141 待ってる

 しばらく青い光に身を任せていると、唐突に闇が晴れ、暖かな日差しの中に出た。

 先ほどまでの黒々とした風景は何の名残もなく、私たちは巨大な森を囲んでいるお花畑に辿り着いていた。


 レイくんの魅了によるピンクの霧もなく、そこはいつも通りののどかなお花畑。

 柔らかな風が頬を撫で、甘い匂いがほのかに香る、心地よい空の下だった。


「助けてくれてありがとう────」


 気持ちの良い日差しに心和ませながら、ここまで導いてくれた青い光にお礼を言おうとすると、既に私たちの側にその輝きはなかった。

 ここまで送り届けたから役目は終わったと、そういうことなのかな。

 それとも、奥底で眠るドルミーレを警戒して一人あの深淵に戻ってしまったのかもしれない。


 きちんとお礼を言いたかったし、それに彼女とはちゃんとお話したかったんだけど。

 でも私の心の中にいてくれて、繋がっているのであればきっとまた会えるはず。

 その時ちゃんと今までの分のことも全部お礼を言って、そして、しっかり彼女のことを思い出したいな。


「大丈夫かい、アリスちゃん」


 中枢たる巨大な森へと目を向けて、寂しい気持ちを噛み締めていると、レイくんが顔を覗き込んできた。

 雪の様に白い髪が風に流されてさらりと揺れている。


「う、うん。私は大丈夫。みんなが助けてくれたから。レイくんこそ、大丈夫?」

「ならよかった────僕も平気だよ。ドルミーレに一撃入れられたけれど、何とか元気だ。アリスちゃんのお陰でね」

「大事にならなくてよかったよ」


 優しく微笑むレイくんの笑顔は、今までと少し違ってとても軽やかだった。

 元から綺麗で爽やかな顔だったけれど、心の重荷が外れたからか、今はとても開放的で伸び伸びとして見える。

 私は、このレイくんの方が好きだ。


「さて。とりあえずお互いに無事だし、早いところ現実に────」

「アリスちゃん!!!」


 レイくんが私の手を取ってそう切り出した瞬間、甲高い声が上から降ってきた。

 何事かと私が上を見上げるよりも早く、隕石の様な業火がこちらに降ってきて、レイくんは慌てて飛び退いた。


「アリスちゃん! 無事!?」


 レイくんがいた場所に墜落した業火の中から人の形が飛び出したかと思うと、透子ちゃんが私に飛びついてきた。

 血相を変えた鬼気迫る表情で、私の手を力強く握って大きく揺さぶる。


「何もされてない? 何も辛いことはなかった? ごめんなさい、私が守るって言ったのに弾き飛ばされてしまって……それに私では奥深くには入れないし……あぁ、ごめんなさいアリスちゃん……!」

「と、透子ちゃん……! 大丈夫。私は大丈夫だから、落ち着いて……!」


 いつも凛々しい透子ちゃんの焦りっぷりに戸惑いながら、私はその目をよく見て声をかけた。

 透子ちゃんはしばらくオロオロと私のことをくまなく見回してから、私の目を見てようやく少し落ち着いた。

 それからごめんなさいとポツリと呟いたかと思うと、また急にハッとして背後に振り返り、私を慌てて抱き寄せた。


「レイ……! あなたアリスちゃんを────」

「だから待ってよ透子ちゃん!」


 これでもかと私を抱き締める透子ちゃんは、先程の突撃を避けて距離を取っていたレイくんをキッと睨んだ。

 確かにさっきまで一触即発の睨み合いをしていたんだから、警戒するのは無理ないけれど。

 また一悶着あったら大変だと、私は透子ちゃんの背中をバシバシと叩いた。


「レイくんは、もう大丈夫なの。もうさっきみたいに、強引なことはしなしよ」

「……でも、さっきはあんなに……それにあなたが深淵に引き摺り込まれたのだってレイが……」

「さっきはまぁ……ね。でも今はちゃんと話したから。全部の気持ちをわかり合えなくても、それでもさっきみたいなことはもうしないよ。ね、レイくん」


 スラっとした腕で力の限り抱きしめてくる透子ちゃんを宥めながら、距離をとったままのレイくんに促す。

 レイくんは透子ちゃんに複雑そうな視線を向けながらも、静かに頷いた。


「ドルミーレを求めることはやめたんだ。だから僕には、アリスちゃんを踏みにじる理由がなくなった。だからこれからは、ちゃんと自分自身の気持ちだけで向き合いたいと思ってる」

