70 理由はわからない
「────ところで、あなたは魔女の討伐の命を受けてここへ来たと言っていたけれど……」
面と向かって放たれた甘やかな言葉に耐えられなかった私は、堪らず話題を切り替えた。
コミュニケーションの経験値が低いにしても、些か強引すぎたと自覚できたけれど、しかし知ったことではない。
だって私には、彼から向けられている感情にどう向き合っていいのかわからないから。
悪い気はしない。その隠すことのない好意の色は、心地よくすらある。
けれどそれは私の心にどんどんと侵食してきて、やたらめったらにかき回す。
彼が微笑み、容赦なく言葉を口にするごとに、私は胸を穿たれるような気分になる。
彼の純粋な友好さは嬉しいはずなのに、そうした感情には何故だか複雑な気持ちにさせられて。
だから私には、とてもではないけれど真っ直ぐに受け止めることはできなかった。
「まさか、あなた一人でやってきたということはないでしょう? あなたはとても、蛮勇な戦士には見えないもの」
「ええ、はい。この森までは家来────仲間と参りました。私は本来お飾りのようなものなのですよ」
話の転換に顔色一つ変えることなく、ファウストは素直に頷いた。
自らの出立ちを指して、恥ずかしそうに自嘲する。
「功績を立てるために将として祭り上げられましたが、私は見ての通り武芸には秀でていませんからね。実践は仲間の役目でしたが、森に入るなり逸れてしまいました」
「そんなことだろうと思ったわ。ということは、森の端の方で彷徨っている気配は、あなたのお仲間と言うわけね」
「お恥ずかしい話です。しかしそれが転じて、こうしてあなたと過ごせていることを考えれば、やはり幸運と言えるでしょうね」
そう微笑むファウストの最後の言葉に、私は聞こえないフリをした。
せっかく話を逸らしたというのに。いや、そもそも彼は話が逸れたとすら思っていなかったのかもしれない。
ファウストにとっては、それはもう当たり前に口にするような言葉なのだろう。
「でもファウスト。あなたがそうやって討伐の命を受けたというのならば、私の首を持って帰らないわけにはいかないのではなくて? 隊を率いて、功績を求められているのであれば尚更」
「体裁としてはそうですが、そんなものはどうでもいいのです。私にとってはそもそも、大して欲しいのもではありませんでした」
「けれど、人間はあなたの成果を期待しているのではないの? あなたが悪しき魔女を討ち取ることを」
「ええ、そうですね。しかし森の魔女は噂の域を出ていませんでした。目撃証言も確かにありましたが、しかし公的に認められるものはなかった。それを鑑みれば、そのような魔女は存在しなかったと、そう言ってしまえばそれで済むのではないかと」
ファウストは爽やかに笑って、あっけらかんとそう言った。
本当にそんなことで片付くのか、それには些か疑問が残るところだけれど。
でも軽やかに言うわりにはその言には自信が込められていて、何故だかそうなる予感を思わせた。
「もちろん、それだけで簡単に貴女に対する悪評をなくすことはできないでしょうが……しかし私は、貴女にかけられた無実の罪も、晴らしたいと思っていますよ」
「いいのよ、そんなことはしなくても。魔女に加担した者として、あなたにも非難が飛ぶわよ」
「心配してくださるのですね。ありがとうございます」
「っ…………」
そう嬉しそうに微笑まれ、私は自らの失言に気付いた。
ホーリーとイヴ以外の他人なんてどうでもいいはずなのに、どうして私は彼を案ずるような言葉を口にしてしまったのか。
彼が勝手に私を庇ってそれで周りの人間から何を言われようが、そんなこと私には関係がないはずなのに。
じんわりと顔に熱が集まるのを感じる。
彼と出会ってからのこの僅かな時間の間で、私は変になってしまったのではないだろうか。
今までヒトを煩わしく思い、関心なんて全くなかった私なのに。
どうしてこの青年だけには、こうも異なる態度をとってしまうのだろう。
彼が森の茂みから現れて、目があったその瞬間から、何かがおかしい。
今まで感じたことのない未知の感情と感覚をこの青年は私に与え続けてくる。
これは恐らく、彼の態度に悪い気を覚えないことだけが原因ではない。
彼という存在が、私には好意的に映っているのかもしれない。
言葉に詰まる私に、ファウストはやはり楽しそうに微笑みを向けてくる。
その表情を捉えるだけで、心がモゾモゾと気持ち悪い。
「ですが、ご安心ください。私を強く非難できる者はそう多くはいない。貴女の思っているようなことにはなりませんよ」
「そ、そう…………」
「はい。私一人の力で大衆の意見を覆すのには時間がかかるかもしれませんが、必ず貴女の無実を証明すると誓いましょう」
その宣言に、私は頷くことができなかった。
ファウストを信じていないというわけではないけれど、それ以前にヒトという存在への信頼は地に落ちているからだ。
もし彼が言葉通り私の印象回復に尽力したといても、あの浅慮な人々が考えを改めるとは思えなかった。
ただ。けれど。でも。
そう言ってくれたファウストの気持ちを、嬉しく思う自分がいた。
それが顔に出てしまったのかはわからない。
しかしファウストは、私を見てそっと温かな笑みを浮かべた。
「そろそろ失礼させて頂きます。突然押しかけてしまって申し訳ありませんでした」
少しの間私のことを優しく眺めてから、ファウストは徐に立ち上がった。
その僅かな動作すらも無駄がなく精錬されていて、彼の気品ぶりを窺わせる。
「お茶、ご馳走様でした。できれば、また振る舞って頂きたいものです」
「え?」
顔を上げて聞き返すと、ファウストは私の前に立ち、手を取って膝をついた。
さっきと同じようで、しかしそれよりもやや恭しさを感じる。
向けられた瞳はとても真剣だった。
「ドルミーレ。貴女さえ良ければ、これからも私と会っては頂けないでしょうか。私は貴女ほど素敵な女性に出会ったことがないのです。どうか、このわがままをお聞き入れ頂きたい」
「………………」
私の手をとるその手は優しく、しかしどこか力強さを感じた。
真摯で、そして直向きな想いが彼の全身からひしひしと伝わってくる。
目を逸らしたいのに逸らすことができず、それ故に心臓の鼓動が乱れるのがわかった。
私の全身が、彼によって支配されているような錯覚すら覚える。
それを実感して、私はようやくこの妙な感覚の正体に当たりをつけることができた。
理由はわからない────いや、理屈を捏ねれば色々と上げつらえることはできるだろうけれど、でもそれはきっと無粋だ。
だからわからない。わからないけれど、でも私は。
私はこのファウストという青年に、少なくない好意を覚えたのかもしれない。
きっと、目が合ったあの瞬間から。
それから、私がなんて返事をしたのかはあまり覚えていない。
しかしファウストは、嬉しそうに「また来ます」と言って小屋から出て行ったのだった。
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