64 目に見えない事実

 そんなの、知らなかった。

 改めて私は透子ちゃんのことを何にもわかっていないんだと自覚した。


 確かに透子ちゃんがどちらの世界の人かなんて、そんなことを確認したことはなかった。

 その名前やセーラー服姿から、私が勝手にこちらの人だと決め付けていただけ。

 でも思えば、夜子さんだって氷室さんだって向こうの人だ。


 今更透子ちゃんがどちらの世界の人だとしても、どう思うわけでもない。

 透子ちゃんは透子ちゃんで、何が変わるわけでもない。

 でもやっぱり、少なからずびっくりはしてしまった。


 ポカンとする私を、夜子さんはじっくりと舐め回すように眺めてきた。

 まるで私の心の内を覗き込むように。私の全てを見透かすように。

 私の動向、その全てを見逃さんとするかのように。


「透子ちゃんはアリスちゃんに、あまりを多くを話していないんだね。まぁ、それも仕方ないか……」

「なんだかんだ、私は透子ちゃんとあんまり話せてないんです。全然、一緒にいられなくて」

「……


 静かに目を閉じているその姿に目を向けて、私は寂しさに唇を噛んだ。

 私たちはあの封印の時よりも前から友達だったみたいだけれど、私にはその出会いが思い出せない。

 透子ちゃんはそんなことと言ったけれど、私はやっぱりそれを知りたい。

 今は少しでも、透子ちゃんのことを知りたいから。


「透子ちゃんが話していないことを、私があんまりペラペラ喋るわけにはいかないけれど……」


 ションボリする私から透子ちゃんに目を向けながら、夜子さんはポツリと口を開いた。


「ただまぁ、アリスちゃんの友達としてお節介を言わせてもらおう」

「お節介……?」

「ああ、飽くまでお節介さ。君たちの為になるかはわからない、私が気になっただけのことだよ」


 夜子さんは静かな笑み浮かべてそう言うと、ポンとベッドから飛び降りた。

 それから少し背中を丸めて私に近寄ってくると、徐に肩を組んできた。

 まるで内緒話でもするように、顔を寄せて声をひそめる。

 この場に、話を聞かれちゃまずい人なんていないのに。


「私はさっき、そこにある心こそが大事なんじゃないの?って話をしただろう?」

「は、はい」

「これはその延長線上みたいなことなんだけどさ」


 少しわざとっぽい真剣な表情で、私の体を引き寄せる夜子さん。

 まるで抱きこまれるように肩を包まれるから、そのボサボサの茶髪が頰に擦れてくすぐったい。

 けれど身を捩る隙すら与えてくれない夜子さんは、顔をグイグイと近付けてくる。


「二つの世界が現実と夢であり、しかし見分けがつかないように。目に見えているものが全てじゃない。わかり切ったことが、当たり前のことが真実とは限らない。全てを疑えとは言わないけれど、目の前のものにもっとよく気を配った方がいいかもしれないよ?」

「……? えっと…………?」


 あまりにも抽象的な言葉に、それが意味するところがさっぱりわからなかった。

 話の流れからして透子ちゃんに関わることなのか、はたまた全く関係がないのか。

 それすらも判断がつかず、私は目を白黒とさせてしまった。


「透子ちゃんは目を覚さないけれど、しかし彼女が明確な意思を保ち続けているのはアリスちゃんもよく知っているだろう? つまりそれだって、目に見えている事実とは違う現実だ。目の前のことに向き合うのが精一杯かもしれないけれど、時にその本質を問うてみるのもいいだろう。夢の中にも心を見出せたように、目を向けるべきものがそこにあるかもしれないからね」

「は、はい……」


 漠然とし過ぎていて、どうしても曖昧な返事になってしまう。


 例え夢から生まれたものだとしても、そこにある心は確かに本物なのだから、紛れもない現実だと受け入れたように。

 事実に覆い隠された真実を見逃しちゃいけない。そういうことなのかな。

 だとしたら、私は何かを見落としているって、そういうこと?


 その意味を確認しようと口を開きかけた時、それを遮るように夜子さんが先に言葉を続けた。


「後は君の心次第さ。その心が何を感じ、何を想い、何を大切にするのか。それを決めるのはアリスちゃんだからね。ただ、君が感じたことが君にとっての真実だけれど、それが本当に真実かどうかはわからない。それだけは覚えておくといい」


 夜子さんはそう一方的に言うと、パッと私から離れた。

 悪戯っぽいニヤニヤ顔を浮かべ、私を柔らかい目で見つめながらゆっくりと後退る。


「物事には色んな側面があるということさ。私が魔女であり魔法使いであるのと同じように。世界が夢であり現実であるように。だからこそ、本質を決めつけてはいけない。多くに目を向けるといい。それは、君の大切な友達を守ることに繋がるだろう」

「わ、わかりました……」


 何故夜子さんがそんな話をしてくれたのか、それはいまいちわからなかったけれど。

 それでもその言葉は、私の心にじんわりと浸透した。

 物事を決めつけて、目の前のことにばかり意識を向けていたら、本当に大切なものを見失ってしまう。

 あちら側が夢の世界だと知って悲嘆に暮れていた、さっきの私のように。


 物事の見方は一つではなく、考え方や感じ方によっても変わる。

 何に対しても固定概念に囚われず、心と感覚を研ぎ澄ませていないと、間違った選択をしてしまうかもしれないってことだ。


 透子ちゃんに、私はもっともっと沢山目を向けなきゃいけないんだ。

 彼女のことをよく知りたいと思うのならば。


 私の頭で消化し切れてはいないけれど、なんとなく言わんとしていることはわかった。

 おずおずと頷く私を見て、夜子さんは満足そうに目を細めた。


「友達というものは、案外難しいものだ。強く想っていてもその気持ちが届かなかったり、信じ合っているのにすれ違ったり、好きだからこそ反してしまったり。実にままならない。でもだからこそ、人にはなくてはならないものだ」

「夜子さんにも、大切な友達がいるんですね」

「もちろんいるともさ。昔話したのを覚えてないかい? 私は、とある親友のために生きているんだ。あー……言わずもがな、アリスちゃんだって大切なお友達だよ」


 悪戯っぽい笑みと共にそう付け加えてから、夜子さんはくるりと背を向けた。

 後ろでゆったりと手を組んで、少しずつ私から距離を取る。


「────だからこそ、私は自らの経験則から君にお節介を言ったのさ。大切な友達だからこそ、見えない場合もある。それに気付かず過ごすのも真理だし、気付き向き合うのもまた真理。どちらが幸せかはわからない。しかしどちらにしても、後悔のないようにするべきだ。君が、友達を大切に思うのならね」


 こちらに顔を向けることなく、夜子さんは緩やかな足取りで扉へと向かう。

 私へのその言葉は、同時に自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。

 自らの経験則。夜子さん自身が、何か後悔を抱えているのかもしれない。


 けれどそんな様子はおくびにも出さず、夜子さんはただ気軽な歩調で歩みを進める。

 そして扉に差し掛かった時、ようやくこちらに向けたその顔には、やけに静かな笑みが浮かべられていた。


「アリスちゃんには、私たちみたいにはなって欲しくないからね」

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