50 返す言葉

「勘違い、しないで」


 気持ちと体が分離したような曖昧な感覚の中、私は震える唇を開いた。

 心が織りなす言葉をうまく紡ぐことができず、溢れた言葉は半ば反射的なもの。


 久し振りの再会を果たした友人に対し、何と言葉を向けるべきかわからない。

 決別したはずの彼女たちに、どんな顔を向ければいいのかわからない。

 二人の言葉に、何て返したらいいのかわからない。


 そんな混乱の中でも辛うじてわかることは。

 甘えてはいけないこと。履き違えてはいけないこと。

 自らを、誤らずに認識すべきということだ。


「勘違いしないで。私は別に、帰ってきたわけではないんだから」


 だから私は、言葉を絞り出した。

 違うのだと否定したくて。だって気を抜けば、かつての過ちを繰り返してしまいそうだから。

 目の前で微笑む二人の顔を見ていると、昔を思い出して溺れてしまいそうになるから。


 それは飽くまで感傷に過ぎないもの。

 決して、私にとっての最善になどなり得ないのだから。


「少し、用があったから立ち寄っただけ。もう発とうと思っていたところよ」


 私はそう一方的に言い放って、二人の顔を見ないように視線を落とす。

 五年前に決別した二人。もう二度と顔を合わせることはないと思っていた。

 だから、こうして向かい合っているべきではない。そんな資格は、私にはないんだから。


「それでも、こうしてまた会えた。ここで、三人で。だから、おかえりと言わせてほしいな」


 そんな私の突き放した言葉に動じることなく、イヴニングは緩やかな言葉を発した。

 五年前よりも更に落ち着きを持ったその声は、耳に穏やかに響く。


「私たちはあの時から、ずっとずっと待ってた。まぁ私はちょっぴり探してみたりもしたけど……でも、一瞬も忘れないで、私たちは待ってたんだよ」


 ホーリーが明るく続ける。

 無邪気で奔放だった面影を残しつつも、スマートな朗らかさを持って。

 大人びた嫋やかさの中に活気を混ぜ合わせ、日溜りのように暖かい。


「アイ────ドルミーレ。君は私たちを、人間を信じられないと言って出て行ってしまった。そう思われても仕方ないことを私たち、人間はしてしまった。でもね、だからこそ私たちは君を信じ続けたよ。必ず私たちのところに帰ってきてくれるってね」

「アイリス────じゃないや、ドルミーレ。あなたは自分を人間じゃないんだって、私たちとはわかり合えない、一緒にいちゃいけないって言ったけど。やっぱり私たちはあなたといたいよ。五年間ずっと考えてたけど、やっぱりその気持ちは変わらなかった」


 いつかのように三人でテーブルを囲みながら、ホーリーとイヴニングは言う。

 あの時と全く変わらない気持ちを胸に、私に想いを語る。

 その真っ直ぐな言葉が、私の心を突き刺した。


「言葉で言うのは、簡単。あなたたちはわかっていないから、そう言えるのよ。私は人間ではない。それ以外の何物でもない。私は、世界が生み出した力の塊のような存在。辛うじてヒトの形をしているけれど、限りなくヒトとはかけ離れた存在なの。わかり合えるはずなんてない。神秘を持たないあなたたち人間とは、尚更……」

「そんなこと、何も関係ないよ。人間とか、神秘とか、何も関係ない……!」


 否定を並べる私の言葉に、ホーリーが語気を強めた。


「私には難しいことよくわかんないけど……もしドルミーレと人間や、他のヒトがわかり合えないとしても、私たちは違う。違うよ! それは種族とか存在とか力とか、そんな小難しいことじゃなくて……私たちが、親友だから……!」


 恐る恐る視線を上げてみれば、ホーリーの寂しそうな瞳が私を捉えた。

 先ほどまでの柔らかな笑みは崩れ、眉を八の字に寄せて私を縋り見ている。


「あなたがどんな存在だったとしても、どんな力を持っていたとしても、私は友達を信じる。友達は裏切らない。細かいことなんて関係ないの。あなただから、ドルミーレだからなの!」

「そうだよ、ドルミーレ。私たちの繋がりに、親友としての友情に、私たちの気持ち以外のものなんて関係ないんだ」


 イヴニングはカップを握りしめるホーリーの手に、自らの手を重ねながら静かに頷いた。


「もうあれから五年も経ってしまった。それでもこの気持ちが色褪せないのは、私たちが君を大切に思っているからだ。あらゆる垣根を越えて、君という友人を心の底から想っている。君が拒絶しても、この気持ちは変わらない」


