131 踏みにじる覚悟

「君は、こんな所まで……!」


 透子ちゃんの姿を見とめ、レイくんは声を荒げた。

 忌々しげに歯を食いしばり、その苛立ちからか兎の耳はピンと直立していた。


「そこまでして僕の邪魔がしたいのかい?」

「仕方のないことよ。だって私とあなたは相入れないんだもの」


 透子ちゃんはその艶やかな黒髪を優雅に掻き上げると、淡々と言葉を返した。

 そしてすぐに背後の私に振り返って、ニッコリと優しく笑った。


「安心して。あなたの心は、誰にも侵させたりしないかな」

「透子ちゃん……」


 温かな笑顔と頼もしい背中。

 透子ちゃんはいつもそうやって、私を颯爽と助けに来てくれる。

 彼女の姿を目にするだけで、心の底から安心できるんだ。

 傷付き、深い眠りについても尚、私を守ってくれる大切な友達。


「ありがとう透子ちゃん。でも、レイくんも私の友達なの。だから、傷つけ合いたくはないんだ」

「あなたは本当に優しいわね。もちろんアリスちゃんがそう望むのなら善処はするけれど……本人次第ね」


 透子ちゃんはそう言うと、柔らかな笑みから凛と澄ました表情に切り替えた。

 その視線を正面へと突き刺すと、レイくんは不満げに顔を歪めた。


「……どうして、どうして君がそちら側にいるんだ。アリスちゃんの隣は、僕のものだ」

「それはアリスちゃんが決めること。あなたに、彼女の心の所有権を主張する権利なんてないのよ」

「そんなこと、わかってる!」


 透子ちゃんを目の前にしたレイくんは、いつもの余裕を欠いていた。

 彼女に対する敵対心と、そして焦りがレイくんの声を荒らげている。


「僕だって、アリスちゃんに術なんて掛けたくはない。けれど、もうこうするしかないんだ。今共にドルミーレの力を引き出さなければ、魔女に未来はないんだ!」

「そのやり方を、他でもないアリスちゃん自身が望んでいなくても?」

「致し方ない……僕だって好き好んでしているわけじゃない。けれど今は、アリスちゃんの意思を踏みにじってでも前に進むべき時だ。僕らの関係は、全てが終わった後にやり直せばいい」


 レイくんは唇を噛みながら、私へと一心に視線をつけてくる。

 透子ちゃんの背中に守られている私へ、真っ直ぐに揺らぐことなく。


 レイくんの私に対する想いは本物だということは、よくわかる。

 絶対に私を傷付けず、尊重して、大切にしてくれている。

 だからこそレイくんは、私の意にそぐわないことをせざるを得ないことに罪悪感を抱いているように見えた。


 けれどそれでもやらなければならないと、覚悟を抱いて。

『始まりの魔女』ドルミーレを蔑み、死に追いやった魔法使いという人種への反逆。

 彼女が失われたことで在り方の変わった世界の再編。

 そして、『魔女ウィルス』に感染したことで苦しんでいる魔女たちの救済。

 二千年もの間培ってきたその想いを、断つことなんてできないから。


 その為に、私を踏みにじる決意をしたんだ。


「君も同じ魔女だ。この国を、魔法使いを憎む魔女だ。なら、僕の気持ちがわかるはずだ!」

「えぇ、そうね。私とあなたではベクトルが違うけれど、確かにその想いには共感できる。だから私は、あなたたちと手を組むこともあった。でも理由がなんであれ、アリスちゃんを傷付けることだけは見過ごせないわ」


 透子ちゃんは静かに首を横に振って、ピシャリとレイくんを否定した。


「私の最優先事項はアリスちゃん。アリスちゃんの心。あなたがどんな方法で魔法使いに仇を為そうと、私には関係のないことだけれど。それでも、アリスちゃんの心を害するものは、私が許さない」

「許さない? 君だって、さして変わらないだろうに! 僕だって、アリスちゃんの心が大事さ。これは、アリスちゃんの心を守る為でもあるんだ。一時の不自由で守られるのなら、僕は躊躇いなくそれを行う!」

