76 目覚めたそこは

 気が付いた時、私は雲一つない青空に見下ろされていた。

 春の日差しのようなポカポカとした光が降る、気持ちのいい晴天だ。


 どうやら私は、お花畑のど真ん中に寝っ転がっているらしかった。

 草花のこそばゆい感覚で全身が満たされている。

 けれど甘く華やかな匂いに包まれていて、とても居心地が良かった。


 包み込むようなお日様の温もりと、心安らぐ芳しい花の香り。

 ふんわりと体を舐める風は心地良いし、なんだかお昼寝に最適な環境だった。


 ついその優しさに身を委ねて、再び目を閉じそうになってしまったけれど。

 唐突にハッとして、私は勢いよく飛び上がった。


 呑気に日向ぼっこしながらお昼寝をしている場合じゃない。

 私は今どこにいて、どうなっているんだろう。

 どうして私は、こんなところで眠っていたんだろう。


 すぐに真っ当な疑問が浮かび上がった私は、起こした体で取り敢えず辺りを見回してみた。

 そこには、一面お花畑が広がっていた。この世全てがそうなんではないかと思うほどの、広大なお花畑。

 これはとても見覚えのある光景だった。


「私、また『まほうつかいの国』に来たんだ……」


 周囲を認識して、私はそう一人呟いた。

 ここは国の西側に位置するお花畑だ。

 七年前の私が『魔女の森』を出てまず目指した、ドルミーレのお城がある場所。

 よく見てみれば、奥の方に見覚えのある西洋風のお城が見えた。


「────そうだ、氷室さん……いや、レイくんは!?」


 現実を認識できて、私はようやく直前に起きたことを思い出した。

 私は氷室さんと一緒に、夜子さんにこちらへ送ってもらうはずだった。

 けれどレイくんが急に現れて、私は氷室さんと離れ離れになって……。


 ということは、私をここに連れてきてくれたのはレイくんということだ。

 けれど、この見通しのいいお花畑を見回してみても、人影なんて全く見えない。

 一緒にいるであろうレイくんの姿は、どこにもありはしなかった。


 七年前、一番最初にこちらの世界に来た時も確かこんな風だった。

 けれどあの時とは状況が違う。今に関しては、私が気を失っていたからといってここに放置しておくとは考えにくい。

 だとしたら、こちらの世界に渡る途中で逸れてしまったのかな。


 レイくんが背後の穴に飛び込む時、すれすれで夜子さんの猫が飛びかかってきていたし。

 その影響か何かで、私たちはバラバラの場所に辿り着いてしまったのかもしれない。

 だからこそ私は、当初の予定に近いこのお花畑にいるのかも。本当はあのお城に繋がる予定だったし。


「これから、どうしよう……」


 レイくんを探すべきかな。

 半ば連れ去られるような感じでこちらに来てしまったけど、元々レイくんやワルプルギスの元に向かう予定ではあったわけだし。

 レイくん自身もそれをわかっていたから、少し強引に私を連れ出したんだ。


 でも、そのレイくんと逸れてしまった今、まずは氷室さんと合流するべきかもしれない。

 私がレイくんに連れ去られたことで、きっと氷室さんも慌ててこちらに来てくれるはずだ。

 当初の予定に近いこのお花畑にいれば、再会はそう難しくないかもしれない。


 ただ、気になるのは時間の経過だった。

 世界の移動に伴って、私はどれくらいの間気を失っていたのか。


 あちらの世界にいた時は、まだ朝だった。

 けれど今空を見上げてみれば、太陽はちょうど真上あたりにあるから、きっともう昼頃。

 二つの世界の時刻が全く同一ではないにしても、それなりに時間は経っている。


 それにもしかしたら、もう日を跨いでしまっている、なんてことも考えられる。

 そうでないとして、最短で見積もってもきっと四、五時間くらいは経っていてもおかしくない。


 だとすると、それだけの時間があっても氷室さんがこちらに来られていないということになる。