 落ち着いた声で語られる落ち着いた言葉。

 それはとても透き通っていて、混じり気など微塵もなくスッと私の内側に入り込んでくる。

 イヴニングの研ぎ澄まされた言葉には、何も誤りなどないと、そう思わされる。


「そんなことを、言ったって……」


 五年前の、あの時の気持ちを思い出すと、どうしても否定的な言葉が口からこぼれる。

 人間に拒絶された苦痛、罵られた恐怖、侮蔑された屈辱。

 あの時の絶望を思えば、今更ヒトを信頼することなんてできはしない。


 けれど、でも、どうなんだろう。

 私はこの五年間世界中を旅してきて、様々な国で色々な人に出会った。

 種族も生態も文化も神秘も、何もかも違うヒトビトを目にしてきた。


 私は極力、個人的な関わりを持たないようにしてきたけれど。

 それでも日々を過ごしてく中で、全く関わらず、触れ合わないということはできなくて。

 私は様々なヒトの手を借り、知恵を借り、力を借りて生きてきた。


 私を珍しがるヒトもいたし、怪しまれることもあったし、遠ざけられることだってあった。

 それでも、そうじゃないヒトたちもいて、寧ろお節介だと感じるほどに関わってくることもあって。

 私は結局、ヒトの中で生きてきた。


 一人で生きていくことなんて決してできない。前にそう言われた。

 私は大きな力を持ち、これを使えばできないことなんてほとんどない。

 それでもこの世界で生きていく以上、何かしらの形で誰かの力を借りることは決して避けられない。


 ならば。そうなのだとするのならば。

 誰かしらと関わらざるを得ないのだとするのならば。

 その相手は、好ましいヒトの方がいいんじゃないのだろうか────。


「私はまた、あなたたちに災いを呼んでしまうかもしれない。人間とは違う私は、あなたたちが受け入れられないことをしてしまうかもしれない。その時は、お互いが傷つくのよ」


 もし万が一、二人を信用するとしても、私たちの違いが大きな問題を起こす可能性は捨てきれない。

 私と人間の価値観の違いが、五年前のことを引き起こしてしまったのと同じように。

 私がその不安を口にすると、ホーリーは静かに首を横に振り、そっと口元に笑みを浮かべた。


「もしそれが原因で何かが起こっちゃっても、それは私たちみんなの問題であって、ドルミーレのせいじゃない。それに、三人みんなで傷つくんだったらそれでいいよ。誰か一人が傷つくよりもよっぽどね」

「そんな、無茶苦茶なことを……」

「私は傷つくのを恐れて逃げたくないし、逃げて欲しくない。私はね、また三人でいられるんならどんなことでも乗り越えるよ。三人一緒なら、絶対できるから」


 そう言って、ホーリーは温かく微笑んだ。

 彼女は言葉通り、きっと細かいことは考えてない。理屈や理由を無視して、気持ちだけで語っている。

 でもだからこそ、そこに偽りはなく、また揺るぎない物であると伝わってきてしまう。


「君が感じている恐怖、危惧している未来。それらを取り払ってあげることは、確かに私たちにはできない」


 ホーリーの笑顔に固まる私に、イヴニングが言った。


「けれど、共に手を取り合うことはできる。一緒に感じ、考えることはできるんだ。五年前のあの時のように、いやそれ以上に。君が抱える問題を解決することはできなくても、共有して抱えることはできる。私たちは友として、君と心を分かち合いたいんだ」

「そんな、綺麗事よ。できるわけが……」

「できるさ。私たちなら。私とホーリー、そしてドルミーレなら」


 イヴニングは微笑む。当たり前のことを言っていると、そういった表情で。

 私の否定的な言葉をあっさりとかわして、固い肯定の言葉を口にする。


「私たちが今ここに揃っている。それが証拠だ。示し合わせていないのに、私たちはまたここで巡り合った。君は帰る必要のなかったこの小屋に帰り、私たちは君を求めてこの小屋に訪れた。それは私たちの心が、お互いを感じあっているからに他ならない」

「────────────」


 ミス・フラワーと話を終え、何故すぐに森を後にしなかったのか。何故わざわざこの小屋に立ち寄ったのか。

 それは私の心の奥底が、二人の友人を感じていたから。私の生涯に於ける唯一の彩りを、忘れてはいなかったから。

 私は無自覚に、二人を待つためにこの小屋に帰ってきていたんだ。昔のように、二人が小屋の戸を開くことを望んでいたんだ。


 沢山の言い訳をして目を瞑ってきたけれど。それでも私は、二人から心を断つことができていなかった。

 どんなに人間に絶望し、ヒトを避けて生きようと決めても、二人だけは忘れられなかった。

 ただこれ以上傷つくのが怖くて、希望を持って更なる絶望に落ちるのが怖くて、自分を守る為に殻を作ったけれど。

 そんなものは、何の意味もなかったということ……。


「大丈夫だよ、ドルミーレ。あなたは一人じゃない」

「そうさ。誰が何と言おうと、私たちは君の味方だ」


 ホーリーとイヴニング。二人の手がそっと伸び、テーブルの上に置いていた私の手を握った。

 温かくて、柔らかい。それはとても久しぶりに感じた、ヒトの温かみだった。

 心を抱かれたかのように、体がほぐれていくのを感じる。


「あなたたちに、会いたかった。でも、ダメだと思っていた。そんな資格はないんだと」


 言葉が勝手にこぼれる。


「でもあなたたちが、こんな私でも受け入れてくれると、そう言うのなら。私は────」


 その先を声にすることはできなかった。心が震えて、喉が閉まって、うまく話せない。

 そんな私に二人は優しく微笑んで、声を揃えてもう一度言った。


「おかえり、ドルミーレ」


 二度目にして、私はやっと、その言葉に頷いた。


「ただいま。ホーリー、イヴニング」

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