23 さようなら

「突き放してしまったのね」


 二人に別れを告げ、私もまたこの地を去ろうと歩みを進めていた時。

 途中で立ち寄った広場で、ミス・フラワーは開口一番そう言った。


「彼女たちはあなたの大切なお友達でしょう? もっと優しくしないと」

「…………このままだと、私たちはお互いに傷付くことになる。仕方のないことなのよ」


 今や私を見下ろすほど巨大になってしまったユリの花は、ションボリと茎を萎らせる。

 私はそんな彼女に目を向けないようにしながら、淡々と決定事項を口にした。


「彼女たちも成長すれば、もっと物事の分別がつくようになってしまうでしょう。そしていずれ私は、より明確にヒトではなくなると思う。その時になって傷付きたくない。希望を持ちたくないの」

「…………そう。あなたがそうしたいのなら、私には口出しはできないわね、

「────私を、もうその名で呼ばないで」


 困ったような笑みを浮かべながら、なんとか朗らかに話そうとするミス・フラワー。

 その口から飛び出した偽りの名前に、私は反射的に異を唱えてしまった。

 ミス・フラワーは少しびっくりしてから、わざとらしく緩やかに微笑んで見せた。


「どうして? 私はあなたをアイリスと呼ぶのを気に入っているのだけれど。素敵な名前じゃなあい?」

「今までの無知で未熟な私を、その名前ごと捨て去りたいの。自分を人間だと錯覚して、至らぬ力に甘んじていた、愚かな私をね」

「そんなに嫌わなくても。これまでもこれからも、全てあなた自身であることには変わりないのよ? 何もかも捨て去ってしまうのは、とっても寂しいわ。ね、アイリス」

「………………」


 ニコニコと繰り返すミス・フラワーに、私は答えずただ投げやりな視線だけを向けた。

 それでも堪えた様子は見せなかった彼女けれど、それ以上名前を口にすることはなかった。


「────行くのね」


 少しの沈黙の後、ミス・フラワーはポツリと言った。

 全てを見透かしたような言葉に、私は不快感を覚えつつも頷く。


「ええ。私は、私という存在の理由が知りたい。この力が何なのか、私は何故この世界に生まれたのか、それが知りたいの。神秘のないこの国に留まっても、それはわからないだろうから」

「それもそうね」


 ミス・フラワーは微笑みを浮かべたまま軽やかに肯定した。

 その柔らかな雰囲気と共に、とても温かな眼差しが降り注いでくる。

 まるで旅立つ子を案じる親のような目だった。


「ついて行くとでも言うつもり?」

「そう言いたいところだけれどね。残念ながら今の私は地に根を張るお花だから」


 牽制のつもりで発した言葉に、ミス・フラワーは苦笑した。

 やれやれと肩を竦めるように葉を揺さぶる。


「だから私はここで大人しくあなたの帰りを待つことにするわ」

「私がここに帰ってくるかはわからないわ」

「いいえ、帰ってくるわよ。必ずね」

「何を根拠に……」


 知ったような口ぶりでニコニコと言うミス・フラワー。

 私が眉をひそめて不快を露わにしても、その様子を全く崩さない。


 ここが私の出生の地だから、とでもいうのか。

 それとも、私はあの友人たちに会いたくなると?

 その程度で帰ってくるのなら、わざわざ全てに決別なんてしない。


 何故ミス・フラワーはそんな確信めいたことを言うのか。

 一瞬それに思いを巡らせて、彼女という存在が私に何か関わりがあるであろうことを思い出した。

 ミス・フラワーは私を見守るためにここにいると言っていた。

 結局彼女は、何者なのだろう。


「────ミス・フラワー。ところで私は、あなたのことについて教えてもらえるの?」


 疑問をそのまま口にすると、ミス・フラワーはパッと目を見開いて、そして改めてニッコリとした。


「いいえ、今はまだダメね」

「まさか、それを知るために帰ってこいと言うの?」

「そんなことは言わないわ。私はあなたに強制はしない。今話しても、あなたにはまだよくわからないと思うから。でもあなたが自分自身を追い求めていくのならば、いずれ理解できる時に知りたくて堪らなくなるはずよ」

「………………」


 上手く転がされているような気がして、あまりいい気分にはならなかった。

 それが今はダメな理由だという意味がわからない。けれど今それを執拗に問い詰めたところで、この花は決して口を割らないのだろう。


 なら彼女が言う通り、私自身がそれを必要とした時に聞けばいい。

 もしこの先その必要を感じなければ、もちろん帰ってこなくてもいいのだから。

 ただ、心の内ではなんとなくこのユリの花と自分の関連性を感じている。

 だからいずれ彼女の言う通りになってしまうのではと思うと、僅か以上に癪に触った。

 ただ、それを今露わにする時ではない。


「まぁいいわ。あなたから答えを得られるとは思っていなかったもの」

「あら、私って案外信用されているのね」

「………………」


 こちらの機嫌などお構いなしに、ニコニコと都合のいい解釈をするミス・フラワー。

 何か言ってやっても良かったのだけれど、それもバカバカしく思えてしまった。

 そもそも、どうして私はこの花とお喋りに興じてしまっているのだろう。


 ミス・フラワーだって、信用に足り得ない他人。

 必要以上に関わりを持たない方が今後の私の為だ。

 ヒトと関われば、嫌でもその心の浅ましさに直面しなければならない。

 そんなもの、もう極力向き合いたくなんてないんだから。


「────私はもう行くわ。さようなら、ミス・フラワー」

「ええ。またね、


 そのわざとらしい返答に、私は背を向けることで応えた。

 目を逸らしてもわかる陽気な笑顔の気配に嫌気が差しながら、私はその広場を後にした。


 目指すは、森の外、国の外。

 この愚かな国の外にある、神秘を知る国々。

 私の持つ神秘が何なのか。私とは何なのか。その答えを求めて。

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