「一時でも僅かでも、私はアリスちゃんの心を蔑ろになんてさせたくない。見解の相違ね」

「ああ、全くだ」


 二人の会話は平行線。全く折り合いがつく所がなかった。

 目的の為、泣く泣く私を閉ざそうとしているレイくん。

 けれどそれは、私がドルミーレに飲み込まれてしまわないようにという、レイくんなりの配慮でもあるんだろう。


 しかしそれを、透子ちゃんは許さない。

 どんな理由であっても、私の心が自由を失うことを透子ちゃんは認めない。

 それを私が望まないからと、他人の介入を許さない。


 二人とも私のことを想ってくれているのに。

 それでも、相入れる道がない。


「まさか君がここまで僕の邪魔をしてくるなんて、思ってもみなかったよ。こんなことなら、もっと早く対処しておくべきだった」

「いつであろうと変わらないわ。私は何があってもアリスちゃんを守る。あなたになんて、決して触れさせないんだから」


 一触即発。

 いつぶつかり合ってもおかしくない空気が二人を取り巻く。


「ただ、盲信的に守り続けていたって、状況は変わらない。アリスちゃん自身だって救われない。だからこそ僕は、前に進むことを決めたんだ。アリスちゃんを僕のものにし、その力をも手中に収めて。僕はアリスちゃんと一緒に、新しい世界を目指す! それを、アリスちゃんが望んでいなくても……!」


 レイくんの叫びは切実。気持ちを押し殺した覚悟の言葉だった。

 二千年前から続いてきた想いと目的。それを曲げることなんてできなくて。

 けれど私のことも大切に想ってくれるから、その相違に苦しんで。

 それでも貫いた目的の中で、私を守る方法を模索して。


 目的のために私を踏みにじると言いながら、それを持って私を守ろうとしてくれているレイくん。

 私の意思とは反するものであっても、それは確かに私に対する想いだった。

 ドルミーレに飲み込まれて欲しくない、私を失いたくない、一緒にいたいという、レイくんの切実な想い。


 それだけはひたすらに真っ直ぐで。


「もう、誰にも僕の邪魔はさせない。アリスちゃんは僕のものだ。僕が守るんだ。そして僕は、この国の二千年の闇を晴らす!」


 叫びと共に、大きな力が膨れ上がる。

 おぞましい魔力と、色香漂う甘やかな妖精の存在感。

 転臨した魔女の力と妖精の力が混ざり合いながら膨れ上がって、波動のように周囲に圧力をかける。


 それを受けて透子ちゃんは、私を庇うように腕を広げた。

 けれど私は、隠れてちゃいけないと思った。

 私に到底敵うべくもない力であっても、レイくんの想いから逃げてはいけないと。


 だって、その想いを私が受け止めなかったら、一体誰が……?


「ア、アリスちゃん……!?」


 だから私は、透子ちゃんの腕を擦り抜けて前に出た。

 その驚愕の叫びを背に受けながら、真っ直ぐレイくんに向かい合う。


 ドルミーレに想いを寄せていたレイくん。

 だからこそ魔法使いが許せず、そして魔女たちを守りたくて。

 本当なら私のことなんてはなから無視して、直接ドルミーレに呼び掛ければいいのに。

 でもレイくんは、私のことを大切にしてくれるから、こうしてギリギリまで苦悩したんた。


 そんなレイくんを止めるのは、私の責任だ。


「レイくん。私はあなたの気持ちには応えられないし、あなたのやり方にも賛同できない。ごめんね、私には今のレイくんを否定することしかできない。だからせめて、正面から受け止めるよ。レイくんの全部を!」


 逃げない。隠れない。目を晒さない。

 これ以上レイくんの心に背を向けない。

 私もまた覚悟を決めて、臆せず向かい合う。


 そんな私に、レイくんは手を伸ばす。

 私を手中に収めんと、踏み倒し目的へ進まんと。

 その指が、私に触れようとした、その時。


『────騒々しいわね』


 冷たく研ぎ澄まされた声と共に、足元の森から黒い闇が吹き出し、私とレイくんを遮った。

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