「………………」


 粛々と語るレイくんに、透子ちゃんは訝しげな視線を返した。

 色々と言ってやりたいことがあるという顔をしつつ、けれど腕の中の私を見てそれを飲み込んだ。


「……わかった。アリスちゃんが許すのなら、私に口出しをする権利はないもの。私個人の気持ちで、あなたを煩わせるわけにもいかないし」


 小さく溜息をつくと、透子ちゃんはそっと腕を解いた。

 けれど直ぐに両手で私の手を取って、真っ直ぐその目を向けてくる。

 その端正に整った女性らしい綺麗な顔は、惚れ惚れするほど美しい。

 そんな顔でまっすぐ見つめられると、吸い込まれてしまいそうだ。


「……アリスちゃん。今回は私が至らなくって、あなたのピンチを助けてあげることができなかった。でもね、私は誰よりもあなたの味方で、誰よりもあなたを守りたいと思ってる。だからあなたを害するものは許さなくて……この気持ちはわかってほしいわ」

「うん。ありがとう、透子ちゃん。ちゃんとわかってるよ」


 透子ちゃんはいつだって私の味方だった。

 五年前の時からずっと、私の気持ちを尊重して、私を守り続けてくれている。

 そんな透子ちゃんの優しい気持ちを、間違えたりなんてしない。


 その手を強く握り返し、私はしっかりと頷いた。


「透子ちゃんの気持ち、私すっごく嬉しいから。今回だって、守りに来てくれて助かったし。透子ちゃんは私のヒーローだよ。いつだって私は、透子ちゃんを信じてる」

「アリスちゃん…………」


 心からの信頼と共に笑顔を向けると、透子ちゃんは僅かに瞳を潤ませた。

 けれどすぐにシャンとして、凛々しくも柔らかい笑みを浮かべる。


「ありがとう、嬉しい。そろそろちゃんと、あなたの側にいられるようにしないとね。やっぱり自分の体であなたと触れ合いたいもの」


 ニコッと笑ってそう言うと、透子ちゃんはそっと手を放した。


「────さぁ、そろそろ目を覚まして現実に戻らないと。やること、まだあるんでしょう?」

「うん、そうだね。待ってくれてる人が沢山いるから」


 氷室さんはきっと物凄く心配しているはずだ。

 レイくんがかけた魅了はきっともう解けているだろうけど、彼女自身の身も心配だし。

 それに、一刻も早く戦いを止めないといけないから。


 透子ちゃんに頷いて、私は距離を取ったままのレイくんに歩み寄った。

 その手を取ると、レイくんは薄く微笑んだ。


「一緒に戻ろっか」

「うん。エスコートは任せて」


 一緒に堕ちてきたのだから、きっと一緒に戻った方がいい。

 しっかりとレイくんと手を繋ぎ合わせていると、透子ちゃんは少しつまらなさそうな目を向けてきた。


「透子ちゃん、またね。待ってるから」


 そんな透子ちゃんににこやかに言葉をかけると、すぐに透子ちゃんも柔らかく微笑んだ。


「ええ、また。私も、待ってる」


 お花畑を駆け抜ける甘い風が、透子ちゃんの綺麗な黒髪をさらさらと撫でる。

 色付く花びらの鮮やかさに負けないくらい、透子ちゃんはとっても綺麗で。

 そんな彼女に手を振りながら、私の意識はスーッと吸い込まれるように引いていった。

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