 何かトラブルがあって世界を渡れていないのか、はたまた行き先にミスがあったか。

 どちらにしろ、ここでただ待ち続けるというのはあまり得策ではないように思えた。


 迷子の時、逸れた時はその場から動かない方がいいというけれど。

 そうして呑気に構えている間に、事態が悪くなってしまうかもしれないし。


 どうしたものかと、一人頭を悩ませていたそんな時だった。


「アリス……! やっぱりアリスだ! わー! おーい!」


 遠くから、とても陽気であっけらかんとした声が飛んできた。

 トーンが高めで若干舌足らずな、男の子の声が私を呼んでいる。

 その声を、私は知っている気がした。


 座り込んだまま声のした方に顔を向けると、色鮮やかに広がっているお花畑の向こうから誰かがやって来るのが見えた。

 よく見てみるとそれはキラキラと淡く煌めいており、お花の上をスーッと滑るように飛んでいる。


 そこから想像できるものは……。


「アリス、久しぶり!」


 まさかと私が思っている間に、そのヒトは青い輝きを振りまきながらびゅーっと近寄って来た。

 目の前まで来れば、それが誰かなんて見間違うことはない。


 淡く青い光をまとう体。

 お団子にまとめた髪と全身の肌、そして身に付けるワンピースも全部青。

 透明でキラキラとした羽が背中から生えている、男の子か女の子か判別のつかない中性的な子供の姿。


 それは、私のよく知る氷の妖精だった。


「ソ、ソルベちゃん……!?」

「僕だよ、アリス!」


 とても懐かしい顔に私が口をあんぐりと開けると、ソルベちゃんはにぱぁっと無邪気に笑って飛びついてきた。

 されるがままにそれを受け入れた途端、全身を氷水に突っ込まれたかのような寒さが襲ってくる。

 そうだ。氷の妖精であるソルベちゃんは、その身体が氷と同じくとても冷たいんだった。


「あ! ごめんごめん! 嬉しくってつい!」


 ヒッと反射的に身を縮めてしまった私に、ソルベちゃんは慌てて体を離した。

 氷のような冷たさは無くなったけど、瞬間的に冷やされた体にはまだ寒さが残る。

 けれど、そんなこと無視できるくらいに目の前の再会が嬉しかった。


「ソルベちゃん、久しぶり! 元気にしてた?」

「久しぶり! もう、元気にしてた?はこっちのセリフだよ。急にいなくなったって聞いて、すっごく心配してたんだから!」


 すぐに魔法で体を保護して、ソルベちゃんの手を握る。

 ソルベちゃんは嬉しそうにニコッと笑ったけど、すぐに唇をとんがらせた。

 でも私が謝ると、「元気ならいいんだよ」とまたすぐに笑顔に戻った。


「でも、アリスおっきくなったねー。昔は僕と同じくらいの感じだったのに」

「背は少し伸びたくらいだけど、でも五年以上経ったからね。そういうソルベちゃんは昔と変わらずでホッとしたよ」

「妖精に老化はないからね〜」


 そう言ってルンルンするソルベちゃんは、当時出会った子供のような姿のまま。

 当時は同い年のような感覚だったけど、今はなんとなく年下っぽい気がしてしまう。

 それでもその実三千歳以上なのだから、見た目に囚われちゃダメだ。


 そうわかっていても、中性的な顔立ちと、女の子っぽい髪型や服装、高めだけどやや男の子っぽい声なんかは、人間の私からみるとチグハグする。

 まぁ細かいことなんて気にしないで、ただ友達として接すればいいだけのことだ。


「なんだかアリスの気配がする気がすると思って、なんとなく様子を見にきたんだ。そしたら本当にアリスがいたから、僕とっても嬉しくて!」


 無邪気に飛び跳ねるソルベちゃんを見て、私は改めて自分が世界を渡ってきたのだと自覚した。

 現実には存在しない、妖精という神秘の存在。

 七年前、私が迷い込んだ世界で出会ったお友達。


 私は今、『まほうつかいの国』にいるんだ。

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