひどく虚しかった。


 そんな私の声に、二人はゆっくりと頭をあげた。

 そしてホーリーは、胸の前で両の手を握り合わせて、ポロリと涙を溢した。


「許してもらえるだなんて、思ってない。許してもらえたらって思ってるけど、でも、許してもらえるわけないって、そう思ってるから」


 言葉は恐る恐る、震えて消え入りそうになりなが紡がれる。

 そしてそれはやがて嗚咽になって、声はぐちゃぐちゃと泣き声になった。

 イヴニングはそんな彼女の肩を抱いて、私に神妙な瞳を向けた。


「君には言い訳に聞こえるだろうけれど、私たちの君に対する気持ちは、今だって微塵も変わっていないんだ。私たちは変わりなく君を大切な友達だと思っているし、心の底から心配している。でも、確かにあの時はとてもつもない恐怖を君から感じて、咄嗟に腰がひけてしまったのも、また事実だ」


 言いにくそうにしながら、けれどイヴニングは私から目を離さない。

 いつものだらけた雰囲気はそこにはなく、その表情は真剣そのものだ。


「だから君の怒りと悲しみは、尤もだと思う。私たちは、自分の気持ちとは違ったとはいえ、君を裏切ってしまったのと同じ態度をしてしまった。君を深く傷つけたのだから、許してもらえなくても、仕方がないのかもしれない」

「そこまでわかっているのなら、どうしてこんな無駄なことを、わざわざ……」

「それは、私たちが君の友達だからだ。大切な友達だからだ。言っただろう? 私たちの気持ちは今でも変わっていない。私たちはね、例え君に許してもらえず、どんなに嫌われても、君と一緒にいたいと思っているんだよ」

「……………………」


 言っていることが滅茶苦茶だ。あまりにも破綻している。

 理路整然としたイヴニングらしくない、とても非論理的な感情論の言葉だった。

 その言葉を鵜呑みにして、彼女たちの言葉を聞き入れる道理が全く見当たらない。

 しかし、彼女がそれを出鱈目に言っているのではないということは、その顔を見ればよくわかった。


 でも、そんな言葉を受け入れられるほど、もう私は純粋ではない。


「知ったことではないわ。私には、そんなあなたたちの事情なんて関係ない。もう嫌なのよ、ヒトと関わるのは。希望を見出して手を伸ばしても、決して届かない。信じて心を寄せても、繋がりは断ち切れる。どんなに尽くしても、何かあれば全てゼロになる。この世界は醜いものだと、私はよく理解してしまったわ」

「ドルミーレ……」


 信頼も友情も愛情も、永遠のものなんて一つもありはしない。少なくとも、私には。

 私はこの世界に恨まれ、そしてそこに生きるヒトビトに恨まれる運命なのだから。

 愛していた人たちも恐れ慄かれる私が、絶対的な絆を結べるわけがなく、そうとわかって結ぶ繋がりなんてあまりにも無意味だ。


「今更、信じられるわけがないでしょう。多くのヒトビトが、そしてこの世界が私を憎んでる。私はそれを、この肌と心でハッキリと理解してしまった。嫌というほど、理解してしまった。そんな中で、あなたたちの言葉を、どう信じろっていうの……!?」

「ドルミーレの気持ち、わかるって言っちゃいけないんだろうけど、わかるよ。あんなに沢山の人たちから嫌われたら、誰のことも信じられなくなって当然だと思う。だから、何にも信じられなくなったあなたを、私たちは責めないよ」


 イヴニングに支えられながら、ホーリーは震える声を上げた。

 口振るを噛みしめ、手を握りしめて、涙に溢れる瞳で私を見る。


「その上で、私たちのことだけは信じてなんて、そんな都合のいいことは言えない。でもね、私たちはあなたに、希望を失って欲しくないの。何もかもに絶望して、自分から悪者になっていくような、そんな苦しい生き方をして欲しくない。誰も信じられなくなったって、ドルミーレは一人じゃないんだって、それをわかって欲しいの」

「そうだよドルミーレ。私たちのことが信じられなくても構わない。けれど、そうやって殻に閉じこもって、全てを投げ出さないで欲しいんだ。光が照らす道行を、自分から閉ざさないでくれ。今の君のやり方は、自分から自分を傷付けている。そんなの、私たちは見ていられないんだ」


 それは誰のせいだと、大声を上げて叫びたかった。

 誰がこんな生き方を好んで選ぶんだと。私だって、大切な人たちをずっと笑って生きていきたかったと。

 でもそんなものがまやかしに過ぎなものだとしてしまったから、私はこうするしかなかった。

 しかしそれを今ここで叫んだところで、何の意味もないだろうことはわかっていた。


 だって、彼女たちの心には何の罪もないのだから。

 悪いのは、この狂った世界のシステムだ。


 世界が私を憎んでいるのだから、この世界に住むヒトビトが私を受け入れないのは道理。

 彼女たちがどう思おうと、この世界で生きている以上、それは避けられない法則だ。

 そしてそれは彼女たち自身にも、意図しない形で当てはまってしまう。


「もういいのよ。やめましょう。こんな話をするのは、不毛だわ」


 二人の気持ちが本物だとわかればわかるほど、胸が苦しくて張り裂けそうだ。

 その気持ちがいつ、思わぬ形で捻じ曲げられて私に牙を剥くのか。

 それを想像しただけで、今この瞬間に死んでしまいたくなる。


 孤高に生まれた私が友情を知り、そして愛を知って、一瞬だけれど温もりの中で生きることができた。

 それを経験してしまった私には、そんな幸せを渇望する気持ちが芽生えてしまった。

 しかし同時に、そんなものは夢物語に過ぎないと知ってしまった今、幻想を盲信して生きていくことなんてできない。


 夢を描いた結果、待ち受けているのは絶望的な現実しかないと知ってしまったから。

 私はもう、誰かを信じ希望を抱いて生きていくことなんてできない。

 この世界に生き続ける以上は、もう二度と。


「もうあなたたちの顔なんて、見たくないわ。さっさと帰って頂戴。私、あなたたちのことは、殺したくないのよ」


 だからこれでいい。もう信じないのが正解だ。誰とも関わらないのが正解だ。

 それが例え誰であっても。いやむしろ、彼女たちだからこそ尚更。

 私はもう誰も信じずに、この閉ざされた場所で一人で生きていく。


 私はもう、それでいい